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2025/02/14 20:45:57 (7sOF0JGO)
高校を卒業するまで住んでいた街。
この街にいたときは、まだ、昭和だった。
県庁があるこの街には、あの頃、小さいながらも花街が形成された一角があった。
中学を出ると、3歳上の兄貴は大学進学で隣県の大都市の国立大学へ進学し、俺は高校生になった。
その時、祖父に連れられて、花街にある置き屋へ連れて行かれた。
「女将、元服頼む…」
と言うと、祖父は中年女性に俺を託して、帰っていった。

「おいで…」
と手を引かれ、奥の部屋へ行くと、年の頃なら30代半ばくらいの、母より少し若いくらいの奇麗なお姉さんがいて、裸になるよう言われ、その後、一緒に風呂に入った。
思春期の少年が生身の女体にフル勃起、丁寧に洗われて、そして、その部屋の二階へ行くと、そこは三畳ほどの小部屋で布団が敷いてあり、股を広げて、
「オマンコ、舐めTなさい。」
と言われて、初めて見たドドメ色の女陰を舐めた。

「これからじっくり時間をかけて、あなたに、女の扱い方を教えてあげるから…」
と言われ、20歳ほど年上のお姉さんに性の手ほどきを受けた。
仄かに香り立つ、熟した女の艶かしさにゾクッとしたのを覚えてる。
落ち着いた身のこなしは上品で、いかにも昭和の色香が漂っていた。
色めき立つ女の肌に男根はイキリ起ち、その脈打つ男根にスキンが被せられた。
女穴に男根を導かれ、童貞を卒業した。
ゆっくりと腰を振ると、お姉さんに抱きしめられ、初めてのキスを交わした。
舌が捻じ込まれて、舌が絡まり合った。

初めて、裸の女体を抱き、その異様なまでの恍惚の中、淫らな夢にまみれた。
腰を振るたび聞こえる結合部の音に、しっとりとした感触、そして、ねっとりと湿り気を絶やさない女陰を眺めた。
若き肉欲に囚われて、三十路の艶香に噎せ返った。
女体の味を知り、ますます燃え盛る欲情の炎に巻かれながら、姦淫の熱に蕩け落ちた。
騎乗位になったお姉さんは、艶かしい肌をしっとりと濡らし、濃厚な女の淫臭にまみれながら、淫乱の舞を披露した。
身を捩りながら、淫肉の華を咲き散らした。
悦楽の淫水が男根を伝い、シーツをを滴らした。

「ふふふ…可愛いわあ…」
まだ15歳の少年に跨り腰を振り、まだ成功の意味も分からぬ少年を惑わし、淫気で惑わし、若き肉体を貪りつくした。
若い男の淫味に酔い痴れて、滴る精液を吸い尽くした。
「若いんだもの、まだ出来るわよね…」
スキンを取り換えて、二度、三度と迸りを搾り取られた。
祖父が、ここの置き屋の芸娘を隣の料亭によく呼んでたから、その孫の面倒を見てくれてたのだが、今思えば、高校を出るまでの3年間あのお姉さんだけでなく、あそこに居た遊女ほぼ全員とハメたから、みんなショタだったんだろう。
現役の男子高校生の下半身を弄ぶ、男女逆なら大問題にされることだろう。

俺は、三十路四十路の遊女や芸者の相手をして3年間を過ごした。
でも、一人だけ、同年代の芸娘と十数回寝た。
それは、その芸娘が望んだことだった。
その芸娘は俺と同い年で、びんぼうな家庭に育ち、中学を出て置き屋に来て、芸事を習いながら、地元の名士の赤黒い生男根で処女膜を散らした。
俺が高校2年を終える頃、同年代の男に抱かれたいと言い出し、俺と寝た。
全く伸びもせず、ドドメ色でもさい女陰を始めて舐めた。

一度、芸者が持ってた高校時代のセーラー服を着て、学ラン姿の俺とセックス、それをポラロイドカメラで撮影して、彼女の夢だった高校生の恋愛を演じた。
それぞれ、そのポラロイド写真を持って、
「思い出、忘れないから…」
と着物じゃない普段着で、大学進学で地元を離れ上京する俺を駅まで見送りに来た。
俺は、盆と正月しか帰省せず、東京に染まっていった。
三十路四十路の女とばかりハメてた俺は、恋愛スキルはないけれど、セックスのスキルは高かったから、同い年の短大英を処女からド淫乱に仕上げた。

その短大生が卒業して地元に帰るのを見送った頃、ふとあの芸娘を思い出し、ポラロイドを出してくると、すっかり色あせてセピア色になっていた。
「あの娘、元気かな…」
と呟きながら、ポラロイドを戻した。
丁度俺が大学生になった頃、バブルが始まっていたが、大学の後半になって、やっとみんなが浮かれ出した。
女子大生が小金持ちリーマンに食われまくる事態となり、俺たちは女子高生の蒼い蕾を食い漁ったり、団上が女子大生とうつつを抜かしてる人妻も入れ食いだった。

俺は、三十路四十路の女体の扱い方を心得てたから、、何人もの人妻セフレができた。
一方、女子高生は、金持ちボンボンの先輩のマンションに数人連れ込んで、乱交大会だった。
つい数ケ月前まで処女だった女の子が、次々と男に輪姦され、ヒイヒイ乱れまくって痴態を晒した後、翌週、清純そうなセーラー服少女となって通学していた。
あの痴態を写したハンディカムの動画、あの後どうなったのだろう。
上半身セーラー服着たままの女子高生を大股開きにして並べて、キュウリ、ニンジン、ナス、トウモロコシ、そしてダイコンまで突っ込んだ動画、あれはヤバいプレイだった。

大学を卒業するとき、離れ離れになる連中と飲み屋のママのマンションで、ママ1人に大学生5人の6P2巡の夢の輪姦大会をしたけど、ママ、閉経女穴に10連発食らって、白目剥いてたっけなあ。
俺は、そのまま東京に就職したけど、アパートは別の場所に引っ越した。
その時、すっかり色あせてくすんだポラロイドを処分した。
学生気分が抜けなかった俺は、同期の女の子とハメハメ遊びしたり、女上司のお相手したり、バイトの彼氏持ち女子大生と彼氏と出はできない破廉恥遊びしたり、相変わらずだったが、暫くしてバブルが弾けた。
みんな落ち着ういてきて無難な相手と結婚していった。
俺はその時に妥協せず、若い頃は総務課の山口智子と言われてて社内のマドンナだった3歳年上のアラサー美人OLに猛アタック、俺26歳妻29歳で結婚した。

妻も初めは若造とタカをくくってたが、熟女扱いに手慣れた俺に夢中になって、結婚した。
毎晩セックスしまくりの日々を過ごした。
子供たちが独立して、成長を見守り終えた4年前、妻が病魔に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
30年間一緒に暮らした妻との別れは切なく、身を切られる思いだった。
59歳でこの世を去った妻を見送った俺は、ひとり、故郷を訪ねた。
祖父母も両親も亡くなり、実家を処分して以来。長いこと訪れていなかったけれど、今回、故郷を訪れたのは、実家の墓じまいをするためだった。

五十路の俺は、長期休暇を取り、少し長く故郷に滞在した。
もう、この街には花街もないし、置き屋もない、雑然としたイメージだった街なみも整然としていた。
さっぱりとしたと言えば聞こえはいいけれど、寂れた感も否めなかった。
実家があった場所もおぼろげだったが、懐かしく尋ねあたり、少年の頃に駆け回った公園のベンチに佇み、あの頃、広く感じた公園の狭さに驚いた。
実家の墓じまいを終えて、亡き妻の思い出が残る家で、今は一人で暮らしている。
まだ、伊勢のあちこちに妻の気配が残っている。
この家から、妻の気配が消えたとき、俺は、この家を出ようと思っている。
どこかで、波の音を聞きながら、独り静かに暮らそうと思う。
 
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2
投稿者:(無名)
2025/02/14 22:08:54    (9ZLELS5O)
いつものー
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