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2026/03/24 09:05:38
(qC/wnjoz)
義父の脳梗塞→片麻痺→要介護→性処理強要
これが今から書く報告者の内容です。
私の前職は看護師をやっていました。26歳の頃に勤めていた病院に健康診断で訪れた現夫に声をかけられ交際スタート。
28歳の頃に妊娠して結婚と同時に職場を一時退社。
住居も旦那の強い希望で二世帯住宅を新築するという運びとなりました。
二世帯住宅を選んだ理由、それは旦那の両親が富裕層ということもあり、旦那は一人息子。これから子供(孫)が生まれるにあたり絶大なサポートを受けれると言う狙いです。
また両親が他界した後は子供の世帯が空いた所に入居すれば私たちも老後は子供や、あるいは孫と近くに住んで老後の生活が安泰するであろうこと。
そんな富裕層ならではの将来設計をしていました。
だからこそ新築の二世帯住宅は二世代、三世代に渡って住む事が出来るよう旦那の両親の資産、旦那と私の貯金と使って豪邸ではありませんが、それなりにしっかりした邸宅を建てたのです。瀬戸内海が見渡せる景観のよい高台、これなら南海トラフ地震がきても大事だね。なんて言ってた頃が懐かしいです。まさに幸せの絶頂期でした。
それから数年が経過し、子供が小学校に上がれば私は医療の仕事に戻る予定をしておりました。それが出来るのも二世帯住宅だからです。祖父母が同じ屋根の下に住んでいるからです。
ですが、現実はそう甘くはありませんでした。義父が突然の脳梗塞で倒れ、また発見が遅かったことにより血流が届かなくなった脳細胞が破壊され右の片麻痺という重篤な後遺症を抱えたのです。
必死のリハビリも思うような結果は出ず義父は要介護認定となったのでした。
ですがお金には困りませんでした。富裕層ならではの手厚い各種保険が功を奏し他にも介護手当、障害者年金の認定もおりお金の面では何の問題もなかったのですが、、、義母さんの一言「元看護師の麻理さんが家にいてくれるから助かるわぁ」の一言で、私は看護師に復帰するどころか、逆に自宅で義父の介護要員となってしまったのです。
当然、旦那との間では一悶着ありました。
私の主張は「お金はあるんだから訪問介護や行政サービスを使ってほしい。なぜ私が介護要員にならないといけないの?苦労して看護師の資格をとったのだよ?」です。
旦那は「気持ちはわかるけど、いきなり金あるんだから他人の世話になれ、なんて言えるか?ここまで世話になってるのだからせめて最初くらいはサポートしていく姿勢を見せるのがスジってものだろ」でした。
こうして私は極めて消極的な理由で介護要員としての毎日が始まっていったのです。
介護イコール下の世話とはよく言ったものです。片麻痺している義父はトイレまで連れて行けば用を出せるのですが、問題は夜間。最初の頃は義母も夜中に起きてトイレに連れていったみたいですが経験もなく体の細い義母が体格の大きい義父をトイレに担ぐのは相当な負担。そのうち義父の方がオムツに慣れてしまい、毎朝のオムツ交換は私の仕事となりました。
特に脳梗塞の症例がある人は脱水症状を防ぐために水分を多く摂らないといけません。オムツに慣れてしまった義父は昼間も数時間おきに排尿をし、それを交換するのも私の役目となりました。
私は日中、家事をしながら義父からの内線電話で定期的に呼ばれ、オムツ交換、その他雑用、お風呂介助までするのが常となっていったのです。
これが看護師の仕事で報酬をもらいながら終末期の患者さんのお世話をするならまだやりがいもあります。「ありがとう、ありがとう」と言われて誇りにもなるものです。ですが義父は片麻痺を除いては健康そのもの。脳も半分の体もしっかりしています。ですが「麻理ちゃんーオムツー」と平然と召使のように注文してくる義父の存在はストレス以外の何者でもありません。
ですが逃げ場もなし、私は義母や旦那が私の限界に気がついてくれて介護サービスを受けるという判断をしてくれるまでの我慢だと言い聞かせていました。
すると、、、ある日のことです。私がいつものようにオムツ交換をすると義父は無精をしていたのでした。その時、義父から「いっても俺もまだ60代だからな。後少しで70は見えてはいるけど、、まだ使えるんだよ笑」と言ってきました。私は「元気なのはいいことですよー」と他愛もない返事を返すと義父は「麻理ちゃん、無理なお願いなんだけどハンドで、ハンドでいいから処理するの手伝ってくれないか?」などと言い出したのです。
私は「いやいやお父さんそれはちょっと、、困りますwそれに片方の手は動かせるでしょう?」と、これも病院あるあるのセクハラ患者対応で培った経験をもとにかわしていこうと思いました。ですが義父は「片手が動くから自分でしろとは酷くないか?俺だっていくら介護がいるといっても老人じゃないぞ?ちゃんと性欲だって残ってるんだよ!」と開き直ってきたのです。
義父から言われたことを誰にも相談する相手なんておりません。(ハンドだけ、ハンドだけ、、、)という義父の言葉が何度と脳裏をかすめ、、結局「わかりました。手だけですよ?」と結局、応じてしまったのです。これが全ての始まりでした。