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2025/08/13 14:05:42 (RGe5/HIk)
私こと植村チヒロ(34)には幼馴染と親戚の条件を兼ね備えた植村瑛士(34)という存在がいます。
私が植村家の長男の娘。
瑛士は植村家の次男の息子。という関係です。
瑛士と私は物心ついた頃から中学校3年生までは毎年の夏休みに広島県の呉市にある祖母の家に遊びに行くのが恒例でした。
大阪に住む私たち一家と福岡に住む瑛士たち一家の盆休みと夏休みを利用した年に一度の顔合わせの家族親戚行事です。

本当に小さい頃は私のリカちゃんと瑛士の仮面ライダーを戦わせ、瑛士がいじわるな事をしてきていつも私が泣いたりしていました。
また祖父母に連れられて昆虫をとりにいったり梶ケ浜海水浴場に連れていってもらったり、まるで絵に描いたような小学生の夏休みを満喫していたと思います。

ですがここで赤裸々な告白をさせて頂くと、私の初体験の相手は瑛士でした。そして昨年、2024年のお盆にも再び瑛士とカラダの関係を持ってしまったのです。。
これからお話しするお話はどちらを先に書くか迷いました。2024年の話を先に書いて後から初体験を付け加えるか、それとも初体験を先に書いて2024年の話を後に書くか。
どちらの書き方にも描きやすさとデメリットが存在し迷ったのですが、時系列で書けばただの記録となる恐れもあることから2024年の話を先に書き出す事にしました。
ですから読書においては、「よくわからないが過去に瑛士との関係があったんだな」とだけ念頭に置いた上で読んでくれたらありがたいです。

2024年8月
私たちの家庭では8月になれば広島に行く事が恒例行事となっています。広島にいく目的は祖母宅への訪問や墓参り、そして戦没者や原爆の被災者への慰霊の旅を兼ねています。祖父母から私へ。そして私から娘へと原爆の事実を語っていかなければならないとの責任を感じているからです。
ただ、2024年の夏休みでは異例の展開が待っていました。私たち大阪植村家と瑛士の福岡植村家は、、ある問題、、がきっかけで疎遠になっていたのですが、2024年に限っては祖母からの強い希望で「ひ孫を二人同時に見てみたい。昔のチーちちゃんやエーくんみたいに」と言い出したのです。

齢90歳を超える祖母からすれば、まるで避けるように孫やひ孫が交代に訪れるのではなく、昔のように沢山の家族が揃っての世代を超えた団欒風景を見てみたいとの事だったのです。
その異例の展開が実現したのは、ある問題がおきた過去を祖母が年齢を重ねて既に忘れ去っていた事。そして私と瑛士の当事者の他に最も渦中の人であった私の父が他界していた背景があるからです。

結果、直接の連絡先を知らない私は、母親に間にはいってもらいながら祖母の「孫とひ孫に囲まれる」という最後の夢を
叶える為、瑛士一家と日程を合わせ2024年8月12日(月)に祖母宅へ集まる事になったのです。

では祖母宅に集合した私たち家族と瑛士の家族。初日は子供を連れて「てつのくじらかん」「大和ミュージアム」と呉の軍港を見学し、昼過ぎからは梶ケ浜海水浴場へと行きました。
あまり社交的ではない私の夫は単独行動で博物館見学をし、海水浴場にきたら「運転で疲れたから車で寝とくよ」とさっそく空気の読めないヒト感を出していました。
いっぽう瑛士の方はというと、、、正直かっこいい。顔もイケメンだしお腹は割れてるしファッションセンスなども夫とぜんぜん違う。
なんといっても私の娘と一緒に子供目線で遊んでくれたり食事でも飲み物でも、すぐに「俺から買ってくるよ!」と出てくれるフットワークの軽さには奥さんが羨ましいなと思いました。

また美人で色白の瑛士の奥さんは最初から海なんかに入る予定もなく、かといって私の夫が寝てる車にいるわけにもいかず、太陽の当たらない屋根がある場所で携帯電話でできる副業というのをして時間を過ごしていました。
この時、私は強烈なセンチメンタルとノスタルジアを感じたのでした。
(まるで私と瑛士が夫婦みたい。。そして二人の子供が瑛士と私の子供みたい。。)

つまり胸キュン状態になってしまったのです。
子供の頃に瑛士と一緒に遊んだ梶ケ浜海水浴場。今はお互い別の世界で生きているにも関わらず、時がとまったままのこの場所で再会している。
なぜか不思議と涙が出てきました。ですがその涙は子供たちがかけてくる水鉄砲で誰にもみられる事はありませんでした。

瑛士「チーちゃん!沖いこうぜ!」
千尋「え、、う、、うん!」
瑛士「ユージ!ちゃんと(娘の事)みててな!」
ユージ君「まかせて!」
娘「ママいってらっしゃい気をつけてねー」

「沖に行こうぜ」瑛士は無意識に言ったのかもしれませんがこの言葉は過去の再来でした。私は子供の頃、瑛士がひっぱる浮き輪に捕まって沖まで連れていってもらってたのです。
泳ぎの上手な瑛士は昔と変わらず、子供の浮き輪に捕まった私を引っ張って沖にある水面に浮かぶお城のような遊具がある場所まで連れて言ってくれました。
この時、私は(幼馴染なんだから、、緊張してても仕方ないよ、、)と少しずつ心のわだかまりが解けていくのを感じました。そして私は思う存分!!!瑛士と海で戯れたのです。懐かしいあの頃のように。

そして3泊の旅行の二日目、最後の夜がやってきました。
その日も広島市内、厳島と歩きに歩き回っていた日なので私と瑛士以外は完全に早い段階から各々部屋に戻って熟睡していました。私と瑛士は何故か不思議と体力が残っており、家族みんなが寝静まっても私たちは祖母宅のリビングで話をしていたのです。
すると少し酔った瑛士は「チーちゃん、浜辺行かないか?」と切り出してきたのです。
浜辺というのは私たちがまだ大人なりきれてないあの時、初めて互いを知った場所でした。

私はこの時、正直に申せば浜辺に行くという言葉がどういう意味を成すのかわかっていました。結局、私たちは幼馴染であり初恋の相手であり初体験の相手なのです。どれだけ今は家庭があろうと子供がいようと「特別」な存在である事には違いありません。

そんな特別の存在と同じ場所で再会し、そして二人っきりになれるチャンスも与えられた。そして今のチャンスを逃すともしかすると2度とやってこないかもしれません。
過去に無理やり引き裂かれた恋。その結末を見る事なく私たちは離れてしまいました。せめて少しの間だけでいいからあの頃に戻りたい!浜辺に残してきたままの私たちの青春を取り返しにいきたいと思ったのです。

そして浜辺へと向かうなか、、瑛士は私の手をギュッと握ってきました。
私もギュッと強く握り返しました。あの日あの頃と全く同じ。とてつもない感動の涙が溢れてきて私はまともに前を向いて歩けませんでした。
そして浜辺のベンチへと到着。私たちは呉から見える瀬戸内海の穏やかな海辺を見ながらキスをしました。キスまでの流れはとても自然なものでした。

ちなみに私たちが体験したのは⚪︎⚪︎歳の時の話です。性交同意年齢が当時は13歳〜。法改正されて現在は16歳〜とはなっているので合法ではありますが、具体的な年齢はサイトの特性上控えさせて頂きますね。
浜辺にて私はあの頃を思い出し、そして懐かしみ瑛士との何年振りものキスを交わしていました。

思い出すのはただあの頃は初めてのキスと初めての行為が同時にやってきた事で興奮と緊張が混ざり合い全て瑛士リードで瑛士任せにしていたと思います。
ただあれから時が過ぎ私も以前の私ではなくなってしまったのか、、明確に(今夜だけは瑛士と一つになりたい)と思っていました。
キスをするだけで濡れてくる、こんな激しい興奮を覚えたのはこの日が初めてかもしれません。私は瑛士が私のワンピースの裾から膝に触れてきた時は自分からスッと足を広げていきました。言葉に出来ないからこそ、、動作で気持ちをアピールしたつもりです。

すると私の許しを得た瑛士は、スーーと内腿をなぞりながら滑らせてきて手のひらで優しく恥丘全体を包み込んできたのです。そして同時に私の性器の形に指を合わせるように敏感な場所を刺激をしてきたのでした。
残念ながら夫ではこのような恋愛情緒溢れた行為はしてくれません。何年もこうした情緒溢れた行為を渇望していた私は思わず「あぁ、、!」と声をあげて下半身を瑛士に崩されていきました。

そして瑛士も私が知る瑛士ではありせんでした。彼も彼なりに私との体験を済ませた後、見た目や性格の良さから様々な経験を積む機会に恵まれた人生を歩んだ事でしょう。初めての頃のようなぎこちなさはなく、、経験豊富でまるでオンナの体を知り尽くしたかのような高度な技巧で私の気持ちを高揚させていきました。

ただでさえ高揚している私に瑛士の高度な技巧が重なって私は出だしの行為だけで何度もイッてしまいました。そして1度目、2度目のオルガスムを迎えた時はすぐに手を離してくれたのに、3度目の時は私がまさにオルガスムの真っ最中も継続的に刺激を続けられました。
この行為中、私は快感で気が付かなかったのですが、後にワンピースのお尻の部分まで範囲的に濡れており、どうやらこの時に少量の小水を零してしまってたみたいです。

そして私は瑛士の攻めがひと段落した空気を感じ取り、私は瑛士の股間から硬い陰部を出していきました。私はこの時興奮し過ぎて思考が過激になっており、心の中で何度も(これは私の!本当は私のになるはずだったんだから!!)と心で叫びながらフェラをしました。同時にあの色白で美人な奥さんがとても羨ましく思えました。こんなにカッコよくて包容力ある瑛士に、、求められてるあの人。。きっと夜は瑛士と激しく、、、(あぁ!!!!)と気が狂いそうになったのです。

瑛士「チーちゃん激しっ、、イ、イっちゃうよ!」
すると生暖かい瑛士の精液が口一般に広がっていくのがわかりました。嬉しかったのは私との行為に瑛士もとても興奮してくれているのがわかった事。私がいままで口で受け止めてきた精液の中でも最も濃厚で量が多かったのです。

この時、私は本気で瑛士に中出ししてほしいと思っていました。瑛士と夫の血液型は幸い同じA型。瑛士との子供を夫との子供と生涯偽って育てていくのもありなんじゃないかと、そんな衝動に駆られていました。それだけ興奮していました。顔には出さずとも日頃の欲求不満、瑛士への渇愛、奥さんへの嫉妬、あらゆるものが爆発していたと思います。

私はにフェラが終わると瑛士の次の行動を待ちました。私の欲求が爆発しているからとはいえ無理に私から貪欲に求めていってこの儚い美しい思い出をたんなる私の淫気な歴史に刻み込みたくなかったのです。

瑛士「入れていい、、の?」
千尋「うん、、」

言葉はそれだけでした。すると瑛士は私を立ち上がらせるとベンチ背後にあった木に手をつかせ背後からパンツを脱がそうとしてきました。この時、私のワンピースのお尻部分に楕円形のシミが出来ているのを瑛士が発見し、、「さっきやりすぎちゃった?」と聞かれて判明したのです。
私は「ぜんぜん気が付かなかった、、」と返事しました。

そして私は自分で下着を下ろし、あまりにも濡れていたので瑛士の言ってる意味をさらに実感し、カバンに入れるのもなんだか嫌なのでベンチの角に下着を置きました。そして改めて木に手をついて瑛士をまったのです。
するとワンピースの裾がクルクルと巻いてたくしあげられ、、(瑛士が入ってくる、、!)と高揚感がMAXになっていきました。

そして瑛士の先端が私の体に触れ、、その直後!擬音語や擬態語のカタカナでは到底言い表せない、とてつもなく大きく、硬く、そして私が求めていたあらゆる想いが凝縮されたものが私の中に突き進んできたのです。

(やばいい!立てないくらい気持ちいい!!)それから私は「あぁっ、、瑛士!!好き!好きだよ!!」とおもわず声が出てしまいました。瑛士も「うん!ありがとう!俺もあの日からずっとチーちゃんの事がすきだったんだよ!」と答えてくれました。

ですが、そんなひとときの濃厚な愛ですら一気に吹き飛ばす現象が待っていました。とにかく瑛士のが大き過ぎて、、カリという部分のエッジが鋭利過ぎて、、まだ30過ぎてまだ開拓されていない私の未到達の部分までこじ広げてくるのです!

千尋「嗚呼!!!気持ちい、、!嗚呼!アアッ!!瑛士!!」
瑛士「うん!あの頃と同じ、、懐かしい!俺もずっとチーちゃんの中に帰ってきたかった、、!!」
そして立ちバックではキスができない事に気がつく二人。すぐにお互いの気持ちが一致し、立ちバックから立ったまま片足を担ぎ上げて今度は正面から入れていきました。

この時にキスをしながら交わしたセリフはもう恥ずかし過ぎてこれ以上は書けません笑
瑛士「はぁっっ、、はぁっっ、、」
瑛士も本気で動いていたしお酒も入っているので疲れが出ている様子でした。
私は瑛士を座らせて大胆だけど瑛士の上を跨いで自分から中に導き腰を落としたのです。

(せめて最後くらい!!)私はもう恥ずかしいとか緊張するとかはありませんでした。瑛士の首にしっかりと手を回し、これでもか!これでもか!!ってくらい全力を込めて素早く腰を振りました。もちろんこの時のセリフも今は恥ずかしくて書けません笑
それでも最後のセリフだけは紹介しますと、、、

瑛士「そろそろイクから!」
千尋「大丈夫!そのまま出してもいいから!!!」
瑛士「ま、マジかよ」

この言葉を最後に交わし、、私の中が「さらに濡れて」きたのです。
中出しの経験をされた方ならわかると思いますが単純に膣の中で分泌されてる愛液にさらに精液まで加わるのですから一気に膣の中の滑走度合いが高まるのです。
この時私は(今、、瑛士と一つになってる、、なんの後悔もない、、、)と感無量でした。
そして私たちは過去に浜辺に置いてきた青春を取り戻したのです。





そして翌日、多少寝不足気味でしたが私たちは広島から西と東へと別れていきました。私には何の後悔もありませんでした。妊娠してたらしてたで、、それはその時考えようと考えも割り切れていました。むしろ夫や娘にとっても、もっといい妻であり母にならないと!と前向きな気持ちですらあったのです。

ですが妊娠はしませんでした。

あの日から瑛士の奥さんとも連絡先を交換し、しばらくは頻繁に連絡をとりあう日々が続いた頃、ちょうどアッチの話になったとき、、「うちはもう次は考えてないんですよ。だから瑛士も精管除去済ませててね、だから楽なのは楽なのですよね笑」と言われたのです。

私は瑛士が奥さんにいつも生で入れて中出ししているのか!っていう夜の営みも充実している夫婦仲を想像してしまい、またメラメラメラ!!と嫉妬心が湧かないあがってきましたとさ。笑

では2024年の話は終わりです。
 
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5
投稿者:(無名)
2025/08/15 11:50:16    (j5ivsNcO)
題名(〜初恋〜)に惹かれて読み始めたが、流石に長すぎで途中でギブアップした。もういいです。
4
投稿者:(無名)
2025/08/14 05:51:31    (o0v3GBIC)
ラーメン二郎にいって、「いいかげんにしてほしい。おおすぎ」っていいます?

嫌なら食べなきゃいいだけです。パッと見ただけで長い文章なのは一目瞭然なんだから。
3
投稿者:もういい
2025/08/14 04:03:27    (pWBdD4W9)
いい加減にしてほしい、長すぎ
2
投稿者:植村ちひろ ◆2tJVfP4bgc
2025/08/13 16:39:44    (RGe5/HIk)
20xx年 植村家に終末の日が訪れた。

終末の日より遡るある日のこと。

父「今年も広島にいくのか?もう子供じゃないんだから別に毎年毎年行かなくてもいいだろうに。夏休みなんだから集中ゼミで勉強のほうも地固めしないといけないし、部活はどうなってるんだ?」
千尋「部活は夏休みは出ないって言ったよ。おばあちゃんとこいくんだから♪」

こうして当時の私は広島行きを反対する父の意向を払いのけ単身、広島の祖母宅へと向かったのです。
父が心配したその理由。それは私が初潮を迎え乳房も膨らみ、俗にいう「年頃」になっていた娘の一人旅を案じての事でした。

ですが思考回路は子供のままの私からすれば父の心配なんてなんのその。
広島に行くだけで父母からのお小遣いがもらえるし、さらに祖母からのお小遣い、そして親戚からのお小遣いと夏はかきいれ時だったのです。
それに、、年に一度しか会えない瑛士君との再会。明確な恋心はありませんがそれに似たようなドキドキした感覚も持っていました。

そして思惑どおりに事が進んでいきました。まだ若かった祖母と瑛士君と三人で広島駅で待ち合わせ。毎年毎年、会う度に「大きくなったねぇー」と言われながらお小遣いを貰えるのは孫の特権だと思っていました。
そして三人で祖母宅へと向かいまずは昼食。そして寝室に荷物を置くのですが、この時すでに祖母はある間違いをおかしていたのです。

それは父から祖母に「千尋はもう子供じゃないから。瑛士君との部屋は別で」と言っていたにも関わらず、祖母がいう「わざわざ部屋を片付けて用意するのがエライから(しんどい)」という理由で子供時代同様に瑛士君と二人の部屋になった事です。
あくまで今思えばですが、年頃の二人にとって慣れない環境で異性の二人で寝るという事が既に後の過ちに繋がる性的な高揚感をもたらす結果に結びついていたのかもしれません。ここは私も覚えているのですが電気を消した後、変にドキドキして寝れなかったのを覚えています。

ただ日中は子供時代と同じでした。毎日のように海に行き、たまに電車に乗って買い物にいったり、あるいは祖母と共に親戚の家回りをして時間を過ごすだけ。あと墓参りですね。そんな感じで毎日があっという間に過ぎていきました。

ただ夜だけは何日経っても慣れずに眠れませんでした。ただドキドキするのです。本当にそれだけでした。
そしてその夜がやってきたのです。。

私がいつものように眠れずにギラギラしていると、気のせいか暗闇の中で瑛士君が近寄ってきている気配がするのです。私はきっと瑛士君も眠れなくて私を驚かそうと何か画策しているのかと思いました。瑛士君はそういう事が好きな子なのです。
私も眠れなくて辛いし、子供の時はよくら枕投げやプロレスごっこ等をやって怒られたりしていたのでそんな展開にまたなれば面白いなぁ、、なんて考えていました。

ですが、、近寄ってきた瑛士君はあおむけに寝ている私のアソコをパジャマ代わりのジャージの上から、サッ、、と指で触れただけで元の位置に戻っていったのです。私は頭の中がパニックになり、、そして気がつけば朝になっていました。

その日から毎夜のように瑛士君は私に接近するようになってぎした。今この年で考えると、彼も彼なりに年齢的に制御し難い性的高揚感と葛藤していたのだろうと理解出来るのですが、初日はかなり緊張したし怖かったです。

そして夜に接近されてアソコや胸を一瞬タッチされる夜が続き、私もあるいみ慣れてきました。今日も何かしてくるのかな?と待っていたくらいです。
それはなぜか?やっぱり彼の事が好きだったからです。
私が好きな瑛士君が、私に興味を持ってくれて葛藤しているのです。私にはそんな瑛士君の行動を否定する事は出来ませんでした。

その四日目くらいの話です。この時は服装がよくなかったのかもしれません。私は無頓着にも裾口が広がったハーフパンツをパジャマ代わりとしていました。
その夜、瑛士くんは接近してきたかと思うといつものようなタッチではなく、、ゆっくりとハーフパンツの裾の中に手を入れてきたのです。私はいつもと違う展開に少し驚きましたが、、、私もそういう展開に性的な好奇心をもっていたのは事実なので特に声を出したりはしませんでした。

薄明かりの豆電球の灯りの中、私はじーっと寝たふりをしました。いや私が寝てない事くらい瑛士君もわかっているとは思うのですが、どうしても悪い事をしているという感覚からコソコソしてしまうのでしょう。彼は慎重に慎重に手を裾の中に入れてきました。
そしてとうとう、、(あ、、パンツのとこまで触られた、、、)
と私が感じると、彼はここまで到達した事により何かが吹っ切れたのかもしれません。

瑛士「起きてるんだろ?」
千尋「うん、、、」
瑛士「嫌がらないのかよ?」
千尋「わからない、、、」

そんな会話をしたと思います。
私が嫌がらない→だからする。
私が嫌がったとき→その時はやめる。
との暗黙の方程式が成立したのです。

そして瑛士君はきっと男の子だから、エッチな事を同年代の女子よりは知っているのだろうと思いました。なぜなら彼がその後に触れてきた部分は、あきらかに私のクリ部分だったからです。

瑛士君は黙々と私のクリを指で触ってきました。その触り方はあまりにぎこちなく、、触ってる本人ですら(ここかな?いや、ここ?)と手探りしながら触ってるような感じでした。

私は(どこさわってるのよ!そこじゃないよ!)と指示したい気持ちは山々なのですが、私も未成熟な存在です。恥ずかしくてそんな事を言えるはずがありません。

ですが時折、クリーンヒットする感覚と異性に触られている、いや触らせている背徳的な興奮に支配されてしまい、、自然と「はぁ、、っ、、はぉっ、、」と声を出してしまいました。
それから瑛士君は私が特定のポイントに触れた途端、ビクッ!とカラダを震わせる法則に気がつき、彼は彼なりに攻め所を身につけた様子でした。

なによりも驚いたのは、、オナニーですらした事がない私が初めて経験した性的快感はこの時だという事でした。同じ年頃の女子の中では、「ここを触れば変な気分になるみたい」程度の漠然とした認識は私も持っていましたが、一部のマセた子を除き殆どの子は「ふーんそうなん」くらいのものでした。

そんな状態の私がオナニーという前段階をすっとばしていきなり異性に触れさせているのです。私は快感によって込み上がってくる嗚咽と性感帯への刺激を初体験し、カクカク、プルプルさせながらじっと耐えていました。

ですが、、瑛士君にとってもこの後の事は想定していなかったし何も考えたいなかったのでしょう。思いのままに私のクリをパンツごしに触り続け、、、そしてキリがないので無理に眠っていったのです。

この日から、、毎晩、瑛士君に代理オナニーをさせる夜が続きました。すると瑛士君も少しずつ慣れてきて、代理オナニー5夜目には私のジャージを脱がし、開脚させながら触ってくるようにもなっていました。

瑛士君は本当に素直な気持ちでオンナのカラダに興味関心があるのが伝わってきました。瑛士君はおそるおそる、、パンツを脱がしてきたのです。。
そしてじーっと私のアソコを見つめ、、舐めるわけでもなく触るわけでもなく、、まだ生え揃わない陰毛をフワフワと指で触ったりしながら観察をしていたのです。

触る
触る 脱がす
触る 脱がす 眺める
触る 脱がす 眺める クンニ
触る 脱がす 眺める クンニ フェラ

という段階をもって私たちは日にちをかけて慣れていきした。

代理オナニー開始から10日目くらいでしょうか、、もう触ることには完全に慣れていて、もう寝たままとかではなく、互いに膝立ちして抱き合いながら触られたりしました。私も硬くなった瑛士君の股間を掴み、なんとなくマッサージのような動きもし始めてました。

すると瑛士君はどこで覚えたのか、、、抱き合っていると急にモゾモゾと私の股にもぐりだし、こともあろうにペロペロと私の性器を舐めてきたのです。

はずかしい!気持ちいい!精神的にやばい!私のあそこ、、瑛士君に舐められてる、、!!

私たちはシックスナインに入ろうとしていました。とはいっても下半身を脱がされているのは私だけ。私の顔前に硬くなった陰部が格納されている瑛士君のパジャマが至近距離に迫ってきたのです。

私は初めての新鮮なクンニの感覚にいつまでも浸っていたかったのですが、そうもいかない展開になってるのはわかりました。なぜ瑛士君がマッサージをできるようになった私に股間を預けたのか?その意味はすぐにわかりました。

私は瑛士君のパジャマズボンから初めて見る勃起した男性器を見ると、、瑛士君が舐めてる以上、私も舐めないといけない!と思いました。そして私は無我夢中で口の中に入れていったのです。

瑛士君は思わず、「き、、きもち、、、!」と声をだしていました。
私はこんな感じでいいのかなぁ、、と無我夢中でフェラをしましたが結果、射精させたところをみるとよかったみたいです。

そして、私たちは挿入行為以外のことならなんでもする関係になっていきました。挿入だけは怖いし、避妊具もないので出来ない。それでもなんとか入れようとチャレンジしましたが私の性器がとてつもなく硬いのと瑛士君が緊張して中折れしてしまうのが原因で簡単には入りませんでした。
そして挿入失敗してからは指で中をこじ開けて挿入空間を作り、、挿入前の開拓もしていきました。

そして、、、指2本くらいが問題なく入るようになり、、私たちは「こんなばーちゃんの家じゃなく」と神聖な儀式をあの例の浜辺で行うことにしたのです。

結果、、浜辺で私たちは性交する事に成功したのです。指での開拓が功を奏したのか、、一度先端だけ入ると後は問題なく奥まで入っていきました。
この時の行為は私の中での大切な思い出なのでこのあたりにしておきますね(ごめんなさい!)

そして無事に外だしも成功。私たちは瀬戸内海が見える浜辺で、、、「付き合おうよ。離れてても、親戚どうしでもいいじゃん。親なんて関係ないよ!」と未来を誓い合ったのです。

ですが。。。

私と瑛士君の性行為に至る過程は、全て祖母に勘づかれていたのです。単純な理由ですが、毎夜のようにミシミシと夜中に木造住宅をきしませ、喘ぎ声を出し、翌日には愛液で濡れた下着を祖母に洗濯させていたのですから無理はありません。あまりに私たちは幼い感覚しか持ち合わせていませんでした。

祖母はそれから叔母に相談。祖母からすれば私の父や瑛士君の父に直接相談する訳にはいかなかったのでしょう。
すると叔母は「あの子らまだ子供やけん!」と私たちの父母に実態を報告。すると翌日には私の両親と瑛士君の両親が広島の祖母宅にきて、、そうとも知らない私たちはその夜も瑛士君と夜布団の中でエッチな事をしていたのです。

私と瑛士君が一緒の布団に下着姿で寝ていると、翌朝、目の前に「千尋!瑛士!!」と鬼のような顔をした母と瑛士君の母が立っていました。
私たちは驚き「ひやぁ!」と変な声をあげました。すると母がいきなり、「ちょっと見せなさい!」と私のパンツを脱がし、下着にセックスの痕跡がある事を確認し、さらに膣まで指を入れられました。
すると母はいきなり私に猛烈なビンタを炸裂。もちろん瑛士君もお母さんに叩かれてまくってました。

そしてジャージなど簡単な服をとにかくきて引き摺り出されるように階段を降りると、「だけら言っただろ!こんな間違いがあるから一緒に寝かせるなって!俺は最初から反対だったんだ!」と父が祖母に怒りくるい瑛士君の父はその場で瑛士君をボコボコ。

祖母は泣き喚く。母同士は謝りあう。瑛士君はボコボコにされる。父は吠え散らかす。私は立ったまましんだふり。

そんな終末の光景があらわれたのです。
それから私たちは親からの取り調べを受け、避妊せずに性行為をした事を自白。のち私は妊娠検査薬へ→陰性。

それから親族間で話し合った結果、私たち家族は葬式や法事でもない限り千尋、瑛士を連れて顔を合わさないという条約が締結。
即座に家に帰る事が決定し、最後の最後で「瑛士!おまえなぁ!!お前に俺たち親がどんな気持ちかわかるんか!」と最後のワンパンを私の父が瑛士君にくらわしてました。

私たちの恋は引き裂かれ、最後の最後まで「千尋ちゃん!」「瑛士君!!」「千尋ちゃん!!」「瑛士君!!!」と無理やり車に乗せられて広島を後にしたのです。

さて、書いてて後半、なんだかコントみたいになってしまいましたが、これが私の浜辺に置いてきた誓いの青春でした。

では読了お疲れ様でした!ありがとうございました。(^.^)
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