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2021/12/28 19:16:06 (jJCEaunK)
昨年、東京にある大学を出て実家に戻り、地元に就職した24歳の会社員です。
乳には内緒ですが、大学4年の1年間、元継母と会っていました。
元継母は、幼い頃に実母を亡くした私が小学1年生、妹が年少組の頃から、私が中学3年、妹が小学6年までの9年間、父と結婚していました。
私が高校生になる直前、父と元継母はいきなり離婚してしまいました。
私も妹も、亡くなった母より元継母の記憶の方があって、なぜ継母が急に出ていかねばならないのか、理解できていませんでした。

私は、高校を出ると進学のために上京しました。
大学1年で4年生の先輩に誑かされるように童貞を捨て、女体を覚え、大学2年の時に短大生で処女喪失を経験し、短大生と2年間付き合って、短大生の卒業で別れました。
大学3年の正月に帰省した時、古い年賀状を処分しようとしました。
我が家では、過去3年の年賀状は保存し、4年前になったものを処分していました。
その時、4年前の年賀状に元継母が父に宛てた年賀状を見つけました。
年始の挨拶と、父や私たちの息災を気遣う言葉が書いてありました。
私は、元継母の年賀状の住所が東京だったので、それを抜いて、4年前の年賀状を処分しました。

大学に戻り、年賀状の住所から元継母の居場所を探しました。
元継母は、東武練馬駅の近くのアパートに住んでいました。
どうしようか迷いましたが、とりあえず居場所だけ確認して、戻りました。
そして、卒業する短大生の彼女とお別れして、彼女を見送ってから元継母と向き合いました。
大学3年が終わった春休みのある日曜日、元継母のアパートを訪ねました。
6年ぶりの再会、元継母は、一瞬、私が誰だかわからなかったけれど、
「純也?もしかして純也なの?」
というと、玄関で私を抱きしめました。

当時元継母は48歳、森口博子さんに似た感じの可愛らしい顔で、髪型がソバージュパーマになっていました。
私は、継母から来た年賀状を見せました。
「ああ…これ、別れてそろそろ2年の頃、なんだかあなたたちが懐かしくなって、出したのよ…お父さんから、大丈夫だから心配するなって返事が来たわ…」
私は、元継母に離婚理由を尋ねたら、
「お父さんと一緒になるとき、純也が中学を出るまでと決めて再婚したの。私ね、子供が産めない身体で最初の旦那さんと離婚したから、再婚はシングルファザーの子育てをしようと思って。」
「でも、離婚する必要はないでしょ?」
「お父さんは、あなたを産んだお母さんと一緒のお墓に入るでしょ?私はお邪魔…」

この日から、私と元継母の交流が始まりました。
お彼岸に帰省した時も、父や妹には内緒にしていました。
古里のお土産を持って大学に戻り、すぐ継母に会いに行きました。
お土産を見て、元継母が、
「あら、懐かしい…」
と遠くを見つめるような目で、お土産を食べていました。
この日、まだ春休み中で継母の仕事も翌日休みだったので、継母の手料理を食べて、お風呂に入った後、元継母が持ってた私の中学時代のジャージを着て、少しお酒を飲みました。

お酒が入ったら、パジャマ姿の元継母が色っぽく見えてきました。
元継母が、ソバージュパーマのスレンダーな美人なおねえさんに見えました。
元継母も酔ったのか、私を字と見つめて、私を抱き寄せて、
「本当に大きくなって。大人になって…」
と言いながら頭を撫でてきました。
その時、元継母の身体から、シャンプーの香りに混じって、甘いメスの香りがしました。
元継母の女の匂いを嗅いだ私のペニスは、グングン頭をもたげ、ジャージにテントが張りました。
「か、母さん…ちょっとマズいよ…」
元継母は、私のペニスが勃起しているのを見て、少したじろぎました。

しかしその後、
「私でそんなになったのかい?それとも、春休みで彼女と離れててたまっちゃったのかい?」
私は、彼女とは彼女の卒業で別れたことを話し、
「母さんから、女の人のいい匂いがして、そしたら…」
すると元継母は、私のジャージに手をかけパンツごと下げてペニスを出すと、パクっと咥えました。
「母さん…俺、母さんの下のお口に入れたいよ…」
元継母はパジャマを脱ぐと、年のせいなのか、若干小ぶりな乳房が垂れかかっていました。

下のヘアは刈り込まれてデルタ地帯、元息子に股を拡げられて、恥ずかしげにしていました。
元継母のオマンコは、ラビアの色素がかなり沈着が進んで濃い紫色でしたが、ラビア自体は小ぶりで、クンニしたらトロトロに濡れました。
コンドームをしようとしたら、
「私は大丈夫よ。そのまま中にお出しなさい。」
と言われ、正常位で生挿入しました。
元継母のオマンコは、暖かくてとても気持ちよく、別れた彼女よりきつくて、5分で元継母の中に漏らしてしまいました。

生れてはじめての中出しでしたが、元継母は私に抱きつき、
「純也…純也…このまま抱きしめていて…」
と言われ、繋がったまま抱き合っていると、元継母にキスを求められ、元母子が舌を絡めてディープキスをしました。
すると、元継母のオマンコの中で、私のペニスがムクムクと再び勃起して、抜かずの二回戦が始まり、継母がヒンヒンと淫らに喘ぎ、二発目を搾り取られました。
けっこy句この夜、抜かずの三発を経験し、翌朝、朝起ちで一発、お昼を食べて一発、計五発の射精を元継母のオマンコに注ぎ込んで自分のアパートに帰りました。

私は、大学4年の1年間、週末は元継母と過ごしました。
そして、27歳の年の差を超えて、元母子で愛し合いました。
元継母の熟した身体、使い込まれたオマンコに、週末の度に五~六発の射精を中出ししました。
夏休みも卒論を理由に終活以外は帰省せず、元継母の部屋に入り浸って、毎晩二~三発の射精を中出しし続けました。
私の精液をオマンコから垂れ流しながら、元継母は、
「純也…私はもうヘロヘロだよ…でも、愛しい純也にこれだけ愛されて、女としての幸せを感じるよ…ありがとう、純也…」
汗ばんでほつれ髪がくっついたうなじが、とても艶かしかったのを覚えています。

2月下旬、大学を卒業して地元に帰る私と、元継母とのお別れがやってきました。
単身パックを実家に送り、元継母のアパートで最後の夜を過ごしました。
もう見納めの垂れかけた乳房、濃い紫のラビア、逆流する私の精液、全て脳裏に刻み込みました。
抜かずの四発をやっと決めた後、
「母さん…もう起たないや…」
「もういいよ、十分だよ、純也…」

翌朝、元継母の最期の朝食を食べて、字kkに向かうために東武練馬駅に向かうために、元継母のアパートを出ました。
「これから私も仕事だから、ここでお別れするね。元気でね、純也…さよなら…」
「母さんさよなら…また、遊びに来るね…」
「ダメよ、純也。今日で最後。二度とここを訪ねちゃダメ。私たちは赤の他人。」
「そんな…俺たち、あんなに愛し合ったじゃないか…」
「だからもう終わり。私と純也は男女の仲で母子じゃなくなったの。恋人だったから、お別れしたら赤の他人に戻らなくちゃダメなの。前に進むために…」
「さよなら…なんだね…」

「そう、さよならよ…」
そういうと、元継母は玄関をゆっくり閉じました。
東武練馬に向けて歩く途中、何度も振り返りましたが、元継母のアパートの玄関が開くことはありませんでした。
ひとり、東京駅から新幹線に乗り、故郷へ帰りました。
心に元継母との思い出を抱えて、それを父や妹にも言えず、過ごしました。

昨年、元継母に年賀状を出しました。
翌年、宛先不明で戻ってきました。
父や妹に見つかる前に私が見つけて処分したので、事なきを得ましたが、その後、ラインもメールも繋がりませんでした。
元継母は、私の行動をお見通しで、完全に消息を絶ってしまいました。

写真を一切撮らせなかった元継母に隠れて、一枚だけ隠し撮りした写真がスマホに残っています。
それは、お出かけ先のラブホで、鏡の前でバックから元継母を突いている場面で、鏡越しに撮影されたものです。
感じて蕩けた表情の元継母の可愛らしい顔と、肛門まで映った結合部の写真です。
「母さん…さよなら…」
私は、消息を絶った元継母の意思を尊重して、前を向くために、300回は中出しで交わったであろう元カノである元継母の写真を、スマホから消しました。
そして、育ててくれた恩と、300回も中出しさせてくれた愛を、一生忘れないで生きていこうと思いました。
 
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投稿者:(無名)
2021/12/29 20:20:57    (GO4jNDXk)
切ないね。
でも、継母さんは、きっと幸せだった思い出で生きてるさ。
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