ナンネットID のアカウントをお持ちですか? ログイン ログイン
ナンネットID
 
1
2020/04/11 18:41:42 (cOXALpGG)
私は、7歳上の兄と3歳上の姉がいる末っ子で、放ったらかされて育ちました。
彼女は小5の頃からいて、ファーストキスは小6、初セックスは中2、高校では2人の同級生の処女膜を破って、後にバレて修羅場を演じたり、典型的なヤンチャ末っ子でした。
大学は、兄と姉は地元の国立大を出ましたが、私は隣の県の政令市にある二流私立大で、兄のお下がりの車で女の子をナンパして、やりたい放題の不良学生でした。
そんな私もマトモに就職して、結婚することも出来ました。

もう、遠い昔の話です。
結婚して10年、私が37歳、子供が生まれてから借りた一軒家に住んでいた頃の話です。
妻が病気で入院したとき、本家から義姉(兄の奥さん)が手伝いに来てくれてました。
当時、義姉は41歳、35歳の妻よりもグッと色っぽい女性でした。
私や子供たちの食事や洗濯、掃除までしてくれて大変助かりました。
ある金曜日、私が残業で戻るとまだ義姉が家にいて、
「さっきまで子供たちと遊んでたの。今日は遅くなっちゃったから、泊めてね。お風呂、湧いてるわよ。」
と言われて、私が先に風呂に入って出ると、
「ビール冷えてるから。おつまみっも作ってあるわよ。」
と言い残して義姉もお風呂へ入りました。
お風呂から出てきた義姉に、
「お義姉さんも一杯どうぞ。」
と、こんなふうに義姉弟で飲み始めたのです。

義姉も私もウイスキー党でしたから、ビールは1本で終えて、ウィスキーへ移行しました。
「ウィスキーも安くなったわよね~。これ、昔の特級ウィスキーよねえ。」
その当時はウィスキーの投球が廃止された後で、つい数年前まで、ウィスキーには特級、一級、二級と酒税法上の区別があり、特級はとても高価でした。
私は、義姉にウィスキーをこさえて、妻不在のお手伝いの労をねぎらいました。
「お義姉さん、本当にありがとうございます。何とお礼を言って良いやら。」
と言ったら、義姉も酔いが回っていたのでしょう、
「お礼なら、身体でしてくれてもいいのよ。」
と、トロンとした目つきでしなだれかかってきました。
色っぽい義姉に、パジャマの上から股間を撫でられ、勃起させられてしまいました。
「お、お義姉さん・・・」

二階の子供部屋が暗いのを確認し、居間の電気を落とし、玄関わきの夫婦の寝室へ義姉と共に入りました。
「お義姉さん・・・」
「誠二さん・・・」
名前を呼び合い、素っ裸で抱き合いました。
妻に比べて豊満な義姉の白い肌、そして豊かな胸を揉みしだき、ドドメ色の陰唇を広げて陰核を味わうと、義姉の色っぽい声が漏れました。
「ああ・・・誠二さんは舐めてくれるのね・・・」
兄はクンニしないのか、義姉は大そう喜んで濡らしてくれました。

義姉のフェラは妻よりも拙く、どうやら兄夫婦は前戯が疎かだと感じました。
「中には出しませんから・・・」
と耳元で囁いて、義姉の膣に生で陰茎を入れました。
「ああ~~・・・」
ゆっくりと義姉の膣内を味わうように腰を振りました。
義姉の骨盤を持って、義姉の膣の上部に亀頭が刺さるような気持ちで突き刺し、義姉の膣の上部を引っ掻くように引き抜きました。
「ああああ~~兄弟でも、全然違う~~」
と乳房を震わせました。

義姉を四つん這いにさせて、尻をがっちり抱えて後から義姉の膣に生の陰茎を挿入して、今度はガンガン腰を振りました。
パチンパチンパチンパチンと音を立てるたび、義姉の背中の肉が波打ちおました。
義姉は四つん這いを保寝なくなり、ガクッと胸を布団に突っ伏して、シーツを握りしめていました。
唸り声を上げる義姉を再び仰向けにして、足をV字に広げて結合部丸晒しの体勢で腰を打ち付けました。
「あ、あ、あああ、あああ、ああ~~」
義姉は激しく仰け反りながら、もんどり打って感じまくっていました。
私も、いつもより更に色っぽい義姉の艶姿に興奮して、
「お義姉さん、出ますっ!」
と言って義姉のお腹にティシュを乗せて、陰茎を抜いて射精しました。
「誠二さん・・・凄く気持ち良かった・・・」
と言って、義姉は恥ずかしそうに微笑みました。
暫くして落ち着いたら、再び居間へ戻って飲み直してから、義姉は客間へ、私は寝室で就寝しました。

その十数日後、妻が退院して日常を撮り戻しましたが、1年後に再び入院すると、今度は帰ってきませんでした。
享年36歳、妻は私と2人の子供たちを残してこの世を去りました。

途方に暮れた私たち親子に手を差し伸べたのは、今度は亡き妻の妹、義妹でした。
義妹は当時32歳でまだ独身、私立幼稚園の教諭をしておりました。
小学校低学年の私の子供たちは、放課後、小学校と私の家の中間にある亡き妻の実家に身を寄せていました。
当面は義母が孫を可愛がっていましたが、義妹が仕事から帰ると、義妹が子供たちの面倒をよく見てくれました。
子供の扱いはプロなので、義母のように甘やかすことなく子供たちを上手にコントロールしていました。
 
レスの削除依頼は、レス番号をクリックして下さい
10
投稿者:同年代 ◆8F8uC4qYww
2020/05/23 13:49:06    (jb0JcM2Q)
スケベ心を誘いつつ、大変感動しました。^¥^
9
投稿者:なんすぃ ◆KYT1fUdonE
2020/04/26 10:34:21    (GT267f/b)
感動した!
8
投稿者:(無名)
2020/04/21 11:08:03    (Z0sEtxYn)
これは良い話!
7
投稿者:(無名)
2020/04/13 17:54:32    (DmsWD2Dy)
エロいだけでなく、良いお話でした。
6
投稿者:M
2020/04/12 23:51:09    (FuLL/iqH)
良い話を有り難う!

5
投稿者:(無名)
2020/04/12 22:33:12    (rRqMsORd)
深い話だったんだな。
話がついていけない部分は、ジェネレーションギャップだったんだね。
4
投稿者:誠二 ◆tql7D2uWws
2020/04/12 19:23:09    (yeWd07y2)
妻の四十九日、一周忌と過ぎ、子供たちは次第に義妹に懐いてゆき、休日も亡き妻の実家へ行きたがるようになりました。
義父母はとても喜んでいましたが、私は、いつまでも亡き妻の実家に世話になるのはマズいと思い始めて、休日は家で子供たちと過ごすよう努めていたのですが、今度は子供たちに会いに義妹が我家を訪ねてくるようになりました。
こうなると子供たちは完全に義妹のペース、ついには、
「おばちゃん。私たちのママになってよ。」
と言い出す始末でした。

これが義父母の耳にも入ったため、私と義妹の再婚話が持ち上がったのです。
義妹は、義父母から早く嫁に行けと言われ、幼稚園では若い先生が多くなって三十路先生が疎まれだしていた事もあって、子供たちが可愛くて仕方がない義妹は再婚話に乗り気でした。
しかも、義妹と私を結婚させることにより、義父母は孫が知らない女の子になる心配を払しょくできるのですから、強力に推し進めよう稚してきました。
当時、私は妻を亡くして1年半、まだ、妻がいなくなった現実と向き合えていませんでした。

しかし、妻の三回忌の時、
「あの子が亡くなって、二年かあ・・・早いものね・・・」
という義母の言葉にハッとしました。
そうだ・・・妻はもういないんだ・・・前を向こう・・・そう思いました。
そして三回忌が終わった後、義妹に、
「お義兄さん、私はお姉ちゃんの替わりにはなれませんか?」
と言われました。
「あいつの替わりなんか誰もなれないよ。俺もそう考えてたから、先に進めなかったんだと思う。でも、子供たちの新しい母親とか、俺の新しい嫁さんとか、そういう次元で考えたら、再婚もアリかと・・・」

私が亡き妻の妹と再婚したのは24年前でした。
私40歳、亡き妻の妹は34歳で私の新しい妻となりました。
私と結婚して妻となった年度を最後に、妻は幼稚園を退職し、家庭に入りました。
そして私たちの新しい家族は、賃貸の一軒家を出て先妻と妻が生まれ育った妻の実家へ入り、私はマスオさん状態となりました。

私と妻は挙式しませんでしたが、小5と小3の子供たちを義父母に預け、婚姻届けを出した日に新婚旅行には出かけました。
最初の宿泊地は東京、そこで、夫婦初めての夜を迎えました。
世の中はバブルが弾けて景気が後退していましたが、東京の夜は賑やかでした。
今まで義兄妹だった二人が迎える夫婦としての夜は、とても気恥ずかしいものでした。
「10年以上してないから・・・」
と裸を見せてくれました。
「可愛いよ・・・」
「恥ずかしい・・・」
亡き妻の陰唇は、私に愛され続けて紫色に延びていましたが、妻は30代とは思えない美しい陰唇で、クンニにトロトロと愛液を垂れ流しました。
「あはあ・・・」
恥じらいながらも久しぶりのクンニに感じていました。
フェラは・・・そこそこ上手な舌使いで、そう言えば兄貴の奥さん、義姉よりは巧いなと思いました。
夫婦だからと生で入れました。
メリメリと突貫するような感覚、それでも奥まですんなりと入りました。
10年以上していないからなのか、元々未開発なのか、陰茎の抽送にはクンニほどの快感を得られていないようでした。
その後、熱海に2泊、別府に2泊して、最後、再び東京に1泊して新婚旅行を終えました。

再婚した時既に40歳だった私は、妻との間に子度は作りませんでした。
それでも妻は、妻にとっては姪っ子と甥っ子の2人の子供たちを我が子のように可愛がり、育て上げてくれました。
今年、再婚して24年、私64歳、妻58歳、すっかり夫婦が板についています。
先日、亡き先妻の二十七回忌法要を執り行いました。
私は、4人の孫に囲まれて、
「この孫たちを、お前に見せてやりたかったなあ・・・」
と心の中で思いながら、まだ30代のままの先妻の遺影に手を合わせました。
「お姉ちゃん・・・約束通り子供たち、ちゃんと育てたよ。」
と妻が言いました。
もしかして、先妻は私と子供たちを妹に託すような遺言を伝えていたのかもしれませんが、あえて、今更尋ねませんでした。
「私達、姉妹で一人の男性に愛されたんだね・・・本当に姉妹だね・・・」
というので、穴兄弟って聞いたことあるけど、この場合は竿姉妹っていうのかな?などと、法事の席でけしからんことを考えていました。

そこでふと、妻は元々は義妹だったんだなあと、改めて思ったら、そう言えば、先妻が最初に入院した時に兄貴の奥さん、義姉と関係したっけなあ・・・と懐かしく思い出されました。
私は、義姉とも義妹とも関係したことになるのか・・・と思ったら、
「俺って、元々ヤンチャな末っ子だったっけ・・・義理の姉妹をハメ倒しか・・・俺らしい人生だったな・・・」
とブツブツつぶやいていたら、ヤンチャだった若い頃から義妹との再婚までの出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡り、誰か読んでくれるかなと文章にして投稿してみた次第です。

64歳のジジイの戯け噺を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
3
投稿者:M
2020/04/12 06:28:13    (GmAWSJWb)
義妹との顛末もお願い致します_(..)_
2
投稿者:(無名)
2020/04/11 22:42:00    (uyyyip5Z)
これって、続きますかね?
レス投稿フォーム
名前
トリップ[]
E-mail
※任意
本文

投稿文に自動改行は行われません、適宜改行を行ってください。 # タグ使用不可
「sage」
※投稿を上げない
画像認証

上に表示されている文字を半角英数字で入力してください。
動画掲示板
画像で見せたい女
その他の新着投稿
人気の話題・ネタ
ナンネット人気カテゴリ
information

ご支援ありがとうございます。ナンネットはプレミアム会員様のご支援に支えられております。