2019/04/04 18:53:09
(Ti17lTe5)
義母の部屋に布団を敷いて、義母の足を拡げてクンニすると、
「ひゃあっ!そ、そんなところ舐めて、ああっ!恥ずかしい・・・」
お義父さんは舐めてくれなかったようで、お義母さんはかなり恥ずかしがっていました。
女豆を吸うようにして舌で転がすように舐めると、
「あああ~~~ひい~~ああ~~ああああぁぁぁぁぁぁぁ」
ヒクヒクと腰を震わせながらイッてしまいました。
ハアハアと息も荒く 焦点の合わないめで宙を見つめる姿は、いつものお淑やかで可愛い義母ではなく、発情した淫女でした。
その義母の目の前に男根を差し出すと、ニコリと笑いながら舌でペロペロ舐めてくれましたが、フェラするには至らなかったので、義母と義父はクンニやフェラをしない夫婦だったのでしょう。
義母の股を開いて 男根を女孔にゆっくり入れていきました。
「あああ・・・か、硬い・・・」
義母の女孔の中は熱いくらいで、しかもヒダが絡みついて凄く気持ち良くて、なぜ義父がこれほど気持ちいい女孔を愛用しなかったのか分かりませんでした。
亡き妻のようなキツキツ感はありませんが、ざらつく絡み感が気持ち良くて、狂ったように腰を振り続けました。
「ああ~~~~ああああ~~~~ひいぃぃぃ~~~~」
義母が乳房をユサユサさせて喘ぎました。
義母を抱き締め、ゴロンと回転して義母を上にすると、義母は腰をクイクイさせて腰を振り始めました。
髪を振り乱して腰を振る義母の乳房を鷲掴みにして、下から腰を突き上げると、唸りながら今まで見たことないエロい表情で再びイキました。
「ああ・・・こんなになったの、久しぶり・・・」
とにかくすぐにイッてしまうので、私の男根は義母をまだまだ義母の女孔を求めてビクビクしていました。
今度は義母をうつ伏せにして足を開かせると、肛門まで丸出しの痴態を楽しみながら、後ろから突いて突いて 書いk回すと、またまたあっという間に義母もイキました。
正常位に戻って、抉るように女孔を突くと、義母は仰け反り始めていく寸前だったので、
「お義母さん、今度は俺もイキそうです。中はマズいですか?」
「な、中に、中に出して・・・あの子の精液を私にもちょうだい・・・ああ、あああ・・・」
腰を想い既知バンバン音を立てて突きました。
「お義母さん、イキますっ!」
「出してぇ~~」
仰け反る義母の女孔の中に、ドクドクト精液を流し込みました。
義母の腰の下にティッシュを数枚敷いて、男根を抜くと、ドロドロどろ~~っと女孔の中から精液が出てきました。
私は、亡き妻にもしてあげたようにティッシュで精液を拭き取って、最後は折り畳んだティッシュを女唇にあてがい、後始末を完了して義母にキスして義母の部屋を出て、娘が寝ている二階の亡き妻の部屋に向かいました。
こうして、義母と私は男女の中になったことで、私と娘は、そのまま亡き妻の実家で暮らすようになりました。
今年、私は43歳になり、義母は還暦を迎え、娘は小5になります。
義母と身体を重ねるようになって6年が過ぎ、義母を愛する心も芽生えています。
私が義母を週3~4回は求めるので、義母との性生活は1,000回を超えて、義父と10年近くレスだった義母の女唇もすっかりドドメ色になりました。
還暦を迎える年になっても、亡き妻同様童顔の義母は、40代のように可愛いので、娘と3人で街に出ると親子と間違えられます。
小学校低学年の頃は、娘も、
「ママじゃないよ、婆ちゃんだよ。」
といちいち訂正していましたが、今は義母が母に間違えられても訂正しません。
もしかしたら、私と義母がまるで夫婦のように暮らしているからかもしれませんね。
でも、性生活だけは娘に悟られないよう、注意して営んでいきたいと思います。
最後に年齢についてですが・・・
私と義母が初めて関係したのは、実は、妻と義父の四十九日法要が終わった1か月後でした。
でも、それはあまりにも不謹慎なので、三回忌の後と、2年間ごまかしました。
でも、そういう事をすると、どこかに歪みが出るのですね。