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2025/12/28 05:48:31
(BMdeOjJX)
母は昔から、チャランポランのアッパラパーでした。
なので昔から現在に至るまで、私は母に怒られた記憶がほとんど有りません。
なので、私の教育は父が1人で行い、家事は学生時代から私が担当していました。
父はご想像の通り、ブラック労働しか能のない平サラリーマンです。
母と初めてセックスしたのは、高校1年生の時でした。
女友達すら碌におらず、童貞卒業に四苦八苦していた私は、ある日ふと思ったのです。
「このアホの母なら、理由づけ次第でセックスできるのでは?」と。
母は祖母の厳しい教育のおかげで、一応の社会生活は可能です。
しかし常識的行動の意味や意義を理解しているのではなく、「こうしないとお母さんに怒られる」というだけです。
なので母とセックスできるかは、いかに祖母の縛りをかいくぐれるかでした。
結論としては「お母さんがセックスさせてくれないと、近所の同級生を襲っちゃう」でセックスできました。
母もかなり迷った末でしたが、上手く「息子とセックスするより、同級生を襲う方が怒られる。息子とセックスして、隠すしかない。」という方向に誘導できました。
一度セックスしてからは簡単でした。
母の抵抗など勢いだけで突破できますので、すぐに1日に何度もセックスできるようになりました。
父は毎日夜遅くに帰宅し、寝て起きたら仕事に行っての毎日でした。
日常のお金の管理も私がしていたので、ゴムを必要なだけ買うのも簡単でした。
母の膣がもたず、口でするようになり、1日の回数も激増しました。
母は昔から細身で身長も低かったので、高校生の時には既に私の方が体格で勝っていました。
なので余計に、母は私にされるがままでした。
高校3年間で、母は生オナホの性玩具と成り果てました。
大学を卒業する頃にはマンネリ化していましたが、オナニーに飽きは来ません。
いつでも自由に母の体を触り、母に口で処理させ続けました。
父は出社も早いので、私はその後で母を全裸にし、口で処理させてから出社しました。
家の管理と母の見張りの為に、私は毎日定時上がりできる職に就きました。
なので私の気分次第で、いつでも母とセックスできました。
こんな生活を続けて現在、私はアラフォーで母は還暦を過ぎました。
母は相変わらず細身なので体の崩れが少なく、性生活ゆえか年齢のわりに体は若々しいです。
なので、セックス相手としての魅力はだいぶ減りましたが、性処理用の生オナホとしての魅力は健在です。
老人ホームの値段が上がりましたので、父も70近くまで働く羽目になる予定です。
母は年齢と共にアホが悪化している為、閉経後も中出しを全力拒否し続けています。
しかし母に中出しなんかしたら、激しく動揺してミスが爆増するので、私としては中出しできない不満はありません。
まぁ、ビジュアル的に耐えられなくなるまでは、このまま生オナホとして使い続けるつもりです。