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2020/07/11 00:24:14 (hTnCZyrD)
先に書いておきますが私と母親はSEXの関係はお互いに、暗黙に絶対にいけないと感じていて最後
まで守りましたがそれ以外は破天荒な関係になりました。

私は思春期のセンズリを覚えたのが中二の4月でした。それから中三になるまでの1年間の間に
友人宅で友人の母親のパンティドロを2軒で5回やった。最初の1軒目は友人了解のドロだった。
今思えば子供の発送は大胆というかバレル事など考えなかった。
当然、我が家の母親に疑いの連絡が来て母親に部屋中を調べられてドロしたパンティを没収されました。
こんな事が1年程続きまたショーツドロがバレた時は母に叱られたというより悲しまれたような感じでした。

数日後の夜に私の部屋に来た母が「二度と人の物は盗らないで」と言うと大きな封筒を置いて部屋を
出ました。封筒の中身はパンティでした。母も私のパンティドロの目的はズリネタの匂いだとの想像は
できていたので薄く汚れた母のパンティだと分かりました。
それまでは母親は精神的に性の対象外と無意識に思っていたのですがこれが切っ掛けで母親も性の対象に
なりました。というか一番身近な女だと意識しました。
それに、母を女と意識すると母がセクシースタイルの結構な美女に気付き、一時期余計にセンズリの回数が
増えたりSEX出来ない代わりに部屋の壁にパンティを飾ったりと変態の領域にも入りました。

それから高3進級の春までの約3年間、母とパンティについては一度も会話をしていませんが母はパンティを
毎日洗濯ネットに入れて洗濯機にいれておき、時々私が持ち出して数日後にネットの中に返す事がお互いの
暗黙になっていました。
ただ可笑しい事に3年という歳月はお互いに慣れてしまうもので高3の春の私の口説きからお互いに大胆に
なりました。そのころはネットの投稿サイトなどに触発されていましたので母をモデルに下着写真を撮影
したくてしかたが無かったので口説き続けていて、一線(SEX)は超えない約束で母からOKが出たのです。
当然、サイトに投稿しますので、また母を口説く時にサイトを見せたりしてありましたので案外と楽に
セクシーポーズを採ってくれましたがそのたびにチンポをギンギンにしながら母に笑われながら撮影しました。

そして更なる転機が訪れました。いつもは私のお気に入りのピッチリパンティやTバックなのですが父が
出張の日曜日の昼にいきなり撮影をおねだりした時に母から「普段のお仕事パンツだよ」と言われましたが
それでもとおねだりをすると先ずは洋服姿から始まり徐々に下着姿になっていきました。
ブラとパンティだけになりソファーに横になりセクシーポーズをお願いすると母はいつものようにM字開脚や
ソファーの背もたれに片足を掛けたりとしてくれました。そうです、このソファーの背もたれに片足を
掛けての開脚の時に、普段履きパンティだったのでクロッチがマンコに密着しておらず隙間とズレがあり
横の隙間からマンコが丸見えでした。
チンポがギンギンになりましたが母に悟られないように母の顔を入れたり接近したりでここぞとばかりに
連射をしました。あまりの連射の多さに母が不思議そうに問いただすので少し迷いましたがありのままを
母に伝えると母はひどく狼狽しました。
私は母の気分を変えてはなるものかと思いつく限りの言葉で感激と興奮を母に伝えました。
そして母が見たいと言うので撮影写真を見せると思いのほかマンコがはっきりと撮れていて母からは
削除を依頼されましたが私の宝物と言って拒否しました。

後でPCに取り込んで撮影写真を良く見ると当時まだ41歳の母のエロ写真が宝物に思えました。
学校の不良女史のマンコとは違うマンコと母の穏やかな顔の対比が今までのエロ写真に無いものでした。
その後の母との関係はつるべ落としのようなものです。
マンコ写真を撮られた母も開き直ったのでしょう。

翌年に高卒、志望校に入学。新生活の始まったワンルームマンションに初めて母が一人で泊まりに
来た時に母と二人だけの約束の志望校入学祝い。それはパンティを脱いでの撮影会です。
私も準備にバイブやローションや疑似精液を作ったりと準備をしておきました。
もうやりたい放題の撮影会になりました。

そのころ私はすでに彼女もいました。ですが、スタイルがセクシーで一般的美人の熟女の母親。
夜の化粧を落とした寝顔を彼女と比べれば100%のオバサンの母。
だけどパンティを脱いで優しい母親の表情で股を開き見せてくれるマンコの表情には魅了されました。

私も彼女を持って余計に母の性も想像します。父や、おそらく職場関係等で数えきれないほどの
SEXをこなしてきたと思わせるような肉ビラの大きさ、開き具合、Lサイズバイブが簡単に
に見込みそれに見合うお汁を垂らしバイブの出し入れのだびに淫靡な音をさせる母のマンコの
卑猥さは私にとってやめられないドラッグだった。
母と子の関係が終わったのは私が23歳、母が45歳だったと思います。

あれから約10年。今でも母の写真は宝物で誰にも分からないように保存してあります。
美熟女、太すぎず細すぎずに、少し垂れかけた乳房、これ以上ない位に卑猥なマンコを見せて
くれた母。
私の子供の面倒を見ている母を見ていると過去の経験は夢のようです。
お互いになにも無かったように振舞うのが暗黙のルールなのでしょう。

 
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2
投稿者:ケンジ
2020/07/11 21:54:30    (hTnCZyrD)
妻にバレ無いように急いで投稿しましたので
誤変換の連発の見苦しい投稿になりました。
大変に失礼いたしました。
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