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2004/09/06 14:59:38 (DUJdaMIt)
今ではちゃんと結婚して普通に生活しておりますが、私には以前母との、異常な関係になった数年間がありました。ようやく落ち着いてお話できる時期が来ましたので、色々な所に時々投稿しております。私の両親は私が幼い頃に離婚し、私は母の手で育てられていました。と言っても、そこそこの慰謝料をもらっていたようでそれほど生活に困窮した訳ではありません。まあ,普通の生活レベルだったと思います。母は結構しつけに厳しく、小学生の時分にはいいつけを守らないと時々体罰を加えました。勿論今で言う虐待まどではなく、普段はやさしい母でしたし、私も母を尊敬していました。一番良く覚えているのは、布団を叩く布団たたきで打ちすえられた事です。特に半ズボン姿だった夏などは肌に直接打たれるので、泣かずにはいられない位の痛みでした。私が泣いて懇願するような表情を見せても、母は冷徹に布団たたきを振り下ろしました。その母の表情は今でもはっきり覚えています。
時には直接お尻を打たれる事もありました。ズボンのお尻の部分だけずり下ろして打たれたのです。そんなおしおきも、小学生の低学年の頃までで、しばらく鳴りを潜めていたのですが、小学生も高学年になってくると不思議とあのおしおきを思い出してそれに憧れる気持ちが芽生えてきました。勿論その頃SMなんていう言葉は知りませんでしたから、感覚的にそれを身に付けていたようでした。社会科の授業で「奴婢」が、いわゆる「男の奴隷」と「女の奴隷」であると教えられた時も、その「ドレイ」という響きに堪らない気恥ずかしさと憧れを感じ、鞭で打たれ、働かされる姿を自分に重ねて想像したりしました。そして小学5年生の夏休みに決定的な事件が起きました。久しぶりに母を激怒させてしまったのです。(勿論意図してやったことではありません)母はかつてそうしたように、ズボンをめくるように命じました。それも、どういうわけか良く記憶していないのですが、いつもはお尻の部分だけめくっていたのが、その時はパンツも一緒に下ろしていたのです。厳密にいえばそれまでもパンツまでおろした事はあったのですが、ごく稀でした。私がよほどうろたえていたんだと思います。母は久しぶりに布団たたきを取り出し、お尻を打ち据えました。私も成長していたからでしょう。痛みは半分ほどにしか感じませんでしたが、それ以上に何かにショックを受けたように快感が全身を包んでいたのです。私ははっきり打たれることを待ち望んでいたのです。打たれた瞬間に堪らずペニスを勃起させていました。母はしっかりと勃起に気ずいていました。それがわかると、もう私は恥ずかしさと、その恥ずかしさにもっと晒されたいという気持ちが交じり合って叫びたい程でした。母は勃起に気ずくと一旦打つのを止め、その部分を注視しました。「子供なのにこんなにして。いやらしいわね。」息子の勃起を見ても特にうろたえることなく、母は冷静でした。そしてもう一度打ち据えました。お尻に痛みが走る度、ペニスは喜びの反応をしてしまうのです。ひとしきり終わると母は布団たたきでペニスを軽く突きながら言いました。「もういいからこれを早くしまいなさい。」それからしばらくは母とまともに顔を合わせるのも恥ずかしくて仕方ありませんでした。この出来事が人生を一変させたのです。それが意外な形で深化した展開をみせるのはそれから数年後の事です。

小学5年生時分のあの事が少々色あせて見える位の年齢、高校1年になった私は大人のSEXとしてSMへの興味を加速していました。SM専門誌を熟読し、花開いたSMへの憧れにオナニーで欲望をなだめていたのです。最もまだSMの経験などはなく、ひたすら想像の世界に遊んでいるだけだったのですが。なにせSEXの経験も無かったのです。母は父と離婚してから今まで再婚は2度としていないのですが、だからといって恋人がいない風でもありませんでした。ただ、あまりそれを私に悟らせないようにしていたようでした。私が学校に行っている間に、それらしい格好で出かけているのを知っていましたし、それがいやでもありませんでした。
何せ私が小学生時分、まだ30代前半だったのですから当然です。中学に入って次第に性への興味が増すに連れて私も人並みに「女性」への関心が高まりましたが、あの事件はトラウマのように脳裏を離れませんでした。はっきり言ってしまえば、「性」への関心の半分は母親へと向けられていたのです。そこそこSMへの知識を得ていたこの頃、よく頭に描いていたのは、母にいたぶられている自分の姿でした。そんな想像でのオナニーは至福だったのです。母親を恋愛対象として意識していたかと問われれば疑問です。勿論大好きですが、恋愛というよりはやはりもっと自分を支配してくれる絶対的な存在という感じでした。実際、私は反抗もせず実に「いい子」であったと思います。とはいってもおそらく母は私がマゾであり、そういう嗜好を持っている事を当然分っていたと思います。あの小学生時分の事件が頭にあったと思いますし、机の引き出しにあるヌード雑誌にまじってSMの雑誌もある事くらいは知っていたはずだからです。中学3年になって受験で焦ってくると同時に母への想いが悶々と鬱積されて、爆発しそうになってきました。高校へ受かると私はひとつの行動に出ました。わざとSM雑誌を机の上に置いてみたのです。母は最初こそ無視していましたが、とうとう部屋に呼ばれ注意をされました。
「こういうものに興味があるのは分るけれど、しまう位はしなさい」と。
私は最後のチャンスだと感じて思っているありのままを母に伝えました。そうして母が何も応じてくれなければ、それはそれで仕方ないと思っていたのです。あのトラウマになっている事件以来、自分はいじめられる事、特に母にいじめられる事が夢であった事。自分はマゾであり、おそらく一生そうして生きていくことになるという事。母はしばらく息子のとんでもない話を聞いていましたが、「わかったわ」とだけ言うと、突然全裸になるように命じました。私は夢のようでした。ひとつひとつ着ているものを脱ぎ、母の前で全裸になりました。あの日と同じように、勃起したペニスを今度はしっかり正面に晒したのです。母は直立不動で動かないように命じました。丹念に体中を舐めるように見渡し、最後にペニスを直視しました。「恥ずかしい?」と聞かれ、「うん」と言うと、四つん這いになるように命令しました。お尻を高く突き出させて何年かぶりに私は母にベルトで打たれました。言葉では表現できない程の快感でした。ベルト打ちが終わる頃にはペニスから透明なものを滴らせていました。私は感極まって母に抱きつきました。お互いにキスを交わし、私は母に奴隷にしてほしいと泣きながら懇願しました。「おかあさんの奴隷になるために僕は生まれてきたんだ」
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