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2025/08/24 20:11:18
(HACwgq/C)
陽子との出会いは31年前、バブルも後半に差し掛かった頃だった。
陽子は7歳年上の30歳だったが、田中美佐子に似た超絶美人で、大学を出た
ばかりの俺と同い年くらいに見えてた。
大学の後半をバブルで過ごした俺は、バイト先の人妻にやたらモテて、40
代の奥様数人と日替わりで熟した女体で女の喜ばせ方を覚えた。
だから年上でも気にすることなく、可愛らしさを備えた美形の陽子に一目
で恋に落ちた。
大学の後半をバブルで過ごした俺は、チャラく陽子にアプローチしたが、
見た目は可愛くても三十路で男あしらいの手馴れた陽子に軽くいなされ
た。
それでも熱心に言い寄る俺に、根負けして付き合ってくれた。
初めてベッドに誘った時、
「私30歳よ。自慢じゃないけど、恋多き女よ。」
と言うだけあって、情熱的に舌を絡めたキスをされた。
陽子の女体は美しくエロティックだったが、20代をモテモテで過ごしたの
だろう、まだ30歳にもかからわず、たくさんの男の男根に扱きあげられた
女陰は、紫色にめくれ上がった女唇がグロテスクだった。
でも、40代の奥様方のドドメ色の黒アワビよりは綺麗だった。
フェラの舌使いは饒舌とでも表現したくなるほど絶品だった。
そして、その入れ心地はまるでヒルが吸い付いているかの如く最高だっ
た。
しかも、
「安全日なの。中にたっぷり出していいわよ。」
今まで、何人の男の精液を注がれたのか、女壷に熱い精液を注ぎ込んだ時
の陽子の反応は尋常じゃなかった。
「あなたのチンチン、今までで一番気持ちいいわ・・・相性がいいの
ね・・・」
いつしか、俺より陽子の方が夢中になっていた。
29年前、俺25歳、陽子32歳で結婚した。
超絶美人奥様と言われたが、結婚したら大切な陽子の処女膜をぶち破った
男を憎らしく思う気持ちが芽生えた。
一生の思い出となる愛妻の貴重な処女喪失は、夫である俺ではないのだ。
姉さん女房をもらって何言ってるんだと思ったが、無遠慮に生で男根を突
っ込み、容赦なく精液を女壷にブチ撒けて粘膜の隅々まで遺伝子を浸透さ
せた男が何人もいるのだ。
欲望に任せて生殖行為をしておきながら、陽子をポイ捨てしたのだ。
でも、娘を産んで母親になり、子育ても落ち着いて四十路になった陽子を
見たら、少し考えが変わった。
相変わらずセックス好きの四十路の陽子が俺に跨ってヨガる姿を見たら、
陽子が元彼に跨ってズコズコ突き上げられながらヨガり狂う姿を想像し
た。
そうすることで嫉妬で激しく勃起した。
正常位で思い切り股を広げて、ジュボッ、ジュボッと卑猥な音をたてなが
ら男根を出し入れしながら、カリに泡立つ陽子の愛液がべっとり突く様子
に元彼の男根を重ねた。
中にはハードファッカーの元彼もいただろうと、激しくピストンして男根
にまとわりついてベロベロめくれるドドメ色の女唇を見つめて興奮した。
陽子との夫婦生活は26年で幕を下ろした。
一人娘が大学を出て社会人になって2年目の3年前、陽子は浮気相手と郊外
のラブホをその間男のクルマで出たとき、トラックと衝突して二人とも亡
くなった。
陽子が浮気していたことは全く知らなかった俺は、二重のショックで打ち
のめされた。
当時51歳になった俺は、58歳の陽子とは週イチの営みになっていた。
陽子は、58歳にしてまだセックスがしたかったようで、外に男を求めてい
た。
陽子の携帯には、男との淫ら極まるプレイが記録されていた。
陽子は、女陰だけでなく、肛門まで犯されて絶望の飛沫を上げていた。
その記録は陽子が56歳から、つまり、亡くなる2年前から浮気セックスをし
ていたのだ。
俺が49歳になり、精力が落ちてきたころだ。
そして、俺よりも涙に暮れていたのは娘だった。
そして驚愕の事実が明らかになったのだが、陽子と共に亡くなった間男は
27歳の若さで、何と娘の彼氏だった。
31歳年下の娘の彼氏と変態行為に及んでいた陽子・・・俺は、娘は、耐え
られなかった。
今、俺と娘は陽子の思い出が残る家を出て、田舎に移り住んでいる。
通勤は車から電車に変わったので、意外やそれほど通勤時間は変わらなか
った。
そして、俺と娘は、亡くなった陽子と彼氏に復讐するように、父娘で夫婦
のような生活をしている。
倒錯した禁忌の色情は、なかなか興奮できる。
愛しき娘の女陰を割って、父の男根が突き刺さるのだ。
罪深き姦淫に耽るひと時、娘の陽子の面影がよぎる。
常軌を逸した近親愛だと知りつつ、父娘の親子愛、家族愛を超えて、男女
として愛し合う。
許されざる姦淫だが、娘の安全日には、神をも恐れぬ肉親中出しを楽しん
でいる。
俺と娘の心の傷が癒えるまで、暫くは甘美な罪の悦楽に溺れるつもりだ。