2020/09/05 05:25:21
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翌日、わたしは学校を休みました。
朝、わたしを起こしに来る母の足音を察すると、布団を深くかぶりました。
前日の風呂場でのことにまだ腹を立てていた訳でなく、その後母に連れない態度を取ってしまったことが気まずくて、何だか顔を合わせづらかったのです。
「ダイくん、そろそろ起きないと」
布団の上からわたしの身体を揺すります。そのまま黙っていると、
「どうしちゃった?お腹痛くなっちゃったかな?」
「…うん」
わたしは嘘をつきました。
おそらく、普通の家庭であれば、腹痛くらいではそう簡単に休ませないでしょう。トイレに行かせ、様子を見ながら学校へ行かせようとするはずです。
しかし、わたしの場合は別でした。わたしは睾丸とペニスの発達障害だけでなく、小さな頃から突然襲ってくる激しい腹痛と下痢に悩まされてきたのです。
いくつも病院を渡り歩き検査をしましたが、原因は分からず。最後に行き着いた医師は、ストレスが原因ではないかと診断を下しました。
そして、確たる治療方法はないが、今はなるべくストレスを避けることで押さえ込み、社会性が身についていけば次第に消えていくのではないかと、あまり頼りない対処法を助言されたようでした。
そのため、わたしのお腹の調子が少しでも悪いと、母はアッサリと学校を休ませたのです。
10時を過ぎた頃、母が再び階段をのぼる足音が聞こえ、また布団をかぶりました。
足音が部屋の前で止まりドアを開ける音がします。
「お腹どう?お母さん、これから買い物に行ってくるから、いい子で寝ていてね」
黙っているとドアが静かに閉まり、足音が遠のいて行きました。
わたしは起き上がると窓に近づき、カーテン越しに母を見送ります。
母が自動車を走らせて行ってしまうと、わたしは階下に下りて行きました。そして冷蔵庫を開けオレンジジュースを取り出すと、コップに注ぎ飲み干しました。
さて、どうしよう。
母が買い物に行くと40分は戻りません。
これまで、仮病で休んだことは数えきれないほどありますが、ヒマな時間を潰すのに毎度苦労したものです。
派手にテレビは観れないし、もちろんゲームだってできません。食べ物もなるべくお腹に良いものをということで、消化が良く温かいお粥やうどん、玉子スープといった、全く心踊らない食事ばかりです。ましてやお菓子やジュースなどもってのほかでした。
それでも懲りずに仮病を使ってしまう理由は、母がいつも以上に優しく、甘えさせてくれるからでした。昼寝の時間には、添い寝というより抱っこに近い格好で、頬や額、唇にキスをして寝かしつけてくれるのです。
わたしは尿意をもよおしトイレに行きました。オシッコを出し切り、ペニスを振るっていると、フトある事を思いつきました。
トイレを流すとパジャマのズボンを上げながら、足早に玄関へと向かいます。
物置小屋はあのとき以来でした。
わたしは中に入り扉を半分閉めると、目についたひとつの段ボールに近づき、蓋を開けます。中に入っていたのは期待外れの古新聞でした。
すかさず隣の段ボールの蓋を開けてみます。すると目的の雑誌が出てきました。胸が高鳴り、かすかに震える手で、雑誌を手に取りページをくり出しました。
ページをくるごとに、あらゆる女性のあられもない姿が次々と目に飛び込みます。ペニスがズギンズギンと脈を打ち始めました。
一冊目が終わると、その下にあった二冊目を手に取り、わたしは段ボールの上に腰掛けました。
夢中でページをくり、オッパイやお尻、股間付近に広がる黒い影に目をはわせます。どの写真もどうして股間のあたりが黒い影のようにモヤモヤっとしているのか、疑問に思いましたが、モザイクの理由など分かるはずもありません。
三冊目の途中で手が止まりました。
そこには、どこかしら母に似た女性が写っていたからでした。母と同じような背格好で、黒のセミロング、目鼻立ちがハッキリした顔立ちも似ています。半分はだけた状態の紺色のワンピースも、母が好んで着る服にそっくりでした。
母の裸は見慣れていますが、なんだかいけないものを見ている気分になってきます。それでもページを閉じようとは思わないし、ペニスはより硬く膨張してきました。
わたしは本能的にパジャマの上からペニスを触り出しました。といっても、自慰とはほど遠く、皮むきの要領で亀頭あたりをさする程度です。その時でした。
バタン!
わたしが文字通り飛び上がりながら、音のした方に顔を向けると、そこには母が立っていました。
<続きます>