2016/08/05 23:04:34
(wiBJCdQn)
母はお世辞にも美人とは言えない母だった。
俺がその店に行ったとき、他の女中は母より美人、または母より若い人もいた。
その中でも母がそこそこ稼げた理由が、見ててわかった。
母はあまりより好みをしなかったのではないか?
あと母の均整の取れたプロポーション。
巨乳でもない、太めでも痩せてもない、女性体験ない俺でも、そのバランスの良い肉体は、母であることを忘れさせた。
今、妻が当時の母に近い年齢だが、はっきりいって、比べ物にならないくらい、無惨な妻。
産んだ子供の人数の違いだけではない、そう思う。
生活に苦がない妻と、何が何でも頑張らないといけなかった母の差は歴然。
母は最後まで、どんな気持ちでその居酒屋のアルバイトをしていたのか、口を閉ざして語ったことはなかった。
学校で惨めな思いさせた償いだったのかもしれない。
女として、男性に喜びを与えてあげて、罪滅ぼしをしたかったのかもしれない。
母を孕ませようとした俺のセックスも、母は拒んだことがなかった。
聞いたことはなかったが、もし妊娠させていたら、多分母は産んでいたと思う。
結果、出来なかったから、今の俺、妻や子供達に囲まれた生活があるのだと思う。
いや出来なかったからこそ、母は晩年、孫達に囲まれた、短い幸せな時間を過ごせたのだ。
それを考えると、妊娠に至らなくて良かったのだと思った。
母は孫ができてから、編み物や裁縫教室に通い、孫達に小物を作って、その裁縫教室の友達と仲良くしてた。
若い頃、母に友達がいた形跡はない。
それは俺も同じ、中学高校、友達は皆無、同窓会やクラス会、地元にいながら呼ばれたこともない。
誘われても出るつもりもないが。
余命、あと僅かしかないとなった母が、意識朦朧の中、つぶやいた。
『お母さんお腹すいた。お母さんお腹すいたよ。泣かれてね~。辛かった。パン一個買う金もなくて。辛かった。あの辛さに比べたらね~』
多分その後に母が言いたかったのはこうだ。
『あの辛さに比べたら、男に抱かれるなんて大したことじゃない。私にはそれしかなかったんだから』
俺に抱かれていた約十年の期間は、母が幸せだったのかどうか、俺は今もわからない。