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2003/01/27 01:21:15
(62eBEsWP)
遂に娘とやってしまいました。娘だけは手を出すまいと思っていたのに・・。
私、41歳。娘17歳(高三、現在大学受験中)
本当にかわいい娘なんです。吉岡美穂似で、よくスカウトの人から
声をかけられるようです。先日、あるプロダクションからモデルに
と言う話があり、担当者が我が家まで押しかけてきました。
とりあえず、高校を卒業したら、おまえの好きなようにして良いと
いってますが、私の手から離れてしまう寂しさで、ついつい娘に手を
出してしまいました。
最初は、かなり抵抗しましたが、クリトリスを舐め始めると、喘ぎ声。
シックスナインの体勢にになると、なんと自分から私のチンポを
しごきだし、フェラチオ。処女と思っていたのは、親の浅はかな思いでした。
1月3日に初めて娘を抱いて依頼、毎日、やっています。受験勉強の妨げ
になりはしないかと、出来るだけ理性を抑え、私から求めないように
してますが、娘が私のベットへもぐりこんでくるので、ついつい、
抱いています。先ほど、アナルセックスを初めてしました。
娘がお尻をつきだして、入れてとせがむので、入れましたら、閉める感触が
最高で、久しぶりに3連発。娘が以前つきあっていた大学生は、アナル嗜好
だったようで、娘はアナルが感じるようになったそうです。
4月には、大学生になり、東京へ行くと思いますので、残された2ヶ月間は、
私のもてるテクニックを駆使し、娘に私の体を忘れなくさせるつもりです。
さて、娘だけは手を出すまいと思っていたと言うのは、私が、近親相姦の
虜になっていたからです。妻は、15年前、交通事故で死亡。妻の実家で
生活していた私は、その後、まもなく妻の母(義母)と関係を持ちました。
失意のどん底に落とされた私でしたが、義母との関係が始まり、間もなく
立ち直りました。
義母は、当時48歳。綺麗な義母でしたが、特別性欲の対象として見る
ことはありませんでした。
当時、義父は、外に女がいて別居中。妻の死後、49日が過ぎるまで、
家にいましたが、その後は、ほとんど愛人宅。寂しかった義母は、妻が亡く
なって2ヶ月後に、自ら私のベットへ入ってきました。その時、義母を裸に
してびっくり。体は、なくなった妻と変わらぬ20代の体型。肌は、色白で
きめが細かく、泣き声は、10代の声。
女って、普段の姿とセックスの姿は違うものだとあらためて痛感しました。
その後は、お互いが、風邪でダウンした日以外は、毎晩セックス。
義父は、妻の3回忌が終わると、義母と別れ愛人と結婚しました。
離婚時の慰謝料は、私と義母の関係を追及され、自宅のみとなりましたが、
十分すぎる結末でした。
その後、義母と私と娘の3人生活は、幸せは日々でしたが、3年前、義母は
ガンで60歳でなくなりました。
そして、最後に白状しますと、実母、祖母とも関係しました。
童貞を失ったのは、中一の時。相手は、当時63歳だった祖母。一人暮らしの
祖母の家には、一人で泊まりに言ってましたが、泊まりに言った時は、いつも
一緒にお風呂へ入ってました。また同じ布団で寝てました。
忘れもしない夏休み、祖母は選挙の応援で夜外出しましたので、一人で入浴。
洗い場で自分のチンポをさわっていたら、初めての射精。私も遂に男になったと
思った瞬間、風呂場の窓をあけた祖母。「お湯冷たくない、沸かそうか」と。
(当時祖母の家は、まだ五右衛門風呂)私の立ったチンポをそのまま見られて
しまいました。恥ずかしくて「ばあちゃんん、閉めて」というと、「恥ずかしい
ことないよ。○○も大人になったんだね。男は皆そうなのよ。」とやさしい声。
風呂から上がると、ばあちゃんはニコニコしながら、「恥ずかしがらないで顔を
上げなさい」と。その後、ばあちゃんは、風呂にはいり、出てきたら「○○、
今日は早く寝よう。」といって布団を敷き、私を布団へ入れました。
そして、祖母は私のチンポを触り始め、私のチンポはまた立ちました。
恥ずかしくてじっとしたままでいた私の手をとると、祖母は、アソコへ導き
ました。胸を開けお乳を出すと、「触ってごらん。今夜は、○○に女の体を
教えてあげるよ。」といって、私を抱きしめました。その夜、私は童貞とおさ
らばしました。その夜から、2日間は、セックス三昧で、1日10回は出した
と思います。そんな祖母との関係は、2年後に心筋梗塞で祖母がなくなるまで
続きました。
あと、実母との関係ですが、最初で最後1回だけです。
自分が祖母とセックスをするようになってから、両親がしているセックスが
気になりだし、天井裏から両親の部屋をのぞくようになりました。
両親が、夜部屋へ入ると、そっと天井裏へ入り、あの時の声がしないかと
じっと待ちつづけましたが両親が、セックスする様子はありません。
それどころか、両親は、仲が悪いと言うことがわかりました。ある時、喧嘩を
し出し、分かれ話をしてました。母親の相手は、仕事先の人のようでした。
次の日の朝、いつもと変わらぬ両親を寂しげに見ていた私でしたが、母親が
浮気をしている様子が頭に浮かびだすと、食器を洗う母親の後ろ姿に初めて
性欲を感じました。
その後は、洗濯機の中から、母親が脱いだ下着を取り出して、オナニーの道具
にしていました。どうして、わっかたのか今だにわかりませんが、そのことが
母親に見つかり、母親の方から、「馬鹿じゃないの。何を考えているの。
神経おかしんじゃないの。精神病院へ連れて行く。」とさんざん罵声の声。
泣き出した私は、「もう二度としません」と声に出すのがやっとでした。
その後は、母親が恐ろしくて、下着を取り出すことはやめました。
あまりに恐ろしい顔をした母親をみて、オナニーの対象にすることもなくなり
また。その後、両親は仲は、ますます悪くなり、私のいる前でも平気で喧嘩を
するようになりました。母親は、相変わらず変態を見るような目で私を見ます。
そんな家が嫌になり、遂に家出をしました。捜索願を両親がすぐ出したため、
家出後、2日目に警察へ捕まりました。警察へ私を引き取りに来た両親は、
何も言わず私を家につれて帰りましたが、母親が私の部屋へ入ってきて、
「明日、父さんは出張でいないから、夜、外食にしよう。○○が食べたい店に
行こう」と久しぶりにやさしい声。
翌日、学校から帰ると、普段仕事でいない母が、家にいて、「食事に行く前に
お風呂に入りなさい」と母親が言うので、お風呂へ。お風呂へ入っていたら、
「○○、お母さんも一緒に入るね。」と言って裸で入って気ました。そして、
私のチンポを握りしめ、「気持ちよくしてあげる」と言うといきなり
フェラチオ。祖母とは違う感触でした。普段と違う艶かしい母親の姿に興奮し、
すぐに射精。風呂から上がるとそのまま裸のままで、私のベットへ。
その夜は、結局食事に行かず、朝までやりまくりました。明け方、少し寝まし
たが、翌日は、学校を休み、母親を抱きまくりました。本当に何回出したか
わかりません。その日は、セックス疲れのせいか、夕方に寝たのに、翌日目が
さめたのは、お昼前。その時父親から、母親は今朝家を出て行った。昨日、
正式に離婚したので、母親はもう帰ってこないとのこと。中2の私には、
父親の言葉が、現実的に聞こえず、そのうち母親は帰ってくるだろうと思って
ました。だが、現実は厳しく、母親とは、その後会ってません。
以上、長くなりました。多少フィクションの部分はありますが、母親、祖母、
義母、娘と関係を持ってしまったことは事実です。