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2013/12/04 16:59:00
(RREBmSXL)
26歳のOLで毬南といいます。
私の田舎では、特殊な風習があって、女児から大人の女性になるための
通過儀礼として
初潮がきたら一族の代表者(本家の世帯主)に処女を捧げる、というものがありました。
私の場合は初潮が12歳と早く(まだ小6の2月でした)、
しかも私は本家の娘だったので、相手は祖父でした。
儀式の日、母からどんなことをするのか説明はあったのですが
子供だったしよく分からなくて、その日はされるがままに行為を受けました。
盛大な夕食会の後、お風呂に入ったのですが、この日は母と祖母が
全身くまなく、アソコも丹念に洗って
母が「ココ…痛くなるけど、我慢してね」と言われました。
お風呂から上がって浴衣のような薄い着物を着て、離れの和室に連れて行かれました。
「一緒にお布団に入るんだよ。」祖父は優しく言って、私を布団に入れました。
いつも一緒に遊んでくれる祖父に、体中、触られて
(おじいちゃんだったら怖くないよね)そう思ってのですが
アソコに指が入ってきたとき、すごく痛くて、少し泣いてしまいました。
「毬南、少し我慢しろな。すぐ終わっから。。」
祖父といっても、当時まだ50代。
大きくそそり立ったモノを見せて、
「これがな、毬南のココに入ってくからな。」
祖父はクリームのようなヌルヌルしたのを私のアソコに付けると
ゆっくりと入れてきました。
「・・怖い…、い、痛いよぉ。。」
痛いって言ってるのに祖父は、ハアハアと息を切らすだけで
全然やめてくれませんでした。
泣きながら薄目を開けたら、祖父の顔がとても怖くて、
泣いたら怒られると思って、必死に泣くのを我慢してました。
その夜は、いつの間にか気を失ってしまったので、後のコトはよく覚えてません。
気付いたら、朝になってて、別の部屋で寝かされてました。
アソコがとても痛くて起き上がれなくて
3日間くらい布団に入ったまま過ごしてました。
祖父とは、その夜以降も、月1程度のペースでセックスしてました。
最初はとにかく痛かったけれど、中学にあがった頃に、だんだん気持ちよくなってきました。
祖父も、私とセックスしてるときは、とても気持ち良さそうな表情をするので
私も嬉しくなっていました。
月に1度のその日を、私も心待ちにするようになってました。
けれども、私が中2のときに祖父が病気でできなくなってしまって
こういうのももう、終わりかな…って思ってたら
ある日の月イチの日に、私の部屋に父が入ってきました。
「お祖父ちゃんができなくなったから、今度は俺がお前とすることになったよ」
と言ってきました。
「え・・っ。。でも。。親子だよね。。」
私の中では、祖父とは儀式上のコトでアリでも、父とはありえないと思ってました。
「これは、決まりだから。。」
それだけ言うと私に覆いかぶさってきました。
お父さんと、セックスなんて・・・!絶対やだ!ありえないよ!
私の抵抗も虚しく、父をも受け入れてしまいました。
父は理性が飛んだ猛獣のように、私を陵辱しつづけ、一晩で何度も乱暴にされ、
もう処女でもないのに、アソコから出血してしまいました。
祖父はいつでも優しくしてくれたのに、父はまるでレイプそのもの・・
恐ろしくて母に「お父さんとは嫌・痛い」と頼んだのですが
受け入れてもらえませんでした。
あとから分かったことですが、父は母にもまるでレイプのようなセックスが酷く
私を抱かせる事でそれがおさまっていたらしく
私は母が父の性欲から逃れるための犠牲にされていたようなものでした。
その頃から一族の秩序も乱れ始めて
近所に住む父の兄弟や、その子供(従兄弟)ともセックスするようになってました。
宴会の後には3Pや4P・・
他の女いとこはそういうことされないのに
なぜか私だけがターゲットでした。
嫌なはずなのに、私の身体はものすごく反応しやすくて
すぐにイくし、潮も吹いてたので、
ヤリがいがある、なんてことも言われてました。
高校卒業する日まで、血族でのセックスは続いてました。
上京してからは、数年田舎には帰らなかったのですが
去年、田舎に帰ったときは、叔父と従弟としました。
「あの頃と変わらず感度いいな。」と言われました。
私には今、彼氏がいますが、
ここに書いたことは口が裂けても絶対言えません。