皆さまおはようごさいますやそじでございます
前回の大好評に引き続き今日は皆様に体験談をかたります
以前も書きましたが、額縁シヨウのお話を詳しく書きます。
終戦直後でございました家も焼け食うものに困り
親父は額縁シヨウを企図いたしました
焼け跡からトタンと古材木を拾つてまいりまして
拙宅の焼け跡に
大きな額縁のような枠を作りトタンで囲って
親父とお袋が入つてまぐわい
木戸銭をもらつてそれを見物人に見せるのでございます
他人のまぐわいを直接見ることなど当時はありませんから
連日大盛況でその稼ぎで闇米などを買い占め
親父はそれを転売し暴利を得ていたようでございます
おかげで飢えずにはすみました
わたくしも木戸口でモギリをやつておりました。
ある日占領軍の米兵がやつてきました
何せ奴らは女の尻と飴玉にしか関心がありません。
彼らはよだれをたらして額縁シヨウを見ていましたが
辛抱かなわず額縁を打ち壊すと
親父を殴打して
裸でまぐわつているお袋を額縁から引きずり出し
強姦に及ぼうとしました米兵が練馬大根のような
男根を引きずりだしたまではよかつたのですが
親父は真っ裸のまま「大日本帝国万歳!!!!」を叫びながら
竹やりでお袋にまたがつている占領軍の腹を刺しました。
米兵は腹から血を流しながらしなびた一物を丸出しにしたまま
逃げていきました。観衆は拍手して「大日本帝国万歳」を叫びました。
その後ジープに乗ったMPがやってきました。
親父は裸のままMPに連行され、
親父の弁によると連合軍司令部で拷問を受けたというのですが、
嘘でございませう。
幸い腹を刺された米兵も軽傷で済み
親父も放免されましたが
小生は国の恥と思いました
これが契機となつて額縁シヨウはやめました
かわりに親父は淫売宿を始めたのですからまさに外道でございます
終戦直後のお話でございますおやすみなさい