昭和十年代生まれの母親、時は流れて昭和三十年代、私が中学一年か二年生の頃。
早熟に育った私、初体験も近所のお姉さんと済ませて居た。
今の時代とは違い性を堂々と語れる時代でも無く、それでも性は密かに繰り広げられてる時代だった。当時代は夜とも成れば外灯も少なく性を繰り広げるのは屋内に限らず、神社の裏や物置小屋の陰、堤防の草むらの中、色んな場所に使用した避妊具が落ちて居た。
真夏の暑い日に、私が学校から帰ると台所に母親の衣類と男物の衣類が脱ぎ捨ててある。貧乏だった私の家には脱衣場が無く風呂に入るには台所で服を脱ぎ入るのが普通だった。「父親と母親が風呂に入ってる」
私は好奇心から、足音を忍ばせ外に出る。
窓から覗く魂胆だった、外の壁には色々と物が立て掛けてあり、私は音を立てない様に風呂場のガラス戸から中を覗く普通、その様な場所のガラスは中が見えない様に模様入りのガラスだったが貧乏な我が家は修理する金も無く一部分だけが、赤茶色く焼けた透明のガラスが填めてあり、そこから中を覗く。
何と、そこに居たのは母親は間違いないが相手は父親じゃ無く従兄弟だった、狭い浴槽で立ったまま従兄弟は母親の股間を弄っている、従兄弟の肩に手を掛け息苦しそうに喘ぐ母親、一気に私の股間は大勃起してしまう。
浴槽の縁に片足を乗せられ開かれた母親の陰部を激しく弄る従兄弟、お湯が弾ける音に混じり母親の股間からも淫靡な音が洩れる。
やがて母親は浴槽にしゃがむと勃起させた従兄弟の物を口に含む。直ぐに顔を離し母親は「あの人が帰るかも知れないから」と従兄弟に向かって言う。
従兄弟は、これまた狭い洗い場に出ると、あぐらをかいて座り母親の手を引く。
母親は諦めた様に従兄弟の前に立ち、あぐらをかいた上に跨がって行く、その部分は良く見えないが母親の荒い呼吸で母親の中に嵌まったのがわかる。
風呂場に響く肉がぶつかり合う音、時折洩れる母親の声。
次第に怒りが込み上げた私は、その場を抜け出し再び玄関に廻ると、何時もとは大きな声で帰った事を告げ台所を抜け二階にあがる。多分、二人は慌てまくり最後までする事は無く風呂場を飛び出たのだろう、暫くするとワンピースに着替えた母親が二階に上がって来た。
「畑仕事で汗をかいたから行水をしてたら、あの人が入って来て」「えっ!風呂に入ってたの」
「えっ!えっ、分かってたんじゃ?」
「あの人って誰か一緒に入ってたの」