私の初めての女性は、大学の4年間を共に過ごした女子大生です。
私と元カノは、西武池袋線の桜台駅の北側にある住宅地にあったアパートのお隣同士でした。
通学していた大学は違いましたが、お隣同士で新入生同士、何となく会話を交わし、私が東北出身と知って、それがきっかけで仲良くなりました。
大学に合格し、東京にアパートを借りて、故里に戻った翌日の金曜日、2011年3月11日でした。
元カノは東海地方出身でしたが、私の故郷のことに非常に興味を持たれました。
私の家は沿岸部ではなかったので、津波には遭いませんでしたが、家の中はメチャクチャになってしまいました。
元カノとは、震災話がきっかけで仲良くなり、部屋を行き来しているうち少しずつ慣れてきて、ある日、見つめ合う展開に・・・元カノが目を閉じたので、キスしました。
抱き寄せて、耳元で、
「君を抱きたい・・・」
と、ドキドキして言ったら、元カノ、
「それは、私の事が好きだから?付き合いたいってこと?」
と言われて、告白の前に口説いた間抜けさに顔が真っ赤になり、
「ご、ごめん。俺、女の子と付き合ったことなくて、どうしていいか・・・」
と童貞宣言、元カノ、
「私も交際経験ないよ・・・」
と処女宣言しました。
「ねえ、コンドーム持ってるの?私、妊娠はしたくないよ。」
二人で桜台駅前のドラッグストアでコンドームを買い込み、帰り道、喜多方ラーメン屋さんでラーメン食べて、私の部屋で、まずは私からシャワーを浴び、その後元カノがシャワーを浴びましたが、元カノの18歳の裸を見てのぼせて、私は鼻血が出てるのにも気付かず、
「始めてって、血が出るんだよね・・・」
「そうみたい・・・でも、あなたも出てるわよ。」
とティッシュで拭かれて、これには笑うしかありませんでした。
初めて見た異性の性器にお互い興味津々でした。
「見せっこしようか。」
と言って、まずは私が仰向けになって、彼女に男性器観察させました。
「触っても良い?」
「いいよ・・・」
既にフル勃起の陰茎を元カノに摘ままれて、恥かしいやら気持ちいやら、
「凄く硬い。こんなに大きいのが私の中に入るのかなあ・・・」
と言って握られて、思わず声が出てしまいました。
その後、元カノの陰裂を弄らせてもらいました。
陰裂を広げると、どれが陰唇かわからないツルンとした割れ目が開き、膣口が口を開けました。
「あの・・・舐めても良いかな。ほら、前戯ではクンニリングスをするっていうじゃない。」
「い、いいよ・・・恥ずかしいなあ・・・」
割れ目に沿って舐めました。
舐めると、窪みを感じて、その先に尖りができて、クリトリスと分かりました。
愛液がちょっとしょっぱかったですが、女の子の愛液を舐める興奮で、いつまでも舐めていたら、元カノは、
「あああ~~・・・もう、それくらいにして・・・頭がおかしくなりそう・・・」
と言いました。
後で聞いたら、恥かしいのと気持ちいのでどうにかなりそうだったそうです。
私は、出血に備えてベッドにバスタオルを敷いて、元カノを寝かせました。
コンドームをして、ゆっくりと元カノの膣口に添え、入れていきました。
支えているのは処女膜なのかなと思ったら、どうやら方向が悪くて一度外れてしまい、二度目のトライでズズズルン!と入りました。
「痛いかも・・・」
「止める?」
「続けて・・・」
初めての腰振りは、あまり抜くと外れそうなので、小刻みな腰振りでした。
痛そうな彼女、でも、陰茎に感じる女の子の膣の感触、5分もすると、生の女の子の裸を見た興奮で、射精感がやってきてコンドームの中にドクドクと射精しました。
コンドームを始末する時、コンドームが血だらけで、
「大丈夫?」
「うん・・・大丈夫。」
「ありがとう。」
「え?」
「女の子の大切な処女、くれて・・・」
「好きだから、あげたんだ。これからもよろしくね。」
初めてのセックス、忘れもしません、テレビでメーデーやってましたので、2011年の5月1日の事でした。
この後、毎日のようにセックスしました。
二回目のセックスでも、元カノの膣から少し血が出て、三回目では出ませんでしたが、痛そうな表情をしました。
でも、いつしか痛がる素振りは消え、梅雨空の頃には、虚ろな表情を見せるようになりました。
夏休みが近づき、帰省する前、離れ難くて一晩中セックスしていました。
太陽が黄色い・・・その意味を初めて知りました。
夏休みが終わると、待ち焦がれたように抱き合い、シャワーも浴びずに裸になって、そそくさとコンドームをつけて、手で弄ると元カノもヌルヌルで、
「ずっとしたかったんだよ・・・」
と股を開いて早く入れてのポーズ、ガンガン腰を振って、元カノもヒイヒイと大喘ぎでした。
夏休みに取得した自動車運転免許を見せ合い、
「エヘン!俺のはAT限定じゃないんだぜ~」
なんて、自慢したのを覚えています。
とにかく、覚えたばかりのセックスに、私と元カノは夢中でした。
暇さえあればセックス、勉強の後セックス、食事してセックス、次第に、夜を二人で過ごすようになり、どちらかの部屋でセックスして寄り添って寝ていました。
入れてから陰茎をアチコチ動かし、
「こことここ、どっちが気持ち良い?」
「後の方・・・あっ!そこ気持ちいい・・・あああ~~・・・」
と膣内の感じ方を探るようになっていきました。
2年生になると、お酒も堂々と飲むようになり、隣りの江古田や練馬に出かけて、二人で呑み歩くようになりました。
セックスも色々と研究するようになり、AVを参考にしてみたり、パソコンで調べたり、自分たちのセックスをデジカメの動画モードで撮影して客観的に見て見たり、二人とも性への探求心が旺盛でした。
正常位以外にも、元カノが大好きな騎乗位、後輩位、対面座位など、バリエーションも増えていきました。
また、ドンキでセーラー服を買ってきてコスプレハメ撮りなんかもしました。
2年生では、初めて二人でお泊り旅行に行きました。
2泊3日、コンドームを1ダース持っていきましたが、旅行先で、若い性欲を爆発させすぎてコンドームを使い切り、そこで初めて生挿入で膣外射精を試しました。
初めての生入れ、
「初めて直接触れ合ったね。」
「この方が、愛情が伝わるよね。」
「好きだよ・・・」
「私も・・・」
なんて言いながら、腰を振ったらコンドーム無しの刺激の凄さに、元カノはヨガり狂い、私は5分で限界が来て抜いて、元カノの身体に精液を撒き散らしました。
「生って、気持ち良いね。」
「そうだね・・・」
これ以降、私達はコンドームを使わなくなりました。
でも、射精する時には元カノにティッシュを手に持ってもらい、そこに精液を受けてもらうようにしました。
そうしないと、後始末が厄介でした。
3年生の終わりころ、元カノが初めて逝きました。
おそらく、大学の3年までに、私と元カノは、1,000回を超えるセックスを経験したと思います。
だから、大学4年の頃は、お互いの身体を知り尽くして、貪るようにセックスしました。
セックス中に生理が来ることもしばしば、その時は思い切り元カノの中に射精しました。
元カノは、卒業したら帰る約束で上京していましたから、就職は地元に決めました。
私は次男坊でしたが、故郷の震災復興の一翼を担いたいという強い意志から、地元に就職を決めました。
大学4年、二人の愛の終わりがカウントダウンを始めました。
ほとんどケンカらしいケンカをしないで、二人仲良く暮らした4年間が、幕を降ろそうとしていました。
2015年2月、私と元カノは、単身パックを実家に向けて配送し終えると、二人で日暮里のホテルに泊まり、最後の夜を過ごしました。
最後のクンニ、あんなに綺麗だった元カノの割れ目に、赤紫の陰唇がめくれ始めていました。
クリトリスを重点的に軽く吸いながら舐めると、元カノは逝ってしまいます。
一度逝った後の方が、挿入しても逝き易い事を知って以来、いつも一度逝かせてから挿入していました。
元カノのフェラは、いつしか上達して、元カノが生理の時はフェラで抜かれていました。
私の精液を飲み乾す元カノがとても愛しかったです。
最後のセックス、元カノと抱き合ってキスしながら、泣きながらセックスしました。
最後の射精は元カノの乳房へ・・・元カノはその精液を身体に塗りつけて、
「私に身体に、しみ込ませて帰るんだ・・・」
と哀しげに言いました。
私達はそのまま東京で暮らせば、間違いなく結婚してたでしょう。
翌朝、チェックアウトして、日暮里舎人ライナーの駅に繋がるビルで朝食を取り、東京駅へ向かいました。
元カノは東海道新幹線、私は東北新幹線、駅でお別れでした。
「4年間、ありがとう。楽しかったよ。」
「私も・・・一生忘れられない大学の4年間だった・・・」
「元気でね。さようなら・・・」
「復興、応援してるから頑張ってね。さようなら・・・」
今も忘れない、元カノとの別れです。
元カノと別れてから5年、私の故里もかなり復興しています。
そして、私は今年、結婚しました。
妻を愛せるのも、妻を喘がせられるのも、妻を満足させられるのも、元カノとの交際のおかげです。
女性と言うものを元カノが教えてくれました。
私は、妻を愛する時、いつも元カノに感謝しています。
そして、きっと元カノも幸せになっているだろうと、信じているのです。