先日、実家のそばの公園に子供を遊ばせに行って、ふと、10年前のことを思い出しました。
20年前、高校を卒業するときに別れた初めての彼女、初カノと、最後のデートをしたのがこの公園でした。
元カノ、中川翔子さんっぽい顔立ちで、可愛かったんです。
高2の夏休み、初カノの両親が共働きで、初カノの兄は大学進学で上京してて夏休みは遊んでて、お盆にしか帰省しなかったから、初カノの部屋で初体験しました。
夏季補習の後、白いセーラー服を脱いだ初カノ、下着も脱いでシャワー浴びて、お互いの股間を観察し合い、耳で聞きかじったクンニとフェラ、若かったですね。
初めてコンドームを被せて、初カノのアソコにあてがい、先っぽを入れて上下左右に動かすと、ズコッと入ってしまいました。
初カノは痛そうでしたが、下唇を?んで我慢して、
「私のアソコで射精まで行ってほしい。好きな人を射精させられないんじゃ、女の子じゃないもん。」
と自分に言い聞かせるように言ってました。
股を開いた元カノのオマンコに私のペニスがズブリ、そんな姿見たら、ほんの数分であえなく漏らしました。
出血もあって、危うくシーツに付くところでしたが、枕元に会った手拭で事なきを得ました。
夏休み中は、頻繁にセックスに挑み、お盆が終わった初カノの兄が大学へ戻ると、再びセックスに励みました。
夏休みが終わるころには、クンニでアンアン感じて悶えるようになり、痛みより気持ちよさが上回るようになっていました。
夏休みが終わると、学校帰りに初カノの家に寄って、母親が帰って来る7時までに終われるように、でも、万が一のために上はセーラー服を脱がないでセックスしました。
そして、セーラー服は脱がないほうが、高校生のセックスという危なさが感じられて、興奮できることを知りました。
冬休みは、やっぱりクンニしたくて全裸でシャワーを浴びてからセックスしました。
そして春休みには、初カノは、
「早くチンチン入れてぇ~」
なんて言う、エッチな女子高生になっていました。
卒業後の進路が違うので、別れましたが、その時、あの公園で、
「10年後の今日、ここで会ってみないか?それまで、再会したときに恥ずかしくないように、お互いに頑張ると誓って、さよならしようや。」
「わかった。それまで、お互い頑張ろうね。元気でね。さよなら。」
と言って、再会を約束して、握手して別れました。
私は上京し、大学の4年間、東京で新しい彼女と過ごしました。
バイト先では、人妻と不倫も経験し、40代の叔母さんの身体があんなにも素晴らしいものだと、熟女の魅力を知りました。
故郷に戻って就職、だが区時代の彼女との別れを引きずったまま、やがて妻と出会い、恋に落ち、私27歳、妻24歳で結婚、現在結婚11年が過ぎました。
いつも、家のそばの公園で遊ばせてたのですが、先日、妻が結婚式に呼ばれ、私の母が着付けをできることから、妻が母に頼んだ関係で、子連れで実家に行きました。
子供たちをあの公園で遊ばせたのは初めてで、久しぶりに訪れた公園で、初カノを思い出していました。
10年前、この公園で初カノを待っていました。
覚えててくれるかな、初カノは来てくれるかなと約束の時間の少し前に行くと、数分で初カノがやってきました。
相変わらず中川翔子さんみたいな顔で、
「久しぶり。元気だった?」
と手を振りながら近づいてくる初顔の左手には、結婚指輪が光っていました。
お互い結婚してて、初カノには2歳の女の子がいました。
初カノ、結婚して隣町に住んでましたが、この日はわざわざ来てくれました。
二人とも、なりたかった職業に就いてて、
「再会した時に恥ずかしくないように、お互い頑張れたね。」
「そうだな。これからもお互い、頑張ろう。」
十数分だけでしたが、近況を話し合い、せっかくやってきてくれたのだから、元カノを駅まで見送りに行きました。
「実家に寄らなくていいのかい?」
「うん。何も言ってないから。それに、旦那に娘を預けっぱなしだから、早く買い物して帰らなきゃ。それじゃあ、元気でね。今日はありがとう。さよんら。」
「じゃあな。君も元気でな。さよなら。」
お互いLINEを交換するでなく、別れました。
駅構内に入っていく初カノに手を振って、少しの淋しさの中、帰ってきました。
あの時、初カノに会うことはもう無いだろうなと思いました。
そして何となく、よく下校途中に寄ってセックスした、懐かしい初カノの実家の前を通って返ってら、初カノの実家がありませんでした。
家そのものが初カノが住んでた時の家じゃなくなってたし、表札も全く違う名字でした。
初カノの実家、手放さねばならない事情があったのかもしれません。
実家がもうこの街にはないから、10年前、初カノは実家に寄らずに帰ったのでしょう。
でもあえて私には言わなかった、スマホを開けて、ガラケーから引き継いだ初カノのメルアドを眺めましたが、尋ねることはしませんでした。
家に帰って、もう、初カノとは合わないほうがいいと感じました。
どんな事情があるにせよ、初カノは実家が亡くなったことを私に言わなかったということは、それを知られたくなかったということです。
つまり、それは朗報じゃないということです。
だから、この10年初カノのことは考えないように生きてきました。
でも、10年振りに子供たちを遊ばせに来て、初カノのことを思い出しました。
初カノ・・・元気でしょうか・・・
初カノ・・・幸せでしょうか・・・
親愛なる初カノの思い出をここに・・・