私は、県庁所在地にある私立大学へ進学して、4年間、田舎を離れていました。
県庁所在地は地方都市ですが、私が生まれ育った町から比べたら都会で、JRだけじゃなく、私鉄も走っていました。
大学は、私鉄の駅の近くにあり、アパートも駅のそばで、市街地に出るのにも便利で、都会の生活に馴染んでいきました。
私はその街で、初めて恋をしました。
大学1年の10月、学園祭で知り合ったあの人は、同じ大学の同じ学年、お互い、初めての恋人でした。
大学のそばは住宅地で、夕方6時になると、公園の屋外スピーカーから、ドボルザークの「家路」のメロディが流れます。
ある日、それを聞いたあの人が、
「ここのハンザマストは夕焼け小焼けじゃないんだな。」
と言ったので、
「ハンザマスト?」
と言うと、あの人が不思議そうな表情で、
「もしかして、ハンザマストって全国区のいい方じゃないのかなあ・・・」
と言って、あの人が生まれ育った街では、夕方の帰宅を促すメロディをハンザマストと呼ぶことを知りました。
そう言えばあの人は、他県民でした。
そんな会話がきっかけで、二人は、どちらからともなく寄り添いました。
お互いのアパートを行き来しながら、12月半ば、ドキドキのファーストキス、そして、クリスマスイヴ、私の部屋で、まだ19歳なのにお酒飲んで、アルコールの力を借りて初めて素肌を晒しました。
二人でお風呂に入り、生れて初めて男性の勃起したペニスを見て、あんな大きいものが入るのかしらと、これから訪れる処女喪失を想いました。
ベッドで裸で抱き合った二人、処女と童貞をカミングアウトした初々しいカップルが想いを遂げようとしていました。
はちきれんばかりに勃起したあの人のペニスが、脈を打っていました。
私が成熟した身体を初めて晒した男性、初めて乳房を揉まれた男性、一生忘れないと思います。
初めて男性に股間を開き、恥ずかしいアソコを見られ、触られ、舐められ、初めてペニスをおしゃぶりして、あの人がペニスにコンドームを被せ、メリメリッと処女膜を突き破られました。
痛かったけど、嬉しくて、恥じらいながら微笑んだ私、少女から女になった私、その時の様子は、あの人しか知りません。
そしてその後、何度もあの人に抱かれ、次第にセックスの快楽を知っって言ったのです。
愛する男性に愛撫され、アソコを舐められ、ペニスでアソコの中をかき回され、そして、やがてコンドームを使わなくなり、最中に生理が来ると、中に精液を注ぎ込まれる快楽を知っていきました。
私にとってはセックスは、愛情表現の一つであり、愛情の確認になりました。
あの人と唇を重ね、舌を絡ませ、お互いの肉欲に身体を委ね、快感に身を捩り、精液を浴びる一連の行為が、日々、当たり前のようになりました。
夕方、あの人の精液を浴びて余韻に浸るとき、遠く聞こえてくる「家路」のハンザマスト、あの人との思い出の一つになっています。
あの人との恋は私の青春、そして、卒業という別れがやってくるのです。
あの人も私も地元に就職を決め、あの人は県外の実家へ、私も実家がある田舎のJAに就職、帰郷しました。
アパートを引き払い、新幹線の駅前にあるステーションホテルで学生最後の夜を過ごし、翌日、駅ビルでランチして、新幹線に乗るあの人を改札で見送りました。
「俺、卒業式は来ないから、これでお別れだ。俺なんかと付き合ってくれて、ありがとう。一生忘れないよ。元気でな。さよなら・・・」
「私も忘れない。初めてをあげた人だから。さよなら。元気でね・・・」
あの人を見送って、私は田舎へ帰るため、在来線のホームの向かいました。
途中で乗り換えを入れて、1時間半、他県に帰るあの人と所要時間は同じでした。
JAに就職して、夫と出会い、昨年、人生で二人目の男性と結婚しました。
今年、私は28歳、31歳の夫と田舎の一軒家で暮らしています。
先週、県庁所在地に出張しました。
社用車で一人の出張、高速を使うと鉄道より早く着き、仕事を済ませて、夕方、大学のあるあたりに行って、「家路」のハンザマストを聞いてきました。
青春の思い出が走馬灯のように頭を巡り、涙が溢れました。
あの人は元気かな、結婚したかな、まだかな、なんて考えていました。
夜は、あの人と最後の夜を過ごしたステーションホテルに泊まりました。
レストランで、あの席に座って、あの人とお別れのディナー食べたっけなと、あれからもう5年以上過ぎたんだと、時の流速さを感じました。
翌日、午前中に残りの仕事を片付けて、大学のある街の私鉄の駅前にある喫茶店で懐かしいエビピラフを食べて、午後、帰ってきました。
夜、夫に抱かれ、狂おしいほど喘がされ、あの人とは違う夫のセックスを噛み締めました。
余韻に浸る私の耳に、「家路」のハンザマストが繰り返し聞こえていました。