私は妻の家族と同居している結婚歴8年の会社員です。
妻の家族は、妻の母49歳。妻の妹20歳。父親は10年前に他
界しており、そこに私がマスオさん状態で入り込んだのです。
妻は普通の女性ですが、妻の妹はいわゆる精神薄弱児で、かなり
知的障害があります。しかし普段の生活に関しては、あまり影響が
ない程度ですので、施設には入れず、養護学校に通わせて、一緒に
暮らしています。
私は、全員の合意の上でこの義妹と関係しています。
結婚する時に、妻の家族にとってはこの義妹のことが非常に負い
目だったそうですが、私は大して気にせずに結婚しました。
そのせいか、妻の家族は私を大変温かく迎えてくれ、義父が他界
しているので、最初から私はこの家族の絶対者になっております。
義妹との関係は、かれこれ6年になります。
義妹は、顔は不細工ですが、中学時代からかなり太めで、胸も尻
も大きく迫力がありました。義妹は姉の旦那である私を大変気に入
ってくれて、いつも甘えてきていました。
義妹には知的障害があるので、性的な感覚に疎かったのでしょう。
小さな女の子がするように、平気でダッコをせがんできて、お風呂
も一緒に入りたがる状態で、私も妹が出来た気分で妻とともに義妹
に温かく接していました。妻も義母も、そんな義妹の行動に対して、
とりわけ注意するでもなく、義妹が私に抱きついたり一緒に風呂に
はいるのは、ごく当たり前の生活になっていました。
ある時、妻が病気でしばらく療養しなければならなくなり、私と
のセックスもしばらくお預けせざるを得ない時期がありました。
しかし、もちろん若くて元気な盛りの時期です。そうそうオナニー
で我慢することも出来るはずもなく、悶々としておりました。
当時14歳だった義妹は、相変わらずダッコをせがんできたりお
風呂に一緒に入ったりしていました。しかし、いくら知的障害があ
る中学生とはいえ、その体はムチムチと成熟しており、無邪気に抱
きついてきたり風呂で全裸を見せられたりして、私はもう限界を迎
えました。
ある日の風呂の時のことです。
いつものように義妹は、私の目の前で無邪気に全裸になり、一緒
に浴室内に入ってきます。私は日頃の欲求不満で、その時激しく勃
起しておりました。義妹は目敏く勃起状態のモノを見て、興味津々
に見ようとしてきました。私も最初は隠そうとしていたのですが、
目の前の義妹の肉体が理性を壊しました。
私は「体を洗ってやる」と義妹を座らせ、手に石けんをつけて直
接義妹の体を触り始めました。義妹は自分が何をされているのか分
かっていなかったようで、くすぐったそうに時々笑っていました。
私は14歳の義妹の豊満な体を思い切り泡まみれにし、とうとう
我慢できずに抱きつきました。義妹はいつものじゃれあいっこのつ
もりだったのでしょう。「えへへ」と笑いながら、私に抱きついて
きました。
泡まみれでヌルヌルと滑る義妹の体を床に寝かせ、さすがに挿入
はまずいので、抱きしめながら勃起したモノを泡まみれの下腹に押
しつけ滑らせると、あっという間に射精してしまいました。
射精して多少冷静になった私は、あとはそれ以上のことはせず、
義妹に口止めをし、平成を装って風呂を上がりました。
実はその行為を、義母に見られていたのです。
義母は、しばらく思い詰めたようで、そして妻にそのことを話し
たそうです。妻ももちろんかなり悩んだようです。
結局、妻も義母も、このことが原因で離婚沙汰になったりされて
も困るという結論になり、知的障害者で顔も不細工な義妹は、どう
せ貰い手もないだろうから、このまま可愛がってもらった方が幸せ
だろうと言うことで、私の物になりました。
その時、妻と義母は私に対し、「義妹を可愛がってくれ。しか
し、妊娠にだけは気をつけて欲しい」と言いました。
妻も義母も、私を失ってしまうより、義妹を人身御供にした方が、
これから先のためと決断を下したのです。
それからは、日常生活の中でオープンに義妹をかまうことが出来
るようになりました。
もちろん、妻と私はいまも仲良くしており、義妹はちょうどペッ
トのような立場で可愛がっています。