僕がサンフランシスコに赴任していたときの事です。10年間いました。
その間、せっかくの機会なので両親を2回招待しました。
今度は祖父母を招こうとしたときに祖父が病死、3回忌が過ぎてから
祖母を招待しました。祖母といっても祖父の後添いの祖母で、母といくつも
違わない55才でした。
祖母を、僕のアパートに泊めて、毎日観光案内して回りました。
当時、独身だった僕は、55才とはいえ、若々しく、むっちりした祖母を
意識して、毎晩、股間が固くなりました。ある夜、我慢できなくて、祖母の
入浴中に、脱衣所で、祖母の下着を手に取り、匂いをかぎながらオナニー
をしました。
夢中になってしごいていたらいたら、突然、風呂場のドアが開いて、
祖母が出てきました。もちろん全裸で。
びっくり仰天した僕は、下着を投げ捨てて、自分の部屋に逃げ込みました。
いつまでも、そうしていられず、意を決して居間に行きました。
祖母は、ビールを飲んでいました。気まずい一瞬のあと、祖母は、僕に
ビールを勧めてくれました。僕は、一気にがぶがぶと飲みました。
祖母も、負けずに、何杯もあけました。
僕は、頭がもうろうとなり、身体がふわふわと宙に浮き出しました。
祖母も、桜色に上気して、目がとろんとしています。
「キットちゃん、お願いがあるの」「ん、何」
「私を抱いて欲しいの、こんなお婆ちゃんで悪いけど、一生のお願い」
祖母は、僕に抱きつきました。豊かな胸のふくらみが僕に押しつけられ
僕は、たちまち股間がそそり立ちました。
祖母を、押し倒して、着ているものをはぎ取りました。
小太りの祖母は、とても55才とは思えない若い身体をしていました。
乳房を吸うと、たちまち乳首が固くふくらんで祖母は、激しくあえぎました。
太ももをなでさすり、股間の茂みをまさぐると、そこはもう、ぐちょぐ
ちょに濡れていました。指を入れると、祖母は「うっ」とうめきました。
さらに、指を動かし、クリトリスに触れると、祖母は、ひーっと声を
上げて、身体を弓なりにそらしました。
軽く指でクリトリスをなで回すと、あんあんと声を出しながら、腰をかく
かくと痙攣させて、まもなく甲高い悲鳴を上げてのけぞり、僕にしがみ
つきました。達してしまったのです。
僕も、それを見て、興奮して我慢できなくなり、祖母の両足を押し開いて
固く熱く脈打っているチンポを祖母の中にずぶりっと突き入れました。
祖母は、再び悲鳴を上げてしがみつきました。
激しく腰を動かしているうちに我慢の限界に達し、どくどくと祖母の中に
はき出しました。
祖母は、三度び甲高い悲鳴を上げてのけぞり、両足を突っ張りました。
しばらく、二人とも動くことが出来ないほど、荒い息づかいでいました。
それから、休憩しながら、朝方まで、5回か6回放出しました。
精も根も尽き果てて、うなだれている僕のものを、祖母は、手でしごき
口に含んで何回も立たせるのです。
祖母は、果たして何回いったのでしょうか。55才の女性の性欲が
こんなにすさまじいものだとは、ただただ驚きでした。
その後の、アメリカ西海岸の観光予定は、大きく変更され、二人裸で
ベッドで過ごす日が多くなりました。
3週間の予定の日程が終わり、帰国した祖母は、それから1ヶ月ほど
寝込んだそうです。僕も、回復に一週間ほどかかりました。
その後、休暇で日本に帰ったときは、両親の目を盗んで祖母と関係を
続けました。
その後、祖母があっけなくこの世を去り、僕も結婚しました。
懐かしい思い出です。