日暮れ前からどうしてもカラオケに連れて行けと云って聞かない。もうこうなったら行くしかしょうがない。「すぐ帰るからね」こういって出かけたのだが、義母は久しぶりのカラオケで歌いまっくった。
久しぶりといっても50日位か。後10日もすれば、出産という義母は、2月中頃からは、義父も出来るだけ出ないようにと云っていたのでそれでも義父の顔を立てて辛抱していたのだが。
幸い今夜は、義父は、二泊三日の旅行でる明日の晩も留守、私の妻(義母の娘)の瑶子も今夜は夜勤でこの広い家は、私と義母だけである。
義母のたっての願いというか、瑶子も望んでくれ私自身瑶子とはそんなことで一昨年の暮れに結婚して、義父母の家に同居することになった。義父は、長距離トラックの運転手で、しばしば数日づつ家を空ける。瑶子は、市立病院の看護婦でつきに7/8回の夜勤がある。
結婚当初から二人の留守の晩が、しばしばありそんな晩は、義母と私の二人だけになる。
半年ほどの間は、そんな晩は、義母は必ずカラオケに出かけ遅く帰り、私は、時には義母の帰りを寝入っていて知らないほどであった。半年もたった頃、はっきりと覚えていないが、春もまだ浅い頃だった。夜中に何か生暖かく私ののチンボが握られているのに
気がつき夢中で彼女に突入した。「瑶子・ようこ」何度か叫び簡単にいつものように果ててしまった。「だめじゃない」その声で気がついた。義母の中に果てたのだ。「お母さん」「黙って。したかったの」「瑶子に内緒。お父さんにも」その日は、結局朝まで数回、義母に絞れとられたというのが本当でした。然し熟年女というか、瑶子の漸くなれてきたセックスとは違うあまりにもねちっこいこれが大人のセックスかと感じ入り、起きるのがつらいほどでした。
そんなことがあってからは、二人だけの晩は、必ず同衾し夜半まで楽しむようになりました。瑶子とは一年経ったら、という約束で、
避妊には注意してきました。43歳の義母は、瑶子を産んでやがて半世紀も経っており、「瑶子を産んでからお父さんとは、避妊したことはない」と云いますし中だし出なければと全然避妊のことは考えたことは在りませんでした。
ぼつぼつ、子供をと昨年の10月はじめ瑶子と話し合い、しばらくゴム無しでセックスするようになりました。10月の終わり、瑶子は「生理の予定日がもう10日か過ぎたがない。ひょっとしら出来たかも」といいました。もう少し様子を見てと話し合っていました。
そんなある日11月の始め、義父が、米子が、妊娠したといいます。「お母さんが。お父さん冗談は止めて」口を揃えて云いました。
義父母は、米子は、瑶子を産んでからどうしても後を産みたいと、頑張ってきたが、、やっと実った。うれしそうな顔です。
つい数日前にも義母を抱きましたが、全然気がつきませんでした。よくよく眺めますと、僅かながら腰回りは太くなった感じでした。
その晩は、瑶子が、色々と看護婦の立場で義母を問いつめますと最後は、「私は、産みたいの」で話は終わりました。予定日は4月の中頃の様でした。
その晩瑶子と色々と話し合いました。瑶子の妊娠は間違いないようで、予定日は7月始めだろう。親子で、いやだ。というのが瑶子でした。然し瑶子の妊娠はしばらく両親にも黙っていました。
10日ほど後、二人だけの晩、義母が、風呂の後、タオル一枚で私の前に立ちました。「見てよ」
下腹が、僅かに膨らんでおり、乳首は、真っ黒です。「この中の子は、あんたの子よ」「冗談でしょう。お父さんの子でしょう」「いや。」
「おかあさん、そうするとお腹の子供は婿と云うも息子の子供ね。そうすると息子の子供は、孫というね。お母さんは、孫を産むのかね」
瑶子の妊娠も義母にもしれ瑶子は、セックスを避ける様になってきますと、熟女の義母とのセックスは、また変わった味で、大きな腹も大変魅力的なものになりました。
瑶子の夜勤も今月いっぱいで来月からは、日勤だけになるそうです。それでも7ヶ月には入り大分腹も目立つようになりました。元気につとめに云っています。
義母は、久しぶりのカラオケで一汗かいたといまシャワーを浴びている。ぼつぼつ、いつものようにタオル一枚で出てきて、私の前でショウでもする気だろう。針で刺してもはじけそうな、見事に膨らんだ腹、もう後10日くらいで、瑶子とは、殆どセックスらしいこともしていないこの頃、今夜は義母の求めるままに楽しみこととしよう。義母米子は、3月始め43歳の誕生日を祝いました。妻の瑶子は22歳になります。