いちばん最初、姉が俊雪さんをうちに連れてきたとき、
私はだいすきな野口雨情の詩集の復刻版を手にしてました。
たまたまそれを居間で読んでたのです。
俊雪さんはそれを見て「復刻版かあ、色がきれいだね、僕が
古本屋で買ったヤツよりいいなあ、今度見せて」と笑いました。
とても嬉しかった。だってそんなふうに言ってくれる人は
はじめてだったから。姉にもトモダチにも、「そんな古臭い人の
詩のどこがいいの?」とか「かわってるねー」って言われて
ばかりいたから。。。
こんな人がおにいさんになるならまあ姉の結婚も喜ばしいと
正直に思いました。
知れば知るほど、私は俊雪さんにひかれていきました。
選ぶ言葉、持っている本、行ってみたい国、見てみたい景色、
きいている音楽、どれもこれも自分に似ていて、
だからひかれました。でもそんなこと誰にも言えないし、
きっと考えすぎよと、自分にいいきかせて暮していました。
そして思いがつのってどうしようもなくなる頃、
姉と俊雪さんは無事、式をあげました。
その日は姉がどこかのパーティーに出ていて、
私はクルマで15分ほどのところにある姉たちの新居に
夕食を届けしました。(母が姉に頼まれて、俊雪さんの分も
作ったのです)
「お前と俊雪さんはウマがあうみたいだから行ってきてちょう
だいよ」と母は笑ってました。母はもう私がハタチのリッパな
女だということを、俊雪さんがひとりの男だということを、
身近すぎて忘れていたのでしょう。
「いいなーお姉ちゃんやりたい放題のヒトヅマ生活」
私はスープをあっためながら笑いました。
「うーん、あのねえ冬実ちゃん。覚えておくんだよ。
女は尽くされて惚れられてシアワセになるのさ」
「あたしは追いかけたいなあ」
「若いうちはそれもいいけどね」俊雪さんは悟ったように
言いながら缶ビールをあけました。
「あ、あとは自分でできるから、気をつけて帰るんだよ
本当にありがとう」「じゃあこれよそったら」
ーーーもし媚薬を持ってたら、このカボチャのスープに
まぜるのに、そして俊雪さんに・・・ーーーおたまで
おなべをかきまぜながら、私はぼんやりと考えました。
するとどうしたことか、涙で視界がぼやけていたのです。
「冬実ちゃん覚えておくんだよ
女は尽くされて惚れられてシアワセになるのさ」という
俊雪さんの言葉は、「僕は春菜(姉の名)に尽くして
惚れてる」と聞えたので、とても痛かったのです。
しあわせなおねえちゃん!・・・涙はあとからあとから
流れてしまいました。
いままで絶対に誰にも見せないようにガマンしてきたの
で、涙はきっと、こんな時を待っていたのでしょう・・・
もうどうしようもなく、こぼれました。
「ど!どしたの」俊雪さんがギョッとしました。
「ゴメンなさい、ス、スープがね、目にしみて」
我ながら情けない嘘でした。どうせ媚薬もないし、俊雪
さんはおねえちゃん一筋だし、これ以上何かを期待したり
何かをさがしてそこにいるのが本当に情けなくなり、
私はスープをカップにいれてテーブルにのせて
「じゃあ帰ります」と言いました。
「ちょっと待った!そのままじゃアヤシすぎる。
お義母さんがビックリする」俊雪さんがきっぱりと言いま
した。「お願いだからすぐ帰らないで」その言葉がなんだ
かとくべつなヒビキを持っているように感じて、
ますます涙がこぼれました。
「大丈夫とちゅうで時間つぶします」
「夜なんだからダメです」「コドモじゃありません」
「いいえまだコドモです」「コドモじゃありません」
「オトナの女は男の前で簡単に涙を見せるような油断は
しないよ」「どんな男の前ならいいのですか?」
「そりゃあ」と言って俊雪さんは言葉を止めました。
このしゅんかん、きもちをみぬかれたように感じました。
私は床にへたりこんでいました。
知られた!はずかしい、どうしよう・・・!
私は混乱してました。「っ、冬実ちゃん」
「ごめんなさい、ごめんなさい」「冬実ちゃん」
俊雪さんが、私の前にしゃがみこみました。
「ごめんなさい 帰るから 帰るから」すると
「帰らないで」という声がして、私のカラダは、ふわっと
俊雪さんにひきよせられていました。
いちめん視界がスーツの紺色になりました。
「帰らないで冬実ちゃん」すぐそばでその声がきこえます。
「帰りたくない・・・帰らなくちゃ・・帰らない・
・・ダメ・・帰らない・・・」私はうわごとのように、
わけのわからないことを繰り返しました。
俊雪さんが、ぎゅっと抱きしめてくれました。
「もう限界だ。どうなってもいい」俊雪さんが苦しそうに
囁きました。「このままじゃ僕もキミもこわれてしまう」
俊雪さんが、私の腕や背中を撫でていきます。
「俊雪にいさん、も?」「そうだよ。ずっときもち
を殺していた」「んっ」あまりの快感に、ため息がもれました。
あんなに欲しかった俊雪さんの愛撫なんですもの。
からだじゅうが震えました。
でもどこかで「このさきにはドロ沼しかない」と警告が鳴って
いました。
「・・・だめ、だめきっとだめ、こんなこと」首をふり
ながらも、私はますます俊雪さんにしがみつきました。
俊雪さんの前髪が、私の耳をくすぐります。
「あ、ん」くすぐったくて気持ちよくて、
恥ずかしい声が漏れました。思わず手でくちびるを
ふさぎました。それでも、声があとからあとから・・・。
気づくと、俊雪さんも私も、走ってるときのように、
息をついていました。
「冬実ちゃん、、、」熱っぽい俊雪さんの声。
「あ。ん」「冬実ちゃん」「としゆきにいさん・・・」
「逃げろ、はやく、」「え、なんでぇ?」
「逃げないと抱いちゃう このままじゃ・・」「逃げない」
「抱いちゃうよ」「逃げないもん 逃げないもん」
私たちは同時に大きなため息をつきました。
そしてむさぼるようなキスをしながら、おちていくことを
決心したのです。