私は産れて間もなく母子家庭に育ちました。
3歳までは保育園に私を預け仕事に出ていた母でしたが、
見兼ねた祖父母が私を預かり、私はその頃まだ17歳の高校生だった母の弟
将義を含めた4人での新生活を始めたのでした。
祖父母にはすぐに慣れて、一人きりだった時と比べると大らかになったと思います。た
だ、叔父に対する緊張感は拭えませんでした。
というのも、男性の免疫というのがそれまでなかったことによるものもあったと
思いますが、それ以上に今まで意識したことのないような部分を指摘されることに、子
供ながらに心外だったからだったと思います。
例えば、大股開きでテレビを見ていたり、オナラをしたり、クシャミをして鼻が出た
り、無意識にしてしまったそんな行為に対して、叔父は大げさに「いや~~!!
紫織はずかしぃ~~!!!」と私の目を覗き込むようにしながらはやし立てるのです。
かたわらで見ている祖父母は「将!からかうんじゃないよ。」と、軽く諭すだけ。今思
うと、祖父母にはもっとその時叔父を諌めて呉れていれば、後々こんな事態にならなか
ったも知れないと悔やまれます。
ただ、叔父の年頃からしたら仕方なかったのかもしれません。
私は訳の分からないその非難と,向けられるまなざしにその都度傷つき、次第に恥ずかし
いという言葉に敏感になってしまいました。
その後小学校に上がると同時に母との生活に戻ったのですが、事あるごとに再会する叔
父を見かけるだけで、胸がドキドキして早く逃げ出したい、またあの恥ずかしい気持ち
が湧いてきて困るのでした。
高校を卒業するとすぐ、叔父は自動車の整備工のアルバイトをしながら貯金をし、フラ
ンスへ行ってしまいました。
帰国した叔父は、東京のフランス菓子の店で洋菓子を作る人になっていました。
その頃私は中学2年生になっていて、久しぶりに再会した叔父を見た瞬間に、恋してしま
ったのです。
口の中が乾いて、何も喋れませんでした。
そんな私に叔父は例の皮肉っぽい口調で、「テニス始めたんだって?好きなヤロウ
もその中の誰かなんじじゃないのか~。」とからかうのです。自動車の整備工をしてい
た当時の叔父は色も黒くて子汚い感じだったので、注目すらしていなかったのですが、
その時目を奪われたのは叔父の綺麗な手の形でした。節は太いのですが、スッと伸びた
指で、親指の付け根の部分はかなり厚みがあり、手のひらの中ほどはちょっと窪んでい
てカーブを描いている大きな手です。今思うと私は叔父のこの手と指に恋したのだと思
います。
彼氏が出来てもおかしくない年頃になり、それが過ぎても、私は叔父を密かに思い続け
てきました。それは、叔父が結婚する気配がないことにあらぬ希望を抱いていたからで
す。
恋しくなり独り慰める時も、叔父以外は考えられません。
最近驚いたのは、映画「誘拐犯」や「トラフィック」の主演俳優ベニチオ・デル・トロ
に叔父の雰囲気が似ていたことです。
好青年というよりは悪態つきで、知らないうちにフラッといなくなってしまう感じがそ
っくりで、この人の映画やビデオに没頭して、叔父の面影を重ねたりもしました。
祖父の葬式で親族が勢揃いをした時に、事件が起きました。
私が22歳の時です。
翌日に告別式を控え、葬儀で疲れた身体を早々に休めようと、2階に上がり床に着いた
私でしたが、階下で何やら言い争うような声が聞こえて下に降りて行くと、母と叔父が
テーブルを挟んで涙を流しながら何か話していました。
不穏な空気の中、私が「どうしたの?明日も早いんだし、早く休まなきゃ。」と
いうと、「あなたはいいから早く寝なさい!」と一喝され、気になって神経が鋭くなる
ばかりで,一睡もできませんでした。
告別式の斎場を後にする叔父の車の中で、私は叔父と二人きりになりました。
可愛がってくれた祖父が荼毘にふされお別れの儀式が一通り終わって、叔父が隣で運転
する二人きりの密室空間でも私の心は祖父のいない喪失感に支配され、頭の中が空っぽ
になってしまったようでした。
「ゆうべ紫織が風呂に入った後、洗面所でお前の下着を使って慰めてるとこをお前の母
さんに見つかったんだ。」
突然の叔父の言葉に、私は一気に心臓が締め付けられました。
思わず叔父の顔を仰ぐと、無理に笑顔を作ったような顔で
「紫織に軽蔑されてもしょうがないと思う。でも、お前がちびの時からずっと
お前の事が好きだった。女として意識したのはずっと後になってからだったけど、
俺自身も自分がおかしいんじゃないかとそれなりに彼女もいたし、フランス人の姉ちゃ
んと同棲したりして楽しんだりもした。でも、お前に会う度に苦しい気持ちは変らなか
った。よりによってこんな日にと思ったが、理性がきかなかったんだ。」
信じられない気持ちとしっかり確かめたいという一心で、私は叔父の横顔を見つめてい
ました。「心配しなくても、お前には迷惑かけないからどうかこの事は、忘れろ。」
複雑な気持ちで聞いているうちに涙が止まらなくなりました。
思い切って告白してしまえば、望んでいたことが手に入る!一方で、昨日の母の涙が鮮
明に蘇り、罪悪感が湧き上がります。
私がしゃくりあげる声が車内を占拠して、叔父も息苦しくなったのかも知れません。叔父は
大きくため息をつきました。それから路肩に車を寄せました。
沈黙が続き、「一度だけでいいから、ギューッと力いっぱい抱きしめていいか。絶対それだ
けでいいから。」と言って、助手席側のドアを開けてまた運転席へ戻りました。「逃げたく
なったら逃げていいから。」と、言い終わらないうちに両腕でもの凄い力で締め付けられま
した。力は緩むどころかどんどんきつくなってきて息が出来なくなり開放された時には、ぐ
ったりしてしまいました。一瞬キスするような
仕草を叔父が見せたので私も目を瞑りましたが、結局止めたようでした。
それからというもの、母は叔父と私が接触するのを極力避けさせようとしているようでした
。叔父の独り住まいの住所も、携帯の番号も、母は知っているようでしたし、兄弟としても
昔からとても仲がいい二人だったので、連絡も取り合っているようですが、私には一切知ら
せないという徹底ぶり。
現在26歳の私は宙ぶらりんの気持ちを抱えたまま、ラテンダンススクールで知り合ったブ
ラジル人の男性と友達になりました。彼はとても礼儀正しく、ダンスはとてもセクシーで力
強いのですが、清潔感のあるはにかんだ笑顔が素敵な人です。
この人なら、恋人にしてもいいなぁ~、と感じつつありましたが、フッと頭に意地の悪い企
てが持ち上がったのです。
ある週末、そのブラジル人の彼を連れて叔父の勤める洋菓子店に足を運びました。
厨房に引っ込んでいるはずの叔父を呼び出して貰い、「近くに来たから寄ったの。将叔父さ
んのオススメはどれ?」と、親しそうにブラジル人の彼の手を取りながら叔父に笑顔を向け
ました。叔父は、顔を一瞬曇らせた気がしましたが、丁寧にケーキの説明をしてくれて、「
ねぇ、どうしよっか~。」と友人と見詰め合いながら彼の手を握り替えたりしました。叔父
に見せつける為です。
ケーキの精算を済ませてから、私は叔父に紙切れを渡しました。
私の携帯の番号、今晩横浜のある高層ホテルで待っています、という内容です。
叔父はやって来ました。
ソファに腰を降ろすと、「お前、俺をからかってんだろ!!」と、怒り出しました。「あん
なふうに告白されて、将叔父さんの気持ちに収まりはついたでしょうけど、言われっ放しで
宙ぶらりんの私を忘れていいはずがないでしょう。」と、出来るだけ冷静さを装って言って
みました。「だからって、どうしろっていうんだよ!!」と、これも叔父らしくない張り上
げた口調です。
「あの時、将叔父さんから女の人と付き合ってたって聞いてから、身も知らない女の人達に
すごい嫉妬してた。自然なことで、ないほうがおかしいことだって理解してても将叔父さん
の口から直接聞かされて今迄耳から離れないのが、苦しかった。だって、私にはなかったこ
とだから。ずっと叔父さんとそうなりたいと思い続けてたおかしい子だったから。」
叔父さんはベッドに私を運んで何も話さず、そのまま唇を押し付けてきました。
「紫織・・・紫織・・・」と囁きながら、耳を甘噛みしたり、耳の後ろから首筋の匂いをか
いで、あの夢に見た叔父の指が私の髪をすいて往ったり来たりしては「紫織、いい匂いだよ
。」と言われて私は嬉しさのあまり涙が流れました。
叔父は決して舌を使いません。唇を器用に使って私を裸にしていきました。唇が乾いてくる
と私の唇に吸い付いてきて、私の皮膚の上を刺激します。そのうち肌が火照ってきてうっす
らと汗をかき始めると、叔父に汗の匂いを嗅がれているというのと、ますます滑りがよくな
る叔父の唇と手指を使った刺激に声帯が震えて思わず発した声に、叔父が私の頬を挟みこん
で「ああもうだめだ、堪え切れないよ。」というと自らも全裸になり、今度は舌を使って私
の唇に割って入り、「紫織、俺が好きだって言え。」と、歯茎を舐めたり舌を絡ませたりし
ながら吐くように言うのですが、そんな状態で私が喋られないのを判っていて態と言ってい
るのがその悪戯っぽい視線で判りました。「好きだって言えよ!」
執拗にそう迫られて、「将義が好き。」と言ったつもりが、鼻に抜けるような裏声になって
しまって、顔が真っ赤になるのが判ります。
「バカな奴。」
というと、叔父は私のお尻の下に枕を差し込んであの指で私の秘部をなぞり始めました。私
の上体を後ろから支えてもう片方の腕は太腿から腰を行きつ戻りつする刺激は、秘部の刺激
とは違った快感で、叔父の硬い存在がお尻に当たっていると思うと「お願いだから・・・お
願いだから・・・」と涙を流して喘いでいる自分が居ました。耳元に唇を寄せて「どうして
欲しいのか、言えよ。」と囁かれ、私は一人で逝ってしまいました。そしてそれを機に、叔
父の激しい烈情を繰り返し受け留め、
どちらのものかも判らないくらいに汗にまみれました。
叔父の名前を呼び捨てに連呼していると、叔父である意識が薄れてしまいました。
後の方はあそこが気持ちいいだけでなく全身に快感が走り、上半身が自然に反り上がって小
刻みに痙攣してしまい、喘ぎ声ではなくビブラートが擦れたような音が口から漏れて、すご
く動物的だったと思います。
それから間もなくして、叔父は自ら命を絶ちました。
40歳でした。
私との連絡を避けるような態度が私は我慢ならずに、彼に一方的に腹を立てていましたが、
思った以上に彼はデリケートで、ピュアな心の持ち主だったのかも知れません。
母は、私のあまりの落胆ぶりから薄々気付いているかも知れませんが、叔父は遺言を遺しま
せんでした。
そして私はますます彼の束縛から逃れなくなりました。