私は、25歳の時に20歳の妻と結婚しました。
妻は母子家庭で、元々私は、義母と付き合っていました。
私が22歳、大学4年の時に、恋人だった短大生が卒業していなくなって落ち込んでいるとき、慰めてくれたのが、当時39歳の義母でした。
アラフォーとは思えないほどシワもなく、少女のような可愛い面影がありました。
でも、そんな顔とは裏腹に、とてもスケベな身体をしていて、プックリしたエロい乳首と大きなお尻、ムチムチ太股がとても印象的でした。
特に、太腿から腰にかけての肉付きの良さは、アラフォーならではの色気を感じさせました。
私は、そんな熟女の熟れた肉体に夢中になりましたが、当時まだ高校生だった妻の居ぬ間に、義母の寝室でハメているとき、妻が帰宅して見られてしまいました。
母親と若い男が生セックスして、母親は若い男の精液を身体にかけられて悦んでいる場面を目撃、精液の処理をしていて見られていることに気付き、固まってしまいました。
その後、妻に惚れられて、妻が高校を卒業してすぐに18歳の処女を貰い、妻と義母との親子丼状態の末、結婚に至りました。
妻は22歳で女の子を出産、もちろんその間は義母を抱いていました。
その後、妻が24歳の時に第二子妊娠したのですが、スーパーの駐車場で、アクセルとブレーキを踏み間違えた車に撥ね飛ばされ、お腹の事ともに亡くなってしまいました。
女手一つで育てた娘を失った義母、妻とお腹の子を失った私、母を失った娘は事態が呑み込めていませんでしたが、哀しみどん底に居ました。
義母を抱く気にもなれず、どんよりと暮らし、妻の三回忌を終えた後、この先の事を話し合いました。
「あなたはまだ若い。娘は私が弔うから、ここを出て、新しい人生を歩みなさい。私のことは構わないから・・・」
と言われましたが、元々義母に恋してた私は、
「お義母さん、本当はお義母さんと結婚したかったんです。義理の母子だったから結婚は出来ませんが、この先、夫婦のような暮らしをしてくれませんか?」
と言って、私29歳、義母46歳は夫婦fのように暮らし、2歳の娘を育てました。
義母は、私を信頼の置ける夫として見てくれました。
孫を娘のように可愛がり、育ててくれました。
婚姻届けは出せないけれど、毎晩義母を妻として抱きました。
四十路の義母の性欲はすさまじく、若いペニスを貪りました。
「若いっていいわぁ~・・・」
と、カチカチのペニスで抉られて、蕩けるほどの快楽に酔い痴れていました。
今年、亡き妻の十三回忌法要が営まれました。
義母を母として育った娘は中二、遺影でしか母の顔を知らない娘は、祖母をお母さんと呼んでいます。
そして41歳になった私は、閉経して5年の58歳の義母の熟れ熟れオマンコに、毎晩精液を流し込んでいます。
義母は、この12年間、閉経前は生理日以外はほぼ毎晩セックスしていました。
だからなのでしょうか、義母は58歳には見えない若々しさです。
パッと見、30代後半でも通用しそうなほどの美貌とスタイルなので、買い物中に、普通に夫婦に見られます。
50代には全く見えない、可愛らしさが堪能できる義母とのセックスですが、h高になると、やっぱり30代の女性の肌とは違います。
ちょっぴり緩んで柔らかそうそうな肌と、程よい肉付きでムッチリした太股は、元々熟女の魅力にハマった私を魅了しています。
義母の裸は年相応に贅肉のついて、経産婦特有の下腹部とプックリ乳首がエロくて最高です。
普段は清楚な熟女なのに、可愛い顔でペニスを咥える義母の表情に興奮します。
義母は、17歳年下の、娘の夫とセックスするという罪悪感や背徳感を興奮の燃料にして、激しく燃え上がるという熟女特有のエロさで、セックスを楽しんでいるようです。
一見、落ち着いて清楚な奥様の雰囲気ながら、裸になれば、その身体の奥底に、とてつもなくエロい欲望を秘めている義母は、淫獣と言えるでしょう。
58歳という還暦も見えてきた女体を開き、黒ずんだオマンコで娘の夫のペニスを受け入れ、掻き回されて喘ぎ乱れ、毎晩子宮に精液を注がれているのです。
これから義母は還暦を迎えますが、私は、義母が拒まない限り、義母を愛し、抱いていくと思います。
そしていつか、70歳の義母を抱く日がやってきそうな気がしています。