高校を出たばかりの可愛い妻に一目惚れ、猛アタックで射止め、私は26歳で21歳の妻と結婚しました。
早い結婚でしたが、義母も20歳で妻を産んだシングルマザーだったので、普通に許してくれました。
妻は23歳で娘を産みましたが、実家に里帰りしているとき、買い物途中で暴走車に撥ねられ、亡くなってしまいました。
女手一つで妻を育てた義母の落ち込みようは酷く、私とともに、妻の忘れ形見の娘を育てました。
妻の三回忌が終わった後、何か一つの区切りが追徴に感じた義母は言いました。
「慎二さん、娘の供養は私がするから、あなたは新しい奥さん見つけなさい。」
「いえ、俺はここに残ります。そして、妻に変わって娘を育てたいから、娘の面倒を見てください。その代わり、お義母さん、妻の代わりをお願いします・・・」
今から10年前、妻の三回忌の夜、娘が寝た後で、30歳の私は、45歳の義母を抱きました。
夏川結衣さんに似た美しい義母は、娘を育てるため、止むを得ず何人かのジジイと寝たようですが、その裸身は45歳とは思えぬ美しさで、オマンコも45歳とは思えない純情さでした。
「殿方に抱かれるのは、10年ぶり・・・」
と頬を染めた義母が、とても可愛く感じました。
義母は、それまで娘に注いできた愛を、私に注いでくれました。
15歳の年の差を乗り越え、義母は婿の生ペニスでオマンコを貫かれ、
「殿方って素敵・・・そして、若いっていいわぁ・・・」
15歳年下の婿ペニスに、蕩けるほどの快楽にオマンコはグッショリでした。
義母と私は、夫婦のような生活をしていたから、娘は、義母を母のように慕って育っています。
義母は、まだまだ若くて性欲が旺盛な私に毎日身体を開いてくれました。
いくらし頃の四十路でも、毎晩私に四十路オマンコを満喫されては疲れないかと尋ねたら、
「とんでもない。もう、殿方に抱かれるなんて思ってもなったから、凄く幸せよ。しかも、15歳も若い娘婿に毎日愛されて・・・あの子の代わりに・・・」
と言っていました。
今年は、妻の十三回忌法要が営まれました。
娘も小学6年生になり、義母に教わって家事スキルも上達しました。
そして私はいよいよ四十路、義母は55歳になりました。
義母は55歳ですが、相変わらず夏川結衣さんに似て、めっちゃキレイな美魔女です。
私は、閉経して中出しし放題の熟れ熟れのオマンコに、毎日精液を流し込んでいます。
義母が52歳で閉経するまでの7年間、私は、義母に生理が来ない限り、毎晩セックスしていましたし、休日は、朝も義母を求めていました。
義母とのセックスは、月に約30回のセックスだったから、年間360回として、閉経するまで2,500回も義母を抱いたことになります。
その後、閉経して3年間は、生理休みがないので、月に40回近くなので、3年間で1,500回近い中出しセックスをこなしてきました。
義母と私は、この10年で、4,000回くらいのセックスをしてきたのです。
それだけの回数をこなせば、義母のオマンコは55歳らしいドドメ色のビラビラになりました。
娘が宿泊訓練で留守の夜、軽く飲んだウイスキーに酔って、トロンとした目でしなだれかかってきました。
居間で義母を押し倒し、パジャマを脱がせ、パンツを剥ぎ取ると、白髪交じりの陰毛の下に、ドドメ色のオマンコがクパア、昨夜の私の残渣か愛液か、既にヌルヌルで、義母は私のペニスをまさぐります。
綿sも脱いで、両手で足をM字に開いて、ドドメ色のオマンコに生ペニスをズブリ、五十路らしく付き始めた贅肉が揺れ、妙な色っぽさが漂いました。
しかも、娘がいないからと、その一回では終わらず、射精後も抱きしめられて、抜かずの二回戦、精液と愛液がグチャグチャと卑猥な音を奏でる中、義理の親子が快楽を貪りました。
もちろん翌日も、朝っぱらからお互いの身体を獣のように貪り続ける二人でした。
もう、義母と娘婿という関係を越えて、そこには紛れもない愛がありました。
本来は妻に向けるべき愛は、今後も義母に注ぎ込み、義母の熟れた女体を味わい尽くしていきます。
義母が何歳までセックスに耐えられるかは分かりませんが、私の性欲が枯れるまで、義母の女体を愛していくつもりです。
私は義母を愛し、そして義母に愛されています。
これからも、義母を女として愛し、いつか、私は娘婿として、義母を看取る日が来るのでしょう。
その時まで、義母と暮らします。