数ヶ月前に投稿した者ですが、半分以上の方々が ウソ
の話ばかりで、エロビデオの見過ぎかと。そこへ私のような者が
入っていくのは抵抗がありました。
前回は高校生の時の思い出を投稿しました。その後
義姉とは何もなく、ただ密かに思いをもっていました。
私が40を過ぎたある夜、20ン才も離れた長兄の家に
お茶飲みに行った時、兄から「お前と・・子さんとは
上手くいってないのは承知している 判らないように
上手く誰かと付き合えば」と あの生真面目な兄から
信じられない話し。逡巡した挙げ句、冗談半分で
「もう・・子と同年齢はイヤだ、はるか年上がいい」
そしたら「遥か年上ならここにも一人居る」隣に
座っている義姉を顎で指しました。ビックリなんて
ものではありません。兄より2才年上で、義姉はその時
66才でした。言葉に詰り「冗談を言うなよ、俺にとって
お義姉さんは憧れの存在だが、第一俺なんかじゃイヤ
だよね」と恐る恐る義姉を見ました。「ウチで良いと
言っているからいいんじゃない」お義姉さんの言葉、
義姉はテレた様な恥ずかしい様な顔を頬をポッと染め
言いました。後にベッドで裸で抱き合いながら、
その時の状況を話すと「ン~よしかずの意地悪」と
恥ずかしがり、24才も年下の義弟の胸に顔をうずめます。
可愛いです。兄がこれで決まり、・・子さんには絶対に
内緒だぞ、兄から強く言われました。
その晩は帰る時、義姉を薄暗い玄関に呼び、初めて抱きしめ
、初めてキスを求めましたが、義姉も待っていたのか、
欲望が溜まっていたのか、ムシャぶり応じてくれました。
「お義姉さん、早速来週の休みに朝迎えに来るから
真っ赤な紅を付けておいてね」と耳元でささやきました。
私を見つめながら「はい」 天にも昇る思いで帰りました。
32年も前のことなれど、未だに鮮明です。
95才で亡くなるふた月前まで、関係を持ちました。
90才近くに認知症を発症しましたが、それは関係なく
24才年の離れた義姉と義弟は29年間、兄公認で
濃密な関係を持ちました。子供の出来なかった義姉
でしたが、「あなたの子を宿したかった・身籠りたかった」
ベッドで涙を流しながら言ったこともあります。
月に2回か3回は求め合いました。箱根へ、江の島へ
横浜、新宿へと デイトを重ねました。出先では
もちろん手をつないで歩きました。年の離れた二人を
奇異に見られれば、より得意になって歩きました。
時には義姉から私の耳に口を寄せ「こうして人に見ら
れると濡れてきちゃった」なんてテレながら言われました。
真っ赤に塗った俺好みの唇で。
人前でも私は堂々と「お義姉さん」と呼び義姉は
よしかずさん 時にはあなたと呼んでくれました。
認知症が進んでも私を見ると、名を呼びながら抱き着いて
きました。キスをするのに口が臭いのはイヤだから
歯磨きは兄にも言いマメにさせました。半昏睡状態に
なり亡くなる数週間前も、明らかに老婆になった95才
の義姉が誰よりもセクシーに見え、個室病棟で夜
オマンコを舐めると、必ず少量のオシッコを漏らし
夢中で吸い・飲みました。口が汚されるのが快感
でした。オシメをした義姉が愛しいです。
顔を見ると気持ち良かったのでしょう少し赤らんでいました。
後で思えば黄泉の国へ旅立つ2週間前が
最後の義姉とのオマンコでした。
濡れなくなったオマンコに潤滑剤を使いペニスを嵌め、
腰を優しく使い、見下ろしながら「お義姉さん・
京奈お義姉さん気持ちいいよね~」・・義姉の膣深く
子宮に射精しました。老婆の義姉がセクシーです。
不思議なことに、その時義姉は薄目を開きました。
その数日後、指で義姉のオマンコを指でいたずら
イヤ愛撫をしたのが最後でした。
亡くなる前にはオマンコの毛も4・5本の白毛だけに
なっていました。
30年近く ふしだらで素敵で濃密な義理の関係
京奈お義姉さん愛していました・ありがとう。
まだ書き足りませんが この辺で
追申 いまだに老婆、義姉の写真でオナニーです