明治生まれの両親で子沢山、長兄と私は21才も離れて
います。その兄嫁は兄より2つ上で大正14年生まれです。
子供の時から美しい義姉京奈に、憧れていました。
60年近くも前の話で恐縮ですが、高校の時通う都合で兄宅に居候。風呂に入る時洗濯籠を
漁ると義姉が今さっき脱いだばかりのパンティーがあり
手に取り広げ臭いを嗅ぎ・ナメ、戻しました。それだけでは収まらなく
なり、その小さなパンティーを穿き、湯船にも入り快感に
浸りました。毎晩の楽しみに。 ある時には風呂上りに
洗濯籠から義姉京奈のオマンコからの愛液やオシッコで
汚れたパンティーを穿いてしまい、翌日学校へもそのまま
。前後の見境も無くし、我慢が出来なかったのです。
夕方部屋に居ると、義姉が入って来て「カズさん私の下着
知らない?」と聞かれ、大変な事になったと「穿いている
んでしょ ならここで脱いで」と すごすごとズボンを
脱ぎ、義姉のパンティーで窮屈なふくらみのマラを見せて
しまい「早く脱いで」半立ちのマラを見ながら私から
受け取ると、もうやめてねと部屋を出ていきました。
もうダメだ・21才も違う長兄にこっぴどく叱られる。
ビクビクしながら、その日次の日と過ぎましたが、何も
なく、ひと月もたつ頃には お義姉さんは兄に言わなかった
んだと悟り、安心しました。そうなるとまた風呂場での
行為は再開。それだけでは我慢できず、思い切って
「お義姉さんが今穿いているパンティーを頂戴」と
頼みましたが、何も言わず行ってしまいました。
数日してから私の前に、握りこぶしの手を何も言わず
出し、キョトンとしていると、片方の手で私の手を
持ち上げ、握りこぶしのてを私に重ねました。それは
湿った小さな布で、渡すと義姉は黙って行ってしまい
ました。それは生温かいピンクの下着でした。
ヤッタ~・サイコウ~ 今 穿いていたのを手渡し
してくれのだ。と その時の状況はいまだ鮮明に。
天にも昇る とはこう言うことかと。
汚れ具合からして、義姉は2・3日は穿き続けたのを
23才も年下の義弟にくれたのです。欲望を満たして
くれたのです。 私も3日ほど穿き続けると、義姉が
私の部屋で「もう返して・ここで脱いで」と
義姉が見ている前でズボンを脱ぎ始めると、義姉の
パンティーを真に突き破らん程に
すっかり立ったマラを見ながら、義姉は私から下着を
受け取ると、黙って出ていきました。
大好きな義姉京奈と 二人だけの秘密 が出来たと
嬉しかった。 数日後またお義姉さんにお願いしたら
「もうダメ うちに知れたら大変だから」と
義姉京奈は94才で亡くなりましたが、亡くなる前年
までの、濃密な30年間は 長くなりましたので
いずれまた投稿します。