私は、女だけの家に婿養子になってた。
私が婿養子でこの家に来たとき
まだ義祖母も健在で家を仕切ってた。
この家は、義祖母も婿養子をもらってた。
子供は、生まれるけど男の子が産まれなくて
義母も婿養子をもらってた。
でも生まれた子供は、女の子二人
その長女の婿養子になって
妻と子作り頑張ったけど
やはり女の子二人
家計のことを考えて子作り終了に
私を選んだのは、義祖母
私が選ばれた理由が
女遊びを思想に無いのと私の家系が男が多く生まれてたから
それと顔と容姿が義祖母の好みだと家に入ってから教えられた。
それは、義母も妻も同じだった。
本家で家を守るため
義祖母と義母は、婿養子に失敗してた。
義祖母の相手は、浮気で追い出し
義母の相手は、遊びにんで残ってた土地を売って博打や女遊びで離婚
残ったのがこの家と少しの田畑だけ
義母は、家を守るために愛人を作ってた。
家の離れに愛人が来ると抱かれてた。
私は、この家に入って
独身の時に働いてた会社を辞めた。
通勤も出来ない距離だったから
田畑をするのは、義母がしてたのを手伝い
妻の働いてたとこで時間の空いたときに働かせて貰ってる。
私の顔や体型だと女性に男として見てもらえない
男の頼もしさにかけてる。
じみにな感じで悪い遊びもしてなかった。
婿養子にならなければ一生独身だと思う。
婿養子になって当初
義祖母の相手をさせられて
茶道、活け花、料理、着物の着付けを教えられてた。
義母や妻よりも腕がいいと義祖母に気に入られた。
義母や妻と義妹は、義祖母の相手から逃げれて喜んでた。
義祖母は、元気で90に近いのに若くみえてた。
着物の着付けを教えられた時に
裸を見てしまった。
胸は、垂れてたけど張りのある肌
あそこは、腰巻きを巻いてたから見てない
着付けを覚えたら
義母や妻と義妹が着物を着るときに
手伝うようになってた。
着付けするときは、腰巻きだけから手伝うから
目の割り場に最初困ったけど
そのうちになれてしまった。
義祖母、義母、義妹、妻の胸を見てま興奮もしなくなってた。
それでも何とか妻が子供産んで私の子孫を残す役目が終わると
私の扱いが変わっていった。
義祖母や義母の失敗を繰り返さないように
どちらかの監視されるようになって
家のことや子守りが
まるで専業主婦のようになってた。
義祖母の躾が良かったから
怒られることもなく
まるで娘のような感じになってた。
その頃から私もおかしくなってきてて
妻や義母のお古を着たりし出してた。
私が着ててもおかしくなくて
義妹から小さいお姉ちゃんと呼ばれ出してた。
着物でお出かけするときにとうとう私も着物を着させられてた。
男の着物でなく女性の着物を
妻や義妹の練習がてらに着せられてた。
床屋も行かなくなってたから伸びてた髪の毛を義祖母が結ってくれた。
出来上がると義母が私の顔を見て眉がといって
整えられたらほとんど妻と同じ細さにされてた。
義妹が今度は、私に口紅を
妻と娘たちは、ニコニコ見てた。
それをけいきに私の女装が始まり
男物が傷んで捨てると無くなり
義母が私用の女物の下着や服を
そうなると義祖母の背中流すために一緒に入り出し
あれよあれよと同性みたいに義妹まで入ることになってた。
義妹の裸を見ても勃起しない私になってしまった。
義祖母が無くなり喪主は、義母がしたけど
その時に男の私は、そこに参列してなかった。
私は、義母の娘として三姉妹で並んでた。
近所付き合いもしてなく
婿養子だと忘れられてた。
この名前も紛らわしいから
私一人で留守番してたときに
義母の愛人がきて
義母が帰るまでと相手をしてたら押し倒されて犯されてしまった。
対格差でかなわなかった。
私が男とわかってるのに
アナルに挿入されてしまった。
私一人だけの時には、抱かれるようになり
女として開発されてしまった。
私を抱いたあとお金を握らされてた。
次に抱かれた時にこの薬を飲めと渡されて飲みだした。
ホルモン剤だった。