小学5年生の頃、父親の兄の家に遊びに行った。叔父さんの家には私と同じ歳の女の子が居て、その子が昼間出かけている間に、私は叔父さんに悪戯された。それを皮切りに叔父さんの私に対する調教が始まった。私は叔父さんの部屋のベッドに縛り付けられ、バギナやアヌスを叔父さんのペニスに合う様、拡張された。身につける下着は叔父さんの喜ぶ生地やデザインの物を着けさせられた。学校に行く時も常時、卑猥な下着をつけさせられた。
多分、小学5年生で、こんな大人の
下着を着けている子は居ないだろう。
好みに合ったのをショーウィンドウで見かけては、私に後で買いに行かすと
云うものだ。当日は何度もワコールショップに叔父さんから、お金を貰って買い求めに行った。小学5年生~6年生の私の下着の数は200枚位。見つかるといけないから家のタンスや私の部屋で保管させられた。小学生なのに、私の下着は派手で、まるで娼婦の着ける様なデザインの物ばかりだった。その頃の父や母は、どう思ったのだろう。小学校でスカート捲りが流行った。スカートの中には大人な下着を着けた私が居てスカートを捲くった男子は、いったいどう思ったんだろう。
卑猥なショーツを穿いた小学生がいると友達や家でも、きっと噂しているのだろう。私のニックネームはそれから
「ツルツル.パンツ」とか「ムチムチパンツ」とか呼ばれました。
着けていたパンティが黄緑色のツルツルした素材だったからだ。階段下から
私のパンティを覗き込む同じクラスの男子。水泳の時、パンティやブラジャー、スリップ、パンストなんかを盗まれた事も、しばしばある。
私は水泳をしていたので、競泳水着やブルマは、よく盗まれた。
当時、小学生で163cmという体格からか、サイズJsでは、ブルマも水着も
私の身体にはピッチリサイズ。カボチャでは無く、まるで生パンの様にピッチリ。ブルマなら脚グリのゴム部分からヒップの下着ゴムが動いてる間にはみ出る。中に穿いたパンティの生地が丸見えに成ってしまう。
先生や男子生徒の視線をヒップに集めながら、ブルマの食い込みを直す私でした。物干しに干してあった洗濯物を
盗まれる事や無言電話も、よくありました。叔父さんは私を彼女の様に咀嚼や精液をかけて食物を食べさせました。私が食べないと、途端に機嫌が悪く成り私をムチで叩きました。
全て叔父さんの思いのままでした。
母や父にも言えず、独り悩み明かした10代でした。叔父さんの性的な虐待は叔父さんが身体を悪くして入院する迄続きました。私が22歳に成る迄。
その頃、叔父さんは60歳でアルツハイマーと脳梗塞を併発していました。
私を脅した、たくさんの写真を自宅の
部屋に隠したまま。叔父さんの死後、
叔父さんの遺品は整理されましたが、
あの大量の下着や拘束具は、どう成ったのしょう..。
私は、やっと解放されたと思う気持ちで叔父さんの葬儀を見送った。
それから何年後かに、職場で今の主人と知り会った訳です。かなりの歳の差なのですが、あの時の叔父さんと私は40歳程離れていた。もちろん、私の父親より年上。今の主人も..。