先日TVを見ていたら、同居の義父に入浴を覗かれているようで不気味だという相談が寄せられていました。
「嫌だろうな」と同情しながら、結婚した頃の自分の境遇を思い出していました。
今から三十年前、二十八歳だった私は三歳年上の夫と結婚しました。
結婚したとき夫は大学院生で定職がなく、義父名義の都内のアパートで新婚生活をスタートさせました。
2DKの家賃は月に二万円と、周辺の相場からすると2分の1以下。
お風呂は付いていませんが、夫の実家は公衆浴場を経営していたので、同じ敷地内で夕方の4時から夜の12時まで営業している銭湯を利用すればお風呂代はタダ。
私の決して多くはない給料と夫の僅かなアルバイト代でやりくりしていたわが家の家計にとっては非常に経済的にはありがたかったのですが、その銭湯を利用することが私にとっては精神的にかなり苦痛でした。
というのも、銭湯の番台には義父か、家業を継いだ義理の姉の夫が座っていたからです。
私も学生時代から銭湯に通っていましたので、番台の男の人には慣れていました。
でもそれって、番台の男の人に裸を見られても赤の他人だから、「恥のかき捨て」みたいな感覚でいられるじゃないですか!
同じ敷地内で生活し、日常的に顔を合わせる義父や義兄が見ている前で裸になるのは恥ずかしく、利用し初めの頃と妊娠してお腹が大きくなってからは特に苦痛でした。
六十歳代後半の義父が、番台から嫁の裸を見ないように気を遣ってくれていることはすぐに分かりましたが、50歳を過ぎたばかりの義兄は難物でした。
義理の妹のカラダに興味津々の様子で、番台から露骨な視線を向けてくるばかりか、脱衣場に降りてきて私の周りの床をわざとらしくモップで掃除するなんてこともありました。
脱衣場では、正面から裸を見られないように背中を番台に向けていますので、背後に来られたときなどはゾッとしました。
入浴を終えて洗い場から脱衣場に上がったときは必ず番台からジロッと見られるので、前を隠すようにしていました。
そんなとき、義兄の目付きがイヤらしかったことは忘れられません。
番台の男の人がイヤらしくても赤の他人なら、他の店に替えれば済む(私も実際、学生時代に経験があります)のですが、夫の実家が銭湯で、しかもタダで使わせて貰っている以上、いかにも嫁の私が義兄を嫌がっているような真似はできません。
それだけに二年半後、夫の就職が決まってアパートから引っ越すことになったときは、ホッとしましたね。
大きなお腹を抱えながら、嬉々として片付けと荷造りをしたものです。
その義兄も比較的早く世を去りました。
記憶に焼き付けたであろう私の若い頃の裸の映像も墓場まで持って行ってくれましたので、今となっては全て時効ですが…
むろん夫の姉(義兄の妻)はいましたし、今でも健在です。
二人の間に子どもがなかったこともあり、義兄の死後、銭湯は廃業し、跡地にマンションを建てて優雅な老後を送っています。
私も時々ご機嫌伺いにお邪魔しています。
夫より一回り年上の義理の姉はおおらかな人で、結婚当初から気が合いました。
義母は私たちが結婚する前に他界していましたので、顔を合わせたことはありません。
義父の世話は義理の姉がしており、その意味でも15歳年上の義理の姉は私にとって姑のような存在でした。
困ったことは色々相談できましたが、義兄のイヤらしい態度についてはさすがに話せませんでした。
義理の姉は銭湯の家の娘に生まれ、思春期を迎えても一人前の女性に成長しても、番台に座る父親の前でずっと裸になってきただけに、特に抵抗はなかったようですよ。
それでも義兄の死後、「あなた、お嫁さんに来た頃、ウチのお店を利用することには随分抵抗があったでしょう?」と訊かれときは、「やっぱり、私の気持ちは分かってくれてたんだ」と感じたものです。
去年の暮れにお歳暮を持ってお邪魔したときは、エッチな昔話も聞かされました。
「主人(義兄)がまだ若い頃はね、番台に座るとサカリが付くものだから、後の処理が大変だったのよ(笑)」
少し間を置いて
「あら、ヤダ!あなたも、ウチのお店を利用してたわよね?変なこと言っちゃって、ごめんなさい」
「キレイな方を大勢見慣れたお義兄さんには、私なんか目に入らなかったでしょうよ」
と返しておきました。
夫は3歳のとき、跡取りの男の子に恵まれなかった義父と義母に養子として迎えられました。
義母の妹の子で、義母にとっては実の甥ですが、義父とは血の繋がりがありません。
ところが、夫は子どもの頃から勉強が得意で、大岡山にある工業大学に進学し、卒業後は現在、非難を浴びている某大企業に就職したものですから、義父は夫に銭湯を継がせることは諦め、前夫と死別して実家に戻っていた義理の姉がお婿さんを取ることになったのです。
しかも夫は、僅か入社2年で退職し、研究者を目指して大学院に進学。
私と結婚した頃は、すでに博士号を取得して、ポストが空くのを待つポスドクの立場でした。
まあ、そんな経歴の人ですから、ほとんど宇宙人。
新婚当時でも家にいるのは日曜だけで、土曜も祝日も7時には家を出て、帰って来るのは夜の11時前後。
実家の銭湯に直行し、その後お酒を飲みながら食事を摂ると12時過ぎにはバタンキュー。
そんなわけで、新婚というのに夫婦の営みも日曜だけでした。
おまけに未経験者同然で、前戯や挿入の仕方は教えましたが、私がイク前に射精してしまうことが多いので、欲求不満を感じたものです。
「番台に座るとサカリが付く」義兄が子宝に恵まれず、新婚当時でも夫婦の営みが週1程度だった夫に子どもができるとは、不思議なものです。
その義兄には脱衣場で執拗に裸を見られたばかりか、一度だけですが妊娠中にカラダを触られたこともあります。
妊娠後も雑誌社の仕事を続けていましたが、6カ月を過ぎるとお腹の大きさも目立つようになり、とうとう休職することにしました。
当時ですから産休制度などなく、休職期間中はクビが繋がっているだけで無給です。
時間はたっぷりあるので、復職後に備えアパートではひたすら勉強に励みましたが、何より嬉しかったのは夕方の時間帯に銭湯が利用できることでした。
というのも、その時間帯には番台に義兄ではなく、義父が座っていたからです。
義父は優しくてとても細かい心遣いのできる人で、私が銭湯を利用する際も決してこちらを見ようとはしませんでした。
「お義父さん、そんなに気を遣わないください」と言いたいくらいで、私も最初の頃こそ緊張したものの、義父が番台に座っているときは安心して入浴できるようになりました。
でも、義父が番台に座っているのは開店から7時までの間で、その後は閉店まで義兄が座っています。
勤めているときは、退社後に買い物をして帰ると8時近くになってしまうので、休みの土日祝日以外の日は義兄が番台に座っている時間帯に銭湯を利用せざるを得ませんでした。
その度に脱衣場では義兄の露骨な視線を浴びました。
それが休職期間中は、義父が番台に座っている時間帯に銭湯を利用できるので気分的に随分楽でした。
ところが、ある日のことです。
いつものように夕方の時間帯に銭湯に行くと、義兄が番台に座っているではありませんか。
後で分かったのですが、義父は浴場組合の総会に出かけていたのです。
義理の関係上、いかにも義兄を嫌がっているようにみえるので出直すわけにもいかず、番台に背中を向けて服を脱ぎました。
下着を取って全裸になったとき、「○○さん」と私の名前を呼ぶ義兄の声が背後に聞こえました。
ハッとして振り返ると、義兄が私のすぐ斜め後ろまで来ているではありませんか。
思いもかけぬ展開に、私は咄嗟に乳房とヘアを手で覆い隠しました。
義兄はさらに私に近づくと、「お腹もすっかり大きくなって、オッパイも張ってきたね。予定日は何時だっけ?△△(夫の名前)も研究以外に興味はないのかと思ってたけど、ヤルことはちゃんとヤッてたんだな」と言うなり、いきなり手を伸ばして私の大きくなったお腹を触ったのです。
触られたのは胸や下腹部やお尻ではなかったので、特にイヤらしい気持ちは義兄にはなかったのかもしれませんが、私は身体がこわばるような思いをしました。
幸い、脱衣場で近くにいた近所の年輩の奥さんが「××(義兄の苗字)さん、△△ちゃんのお嫁さんに何してるの!」と厳しくたしなめてくれたので、義兄は頭を掻きながら番台に戻っていきました。
それでも、入浴を終えて洗い場から脱衣場に上がったときは、正面の番台から裸をジロッと見られました。
義兄にお腹を触られたせいか、この日は何だか「もう、どうでもいいや」という気分になって、前を隠していなかったのです。
夫の就職が決まったという知らせを受けたのは、その数日後のことでした。