あたしは今現在40代の専業主婦です。
あたしが物心ついた時には養父に性をすり込まれていました。
毎日一緒にお風呂に入って、身体中を舐めあったり、オシッコやウンチを掛け合ったり飲まされたり、お尻の穴に指を入れながらおちんちんを手で握ったり擦ったり、唾液を飲み合うキスをしたり。
それが日常で普通のことでした。
あたしの母親は、二度の結婚と離婚をしていて、あたしが父親だと思っていた人は籍も入ってない、母親の同居人だったのです。
正確には母親のセフレがうちに転がり込んでいただけでした。
そしてその養父には連れ子がいてあたしよりも4つ歳上のお兄ちゃんと呼んでいた人でした。
養父は仕事をしたり、しなかったりで、ずっとうちにいることも多かったんです。
幼かったあたしは養父と裸で一緒にいることが普通でしたし、ママに言ったらものすごく怒られるからということだけで、誰にも言わずに成長してました。
あたしが小4くらいには、養父もママもいないときはお兄ちゃんに養父と同じことをしてました。
中3になったころにやっと、他の家庭とは違うことに気づいたのですが、養父やお兄ちゃんとしてたことが嫌ではなかったし気持ちよくなれていたから、高校を卒業して就職してからも時々してました。
オナニーのしかたを教えてくれたのは養父でした。
セックスを初めてしたのは、就職して2年目で会社の人でした。
養父もお兄ちゃんも、おちんちんを膣に入れることがなかったからあたしはバージンのまま大人になっていました。
ただ、後ろのほうは中学の時にはもう普通に使ってて、お尻の穴でいくことも出来てました。
初めての人と終わったあとに、まさかバージンだったなんてと呟いた時には、どうしてって聞いてしまったら、その人は、あたしの身体のことを言ってました。
年齢不相応な、熟女の身体みたいだったそうです。
あたし自身、中学を卒業する頃にはママ以上におっぱいが垂れてて、乳首も真っ黒くて大きいし、あそこもお尻の穴も本当に真っ黒くなっていたのに気がついていました。
下も脇も、毛は養父に2~3度剃られただけで、そのあとはお手入れすることを許してもらえなかったから、とにかくふさふさでした。
いま思うと毎日2人に何時間も触られたり舐められてたり、おちんちんを擦りつけられたり、お尻に入れたままでいたり、精子をつけられたままにされてたり、オナニーも毎日2人に見せたりすることが普通でしたから身体は歳をとってたのだと思います。
結局あたしはその初めての人の子供を妊娠して結婚しました。
結婚が決まってお腹も大きくなりだした時に、お兄ちゃんにも養父にも初めて膣の中に出されました。
毎日のように飲まされてきた精子をあそこで初めて受け止めたときには、お尻に出されるときとは違う感覚でいくことができました。
あたしがうちを出たあとに知ったのですが、お兄ちゃんは中学の時からママともしてたそうですし、ママにはお兄ちゃんの友達何人もとさせていたことも知らされました。
そしていま、あたしは2人目の夫の義理の息子とも、そしてそのお友達8人ともエッチをしています。
あたしの娘は高校を卒業した日に出て行ってしまいました。
もしかしたら、見られてたのかもしれません。