もう20年以上前の話しなんですが。
俺の育ったところは山間部で、高校はド田舎高校一つしかなく、県庁所在地の高校に通うにもバス電車使っても一時間半かかる上に、登校時間に間に合わないという便の悪さ。
みんな地元ド田舎高校に進学、でも俺は母の姉、幸(ゆき)伯母さんのところに住まわせてもらいながら通うことが出来た。
幸伯母さんはバツイチ、市内のマンションに一人暮らしをしていた当時47才、母は兄弟の中で、一番幸伯母さんを慕っていた。
仕事をしている幸伯母さんは住み始める前、仕事の関係とかで、弁当や晩御飯を作ってあげれない日もかなりあると思うと言っていたが、実際住み始めると、仕事で遅くなりそうなときなど、朝や昼休み中に晩御飯の用意をしておいてくれたり、頑張ってくれた。
俺は幸伯母さんを性の対象として見ていたわけではない。
でも幸伯母さんは違っていた。
時々、俺の部屋に様子を見にきたりしていた。
そしてオナニー現場を見られてしまって、数日間、なんとなく気まずい雰囲気になっていた。
住み始めて三カ月くらいたつ、期末テストあたり。
勉強中の俺の部屋にきた幸伯母さん。
『頑張ってるね。この前はごめん。悪かったね』
と気まずい雰囲気を消すためか、謝ってきた。
『伯母さん、直ちゃんのあんな元気なの見ちゃったから、あの日から少し変なの』
と胸を押し付けてきて驚いた俺。
性の対象と見ていない俺は止めるようにいい、抵抗した。
『伯母さんのいうこときいてくれないと、学校通えないんだよ?』
街中の学校に通い、友達も出来て楽しくなっていた矢先、通えなくなるのは困るし、エッチに興味がないわけではない若い俺。
もうなすすべがなく、幸伯母さんの策にはまった。
フェラで瞬殺され、なおもフェラを続けられ、また勃起したものを幸伯母さんは股間に埋め込み、あっけなく童貞は奪われた。
出ると幸伯母さんに告げたが間に合わず、少し中でもらした。
幸伯母さんはそれで妊娠と中絶を経験した。
しかし狂った幸伯母さんと俺は、毎日やりまくっていた。
中絶のショックや背徳感を打ち消すように。
幸伯母さんが買ってくるスキンなどあっというまになくなり、なくなっても俺にやれる体力があるときは、妊娠中絶したことあるのに、スキンなしで、懲りもせずやった。
卒業するまでやりまくっていた。
もう幸伯母さんはこの世にいないが、亡くなる前、中絶と背徳の罰が下ったと、病床で語っていた。