15年前、母は当時10才の私を連れて父と再婚しました。
スナックで働いていた母が長距離のトラックドライバー
をしていた父を家に同居させて6畳二間の小さいアパート
で三人の暮らしが始まりました。
義父と母は子供の前で平気でセックスをするような好き
もの同士でしたので、私も性的にかなり早熟に育ったよ
うでした。
私が中学2年になった頃の或る日、晩酌をしていた義父が
テレビを見ていた母と私の姿を見ながら、「お前たちは
後ろからでは区別がつかないほど良く似ているな」と言
いました。
言われると確かに150㎝で60㎏の母と私は同じような体型
で、紺色のショートパンツに白のタンクトップの母と白
のTシャツの私は鏡に映した自分を見るようでした。
義父は、にやにや笑いながら「こんど間違えてよしみと
寝てみるのもいいかもな」と言いましたが、それが現実
のことになるとはその時は思いもよりませんでした。
母が実家の父の看病でしばらく家を留守にすることにな
った或る日、私は義父に抱かれました。
母と義父のセックスを毎日のように見ていた私にとって
大人になれば自然の成り行きと思っていましたので、男
同士のセックスと言っても特別驚くことはありませんで
した。
何よりも母への口止め料だと言って貰った一万円が途方
もなく嬉しかったことを覚えています。
その夜私は3時間ほどの間に5回も射精を繰り返したそう
ですし、義父も久しぶりに3回もできたと言って満足そ
うでした。
三日ほどヒリヒリ痛かったアナルの違和感も癒えた頃、
また義父に抱かれました。
その後も口止め料を貰いながら義父との関係は半年以上
続き、フェラチオも随分上達して褒められるようになり
ました。
義父は私にとっては忘れられない初めての男性でしたが、
私と関係を持った翌年に突然の交通事故で私と母を残し
て亡くなりました。
義父との関係が最後まで母に知られずに終わったことが
私のたった一つの義父への孝行だったと思っています。
私はいま女装して男性に奉仕することに喜びを感じてい
ます。
相変わらず150㎝で60㎏の不細工ですが、親譲りの白い肌
とホルモンなしで片手に余るボリュームの乳房が取りえ
で、T公園やK館ではこんな私のファンになってくれる人
が居て週末を過ごしています。
顔は救いようのないブスですが、短いけれど60㎝超の白
い太ももが魅力と言われています。