生母とは生き別れ、父は二度目の母、つまり義母を迎えました。父とは十八くらい年が離れ、
私とは十七くらい離れていたでしょうか。厳しい女でした。気にくわないことがあればいつ
でも暴力が待っていました。しかし表向きは継母と言われることを極度に恐れ、気持ちが悪
いほど優しく接していました。私はそんな義母に育てられ中学2年になったいました。義母
は32位だったでしょうか。多分ひどい風邪を引いたのでしょう、理由ははっきりしません。
義母が私の隣に寝たのです。父が同じ部屋にいたのかどうか記憶がありません。手をつねら
れるような気がして目覚めたのです。知らないまま、僕の手が義母の恥丘の上を彷徨ってい
たようなのです。暖かいと言うより熱いほど燃えていた義母のそこに僕の手は乗っていまし
た。義母の手がその上から僕の手を掴んでいました。『悪い子』。ほとんど無声音のつぶや
きが僕の耳に聞こえました。私は腹這いになっており、左足が義母の豊満な脚の上に乗り、
そして左手が義母のパンティの中に忍び入っていたのです。少年の指には余るほどの濃密な
陰毛が茂り、少し前に見せられた近所の女の子のものとは明らかに違う、大人の秘密がここ
一点に隠されているような魅力を感じたのです。『よしなさい。手を除けなさい』。義母の
溜息のような声がしました。私は激しく首を振って義母の脇の下に顔を押し込んでいきまし
た。はだけたネグリジェの中に、まだ子を産んだことのない豊かな乳房と、ミルク色した豊
満な二の腕の中に成熟した女の香が充満して、その匂いに酔って、もう大人になりかかった
ペニスが活動し始めていました。私の下半身は身繕いしただけでペニスは完全に露出し、そ
れが義母の左手に触ったのでしょう。義母は私の手前、しきりにペニスを除外しようと指を
動かし、それがかえって義母の手のひらに完全に乗るような結果を生んでしまったのです。
義母の手のひらがペニスの大きさを測るようにそっと閉じられました。義母の柔らかな手の
ひらは、まるで二枚貝が深い呼吸をするようにゆっくり閉じ、そして開きました。私はその
まま深い眠りに落ちました。
翌朝、朝食の時、父が『どうだ、少しはよくなったか』と言いました。義母は『あたしはも
ういやよ』と言ったので私はぎくりと緊張しました。義母は続けて『だってこの子、凄く寝
相が悪いんだもの、朝までよく眠れなかったのよ』と言ったのです。これで義母と私の間に
誰にも言えない共通の秘密ができあがったことを知ったのです。それからの義母は私が何を
しても一切叱らなくなりました。扱いも大人に対するような感じでしたが、私はかえって甘
えるようになり学校から帰ると後ろから抱きついたりするようになりました。義母はそんな
とき、小さな声で『駄目よ、まだ子供なんだから』と言いました。聞きようによっては大人
になるまで待ちなさい、と言うことかも知れないと思いました。
私の義母に対する甘え方も変わったに違いないが、それより急激に義母の私への
対応が変化した。誰が見たって実の親子のように見えたに違いない。義母の買い
物のときには私が必ず重いものを持った。2年ほどたって義母が私への呼び方が
「かずちゃん」から「かず」に変わった。そしてあれは私が高校2年の時、義母
の父親が青森で亡くなった。その頃から何となく健康の優れない父の名代として
義母に付き添って青森まで行くことになった。義母と言ってもまだ35歳くらいの
母と初めての長い旅行で、私の心は浮き立った。東北新幹線を乗り継いでの旅行
中、私はずっと義母の手を握った。着いた先は昔は養蚕までしていたという3階
建ての古くて大きな農家だった。通夜から葬儀から納骨まで3泊のつもりだった。
『お母さんが18まで住んでいた部屋行ってみようか』。2階の階段を上がって廊
下を進んで曲がったところだった。そうか、この母はここから毎日地元の高校へ
通っていたのか、と不思議な感慨が湧いた。義母が『よし、いいわ、今日はこの
部屋に泊まろう、いいわね』と言った。机や座布団や本棚や電気スタンドの傘な
どが女子高生の古典的趣味のままであった。嫌も応もなかった。
義母の姉兄の子供達だけの夕食が終わり階下の大部屋で通夜が始まった。大人の
食事は通夜の客達と一緒で酒も出るようだ。通夜が終わって西瓜を食べ、部屋に
戻った。6畳くらいの畳の上に布団が二組敷かれていた。蛙の大合唱を聞きなが
ら電気を消してランニングとパンツだけで横になっているうちに眠ってしまった
らしい。目が覚めたのは、義母のすすり泣きを聞いたからだ。網戸の窓の外にあ
る誘蛾灯の明かりが届いて、横になった義母の背が微かに見える。側にいざって
行くと義母がこちらを向いて布団に場所を作った。こちらへおいでという意味だ
ろう。私がそこに行って義母を抱いた。酒の匂いがした。誰かに勧められたのだ
ろう。『抱いて』義母は大胆にそう言った。でも、母のほうがしっかり私を抱い
た。明かりを受けた母の目がきらきら輝いて私の目を覗き込んだ。私は母の唇に
むしゃぶりついた。母は私の顔を挟んでゆっくり唇を寄せてきて『吸って』そう
言って熱く濡れた舌を差し込んだ。わたしは何のためらいもなく母のショーツの
中に手を入れた。私が何もしていないのにもうそこは熱くぬめって淀んで、母は
腿を開いた。母は私の手を乳房に誘い私の下着そして自分の小さな布を下ろした。
私の腿に母の豊かな陰毛の肌触りを感じた。『かず、来て・・・』・・・『あ
あ、いい・・』溢れんばかりに熱湯が滴る中を私の命がおし進んだとき、義母
が吐息と一緒に私の体に豊満な大腿部を巻き付けたのです。こんな時に言うセリフ
を高校生が持っているはずがありません。ただ全身を貫くほどの強い快感が体を揺
り動かして『ああ・・お母さん』としか言う言葉をもてないのです。『いいのよか
ず、あなたそのままお母さんに頂戴』。それが何を意味するかを知っていました。
私は母を不幸のどん底に突き落としかねない勢いで身を震わせて射精したのです。
その後4年がたって昨年父が他界し、確かに母は亡き父の法定相続人の一人ではあ
りますが、私が終生愛し続けていくべき存在でもあるのです。その母もますます成
熟して美しく、知らない人には年若い夫と言って憚らない素晴らしい関係を続けて
いるのです。今の日本社会では女性が長期間美しくて若いのです。それに比べて男
は老いるのも死ぬのも早い。私たちくらいのハンディキャップがちょうどいいのか
も知れません。