その後二人は数週間悩みました。我慢の禁欲の日々でした。
しかしお互い知ったあの時の禁断の行為は心の中で日に日に増幅され、とう
とう我慢の限界を越えました。私は仕事を口実に外出し昼間からホテルで逢
瀬を重ねました。
二人は幸せの頂点にいました。二人の関係は永遠に続くと思っていました。
自己破産により多額の負債の件も一応解決しました。
その後、叔母は福岡市の娘夫婦のマンションで同居することになりました。
引越しの日、車で叔母と必要最小限の荷物を積んで福岡のマンションに向か
いました。
そこで娘さん夫婦に紹介されました。ご主人は人のよさそうな身長180cm位
のがっしりした体格の方でした。年令は30歳でした。娘さんとは以前から何
度か面識がありました。
私と叔母との関係は既に知っていました。以前たまたま電話で話す機会があ
ったとき、これからも母を宜しくお願いしますと言われ、言葉に詰まったこ
とがありました。
その頃私は毎月一回福岡支社で定例会議に出席するため福岡を訪れていまし
た。
九州全域から集まるため会議が始まるのはいつも午後一時からでした。
幸い娘夫婦は共稼ぎのため平日の昼間は何時も不在でした。
月一回の逢瀬は会議の日の午前中でした。マンションに着くのはいつも朝の9
時でした。
月一回の密会、それは密度の濃い密会でした。
部屋に入ると互いの溜まりに溜まった憑き物を吐き出すように激しく求め合
いました。
そのときの二人には前技など必要ありません。既に前日からお互いの心の中
で愛撫は始まっています。激しく唇と唇を重ね、舌と舌を絡ませお互いの唾
液の交差が始まります。
お互いがもどかしく下半身をむき出しにします。私は叔母の太股をいきなり
押し開き、いきり立った物を一気に押し入れます。そして叔母の腰を抱きか
かえ、私の膝の上にのせ座位の体位で繋がったまま、お互いの身に残った服
を脱ぎ捨てながら更に体を密着します。そしてお互い見つめ合いながら、い
かにこの時を待ち望んでいたか、愛の言葉と身体で対話を始めます。お互い
激しく腰を振る様は得体の知れない軟体動物の動きに見えました。
クチュクチュと卑猥に、行為の音が部屋に響きました。それは二人の愛の深
さを物語るかの様な響きでした。しかしそれ自体は一つの目的に向かって突
き進む獣の行為でしかありませんでした。叔母を組み伏した太股とその下に
は乳白色の愛腋が滴り落ちていました。叔母の両足が私の腰に絡みつき、両
手で私の背中にしがみついてきました。頂点を迎える声と共に二人は達しま
した。叔母の肉体の震えと嗚咽の声が増幅され、部屋中に響き渡るような感
じでした。
暫く繋がったままお互いの温もりを感じながら、その快感を惜しむように息
を整えます。そして二人はシャワーを浴びて衣服を整えました。
私は用意された昼食を食べ終わり会社の会議に出席しました。
これが月一回の叔母との逢瀬でした。
福岡での叔母との逢瀬は約2年近く続きました。その後、私は広島に転勤す
ることになりました。
この転勤が私と叔母との悲劇の始まりでした。