数年前に主人をクモ膜下出血で無くしました。まだ38歳のこと
でした。私は1歳年上です。当時主人と一緒に小さな飲食店を
営んでいましたが、その店も人手に渡ってしまいました。
主人のわずかな保険金で借金はどうにか埋め合わせ出来ましたが、
毎日の生活に追われる日々でした。私は惣菜屋で働いていました。
2年前に長男が遠方の大学に入る事になったのです。でも入学金
やアパートの入居費用は有りませんでした。主人の両親は隣町に
住んでいました。姑のお母様とはあまりうまくいっていません
でしたが、お父様は話しやすく気さくな人でした。ちょうど
そのころお母様が乳ガンで入院していました。主人は一人息子
でしたが、私の希望もあり、実家への同居は伸ばしていました。
お母様が居なくて都合が良くて、お父様に話したいことがある
と言って、居酒屋で待ち合わせしました。でも、なかなか話を
切り出せなくて、お酒の力を借りようと思って、ついつい飲み
過ぎてしまいました。しばらくしてお父様がもう帰る時間だと
言い出したのです。いつも病院の消灯の時間にお母様から電話
があるからという理由でした。話があるなら家でしようと言う
ことになり一緒に実家に行きました。
実家に入ってまもなく、お母様から電話がありました。電話が
終わるとお父様が日本酒を出してきて飲み始めました。熱カン
が良いというので、キッチンを借りてカンにしました。
私も一緒に呑めと進められ、慣れない日本酒を呑みました。
その時に、お母様の病状が悪いことを聞かされました。ガンが
転移していて、もう数ヶ月しか持たないと言うことでした。
私はお金のことを話しにくくなってしまいました。でもお父様
はそのことを察しているようでした。しばらく呑んでいた
お父様が、私に見せたい物があると言ったのです、ついて来な
さいと言って、別棟の部屋に案内されました。そこは物置に
使っているようで、タンスや桐の箱がいくつも並んでいました。
桐の箱の一つを開けて、中の陶器を見せてくれました。先祖
から伝わる高価な物と言うことでした。それから和箪笥の前に
くると、引き出しを開けて見せてくれたのです。着物がびっしり
並んでいました。お父様はいずれは孫で有る私の長男に引き継
いでもらうと言いました。そして、着物は私に譲りたいと、
でも、一つだけ私のことが気になると言いました。どういう事か
と聞くと、私に男が出来て、財産を奪われるのでは無いか
と言うことでした。それで、私に忠誠を誓って欲しいと言ったのです。
お父様が言いにくそうに話しました。お母様が病気になってからずっと
女性関係が無いこと、世間体もあり、この年では自由に遊べない
こと。私は最初意味が分かりませんでした。でもそのあとお父様が
私の肩に手を乗せてきて始めて意味が理解できました。
私に恋人がいるか聞いてきました。いないと言うと、まだ若いから
すぐに男が欲しくなる、自然のことだからしょうがないでも、
一度関係が出来てしまうと体が欲しがっているから、もう遅い
私が男として機能している間は、私が慰めてやるから、と言ったの
です。そして、無理にとは言わない、いやならそれでもいいと
付け加えたんです。私はその意味の重さがよく理解できていません
でした。お酒の酔いで、まるで棚からぼた餅のような降ってわいた
いい話だと思ったのです。お願いします、と返事していました。
するとお父様はせきを切ったように、私の体を求めてきたのです。
それは、オオカミのように激しくもあり、ねちっこいものでした。
主人が亡くなってから、法事や生活に追われ、男性に接していない
私もまたお父様と同じ、異性を求める体になっていたのです。
2,3時間お互いに獣のようにむさぼり合いました。
営みが終わり、長男の大学資金の話をすると、快諾されました。
そして、生活費の援助も惜しまないと言われたのです。夜遅くに
自宅に戻りました。翌朝、犯した過ちの大きさに悩みました。
一週間後の昼過ぎにお父様のところに行く約束をしていました。
もうその時には合わないでおこうという考えは失せていました。
支度をしながら、股間に潤みを感じて、体は欲しがっていたのです。
それからしばらくしてお母様が亡くなりました。49日を迎え
る間もなく、お父様に求められました。今となってはお父様の
健康を祈るばかりです。地獄へ落ちることも覚悟の上です。