私は結婚と同時に養子に入り、養父母と義妹との5人での生活がスタートしました。家内は結構セックスが好きで私の求めを拒む事は1度もなく、1番の性感帯である軽く乳首を数秒弄っただけでも大洪水で、前戯らしい事もしないうちから挿入を求め、10人並み以下のサイズの私のペニスでも何度もイッてしまうほど感度も凄いものがありましたが、天は二物を与えずとの例えの通り、元来病気がちで体力のない家内は私が終える前に疲れ果ててしまい、激しい喘ぎ声を発しながら中断を求めるのが常でした。
結婚生活も10年過ぎ、子宝に恵まれないまま過ごしていた為、家内とは相変わらずのセックスライフを営んでおりました。そんな頃、私がバックで家内を突き上げていた時でしたが、家内の激しい喘ぎ声でハッキリとは聞き取れませんでしたがベランダで微かな物音を感じたのでした。翌日は正常位で突き上げていた時にも聞こえたのでした。私達夫婦は2階の3部屋のうち2部屋を使用し、ベランダを共有するもう1部屋を義妹の敦子が使用していたのでした。私達に子供がいれば我々大人は子供の成長を通して年をとっていっている自覚もあったのでしょうが、10年同じ顔ぶれで生活していたためいつまでも結婚した頃と同じ感覚でおりました。考えてみれば隣室の敦子も既に30代半ばに達し、嫁に行かないのが不思議な事で、毎日定刻に仕事から帰り、休みも家の事を積極的に手伝う感心な生活でしたから、私には敦子から男を感じ取れずにいました。そんな敦子も普通ならば所帯を構え亭主と好きなだけセックスしていても可笑しくはなかったのに、私達一家のアイドルとしての生活で男を近付けない毎日の様だったのです。
私は翌朝敦子が朝シャンをしている隙にベッドの下にワイヤレスマイクをセットし出勤しました。その晩も正常位の真っ最中に物音です。家内を寝かし付けた後、何時もならばオナニーで射精して私も寝るのですが、その晩は朝セットしたマイクの音をステレオで拾い、ヘッドフォンで聞く事にしてました。チューナーの周波数を合わせると聞こえて来たのはベッドのスプリングの軋む音と、微かな敦子の喘ぎ声だったのです。翌晩も翌々晩も同じ事が続きました。私は意を決して敦子の部屋をベランダから覗き込みましたが、夏だったせいもあるのでしょう、敦子は全裸で、初めて目にした裸体はスレンダーでありながらも巨乳である家内以上の胸で、乳首を摘みながら片手は股間に伸びており何度も腰を浮かせていました。私は窓に手をかけると鍵は架かっておりませんでした。オナニーに夢中だった敦子は私の進入に気付くのに多少時間がかかりましたが、全裸の私が接近すると流石に気が付き、乳首を摘んでいた手で両方の乳首を隠し大きく開いていた足を閉じると怯えた声で「何故?どうして?」とパニックに陥っていました。私はベッドの傍らに座り顔を近付け「敦っちゃんは毎晩覗き見してただろ?いけない事とは言わないけど、お互い子供じゃないんだから判るよね」と言って敦子に唇を重ね同時に胸に手をやりました。最初は硬く閉ざした敦子の唇も強引に胸を隠した手を退かしてその巨乳を優しく揉んでいるうちに鼻息が荒くなると同時に半開きとなりました。すかさず舌を忍ばせ徐々に敦子の舌が絡みついた頃には私もベッドに上がり全身を密着させ、閉じた足を膝でこじ開けると膝頭に生暖かい愛液を感じ、敦子は抵抗らしい抵抗をしなくなりました。私はかつて処女だった家内を初めて抱いた時の様にゆっくりと時間をかけうなじから胸、腹部へと舌を這わせ、股間に顔を埋めた時にはいつもの家内同様大洪水になっていました。
ペニスの裏筋でヴァギナとクリトリスを擦りながら敦子の耳元で「入れるよ」と囁いた時でした。「お義兄さんちょっと待って。私した事がないの。お願い、お嫁に行くまでヴァージンでいさせて」と言ってきました。『この歳になって何を言ってるんだ』と言いたいところを抑えて私は頷き、シックスナインの姿勢で家内のロストヴァージン前に見る事が出来なかった『処女膜』を観察し、フェラをさせながらクリトリスを刺激しました。敦子はキスもペッティングもフェラも全てが初体験で、本当に下手糞で、逆にオナニーで刺激し続けて感度抜群のクリトリスを刺激されるとそれだけでイッてしまったのでした。私は大洪水の愛液をローション代わりに使ってアナルを揉み続けていましたから、敦子がイッたついでにアナルへ指を挿入させました。
人差し指を抜き差しし、時折直腸を何度も捏ね回していると面白い様にイクのでした。指を抜くと異臭を放つアナルは閉じようともしない程敦子は全身脱力状態でしたので、私は小ぶりのペニスをアナルにゆっくりと、そして奥深く忍び込ませ、敦子の反応を見ましたが痛がる素振りを見せなかったので腰を動かしたのでした。私にとっても初めてのアナルセックスでした。
以来、2人は家族の目を盗んではアナルセックスを謳歌する日々が続き、敦子もヴァギナを除いて全て私に委ねる従順なメスに成り下がりました。1年半もの期間ほぼ毎日アナルを頂いては、中出ししてきました。
ある晩私は飲み会でほろ酔い気分で家内と交わり、家内の後敦子の相手をしようとペニスをヴァギナに近付けた際、スルッとヴァギナに入ったのでした。 事を終え事情を聞き出すと、敦子は私とアナルの関係が始まった頃から積極性が出始めていたのでしたが、数週間前に敦子の旧友数人との飲み会があった際、居酒屋で隣のテーブルになった男性グループと親しくなり、酒が弱い敦子は偶然同じ方向に帰る男性に解放されながらタクシーで駅へと向かったらしいのですが、敦子も気が付かなかった様でしたが男性はタクシーをラブホに向かわせていて、そのまま抵抗らしい真似をする間もなくシャワーも浴びずに裸にされ、私によって性感を高められていた熟れた体は信念さえ忘れてしまい、受け入れたとの事でした。男性は何度も敦子に中出しした挙句、毎週末呼び出しては求めてきたため、私も処女の頃1度だけ指入れを試みたものの窮屈だったヴァギナは自在にペニスを受け入れられる弾力を身に着けていたのでした。余程その男のペニスが大きかったのか、敦子のヴァギナは締りが感じられず、私はアナル専門で敦子を抱き続ける事にしましたし、敦子も私のヴァギナ挿入はあまり気持ち良くなさそうでしたのでそれで良かったのかもしれません。敦子とその男はその後も関係を続けていた様でしたが、男は妻子持ちの不倫だと言う事がハッキリした様です。それでも熟した処女を捧げたセックスの強い男とは別れられず、何度も堕胎しながら二股のセックスライフを敦子は続けています。