義母と2人で暮らし始めて7年になります。私が結婚したのは25歳、妻24歳、義父、義母とも48歳でした。しかし、結婚1年目の春、妻を義父が病院に送る途中、交通事故で亡くなりました。
妻、義母とも小柄ながらぽっちゃり型のどちらかと言えば美形で、親子というより、よく姉妹と間違えられていました。妻は一人娘で、実家は大きな家だったので、結婚後は妻の親と同居しました。親が1階、私達が2階でしたが、やや古い木造家屋なので、夜、時々義母の喜びの声が聞こえてくることがありました。妻も血を受けてか好き者で、母の声に刺激を受けると、すぐにパンティを脱いで求めて来ました。声も母親譲りで大きく、そんな次の朝、洗面所で義父にあうと、お互いにニヤリと笑い挨拶を交わしたものでした。
言うまでもなく、義母と私には事故のショックは相当なもので、しばらくは二人とも呆然とした日々を過ごしていました。しかし、半年も過ぎる頃には徐々に立ち直り始めましたが、同時に性欲も復活し、だんだん義母を女として意識するようになりました。直接行動を起こすだけの勇気はないので、義母の湯上り姿を盗み見たり、深夜に洗面所で洗濯物からパンティを取り出してオナニーにふけっていました。そんなある夜、洗面所の戸が突然開き、義母が立っていました。パンティを持っている私を見つめ「私の下着をそんな風に使うのは止めて。前から知っていたわよ。」というと立ち去りました。
もうこの家にはいられないと落ち込み、酒を引っ掛け、気まずい思いで部屋に帰ると、驚くことにベッドには義母が寝ていました。まさかと思い布団をめくると全裸でした。年の割に盛り上がったお乳と大きな乳首。少しだけくびれたウェスト、むっちり肉のついた腰。その中心に見える陰毛。久しぶりの女の体に我を忘れて眺めていましたが、義母は、私の手を取りベッドに誘いました。長い口付けの後、お願い、して、と言いながら勃起した肉棒をまさぐり始めました。義母お乳を揉み、乳首を吸い、体をまさぐり、あそこに手をやると、こんもりとした土手になめらかな陰毛を感じ、割れ目に指を入れると中はヌルヌル。両足を広げ、小陰唇を開いたとたんに溢れ出る透明の液体。唇をつけ吸うと口の中はどろりとした汁で一杯に。義母に口移しすると、嫌がらずにごくりとのどを鳴らして飲み込みました。後で分かったことですが、まん○汁も精液も義父との行為で、結構飲みなれているとのことでした。半分ずつ飲むとふたたび花びらに突進。蕾のような妻の小陰唇と違いすっかり開花した義母の花びらとクリトリスを時間をかけて嘗め続けました。義母も初めは私の肉棒を必死で嘗めていましたが、やがて口からはずすと喜びの声をあげ始めました。聞きなれたあのときの声です。義母はお○○こに入れてと叫ぶと私の肉の棒をつかみ催促します。入り口にあてがうと、期待に腰を振るわせ、入れたとたんに下から腰を突き上げ始めました。義母は髪を振り乱して上体を打ち震わせていましたが、最後は下肢を硬直させていってしまいました。終わった後、義母の赤黒い花びらの中心から白い噴出物が流れ出てくるのを見て、ついに義母の中に入れたんだなあ、としばらく眺めていました。
関係ができてからは、義母は積極的になりました。時には義父のコレクションの無修正ビデオを見てテンションを高めていました。ビデオの中で義母がもっとも興味を持っていたのがアナルものでした。若いとき雑誌で読んで興味を持ち、夫に頼んでしているうちにだんだん快感を得るようになったそうです。女は男と違い前と後ろでセックスを楽しめる動物だからと誘われ初経験しました。通常は正上位で終わることが多いのですが、何回かに1回は希望がありました。この時は、バックまたは横にして後ろからアナルに肉棒を出し入れしますが、その間、義母はうっとりしています。やがてお互いに絶頂が訪れてきますが、この時の義母の締め付けは最高です。私も、うなりながら腰を打ち付け、マグマを勢いよく体内に放出します。本当に義父は義母の体を十分に開発していたのです。
しかし、私にも半年前から職場に好きな人ができました。相手も好意を持っていてくれたので、からだの関係はすぐでした。これもぽっちゃり系の22才、地方出身の純朴な子で、いまどき処女でした。初め、痛がって逃げまわるのでなかなか入らなくて、苦闘の末、ようやく貫通。血に染まったシーツ、初体験のショック、痛くて歩けないなどがかさなり、病気を理由に2日間会社を休んでいました。今は快感も日増しに高まっているようですが、この彼女が最近、セックスが終わると結婚の話を始めます。
まさか再婚するとは思いもしなかったので、家を出ないかわりに全財産を譲るという約束の証として、数年前、義母と養子縁組をしました。この子には田舎の両親に何時会う、と急かされていますが、一つ屋根の下で、義母とこの子との生活が可能なのかどうか。考えるたびに、ため息をついています。