子供の頃からエッチな子供だった。母親や親戚の女性の裸を色々と見てきたがやはりうちの母親の裸が一番いい。母親の妹の裸に勃起したのが小学3年生の時、その頃の俺は剛毛な母親の股間に飽きてしまいそうだった。そんな時に叔母と入浴して驚いた。叔母の股間は陰毛が薄くて、大人の女なのに、マン毛と割れ目の両方が同時に見られる事のだ。同居していた叔母と入浴する回数が激増した。毛と割れ目がどちらも堪能できるのは快感だった。割れ目の上の方にちょっぴりクリトリスが見えるのも非常にエキサイティングだった。俺は3歳ぐらいから母親と入浴して、母親の裸体に興味深々だった。幼い俺が女体に興味を持ったのは父親のエロ本を見付けたからだ。大人の男が見る為にエロ本が製造されている。恥ずかしい事だから皆秘密にしてはいるけど、スケベな事は、ある程度は社会常識なのだと幼い俺は知った。それから俺は入浴すると母親の裸体、特に性器を観察するようになった。友達の女子のマンコは毛が生えていないから縦スジが丸見えだ。母親の縦スジが見たくていろんな角度から観察するのだが、剛毛な母親のワレメは視認できずにいた。そんなある日、風呂場の椅子に座り、大股を拡げてマンコを洗っている母親に歓喜した。母親の真正面にしゃがんで凝視した。真っ黒な毛の中央にザックリと開いた肉の秘裂。中はピンクのマン肉が丸見えだった。俺は勃起してしまいチンチンを握り絞めていた。やがて母親が俺に気付き「バカッ!何見てんの!?」と怒鳴った。俺は驚き泣きそうになったが勃起は収まらない。その日以来、母親は風呂場とその前後は股間をタオルや手のひらで隠すようになった。中学生になり、俺はオナニーするようになったがオナネタの半分は母親だった。ある日の夜、父親が出張で不在の時だ。風呂上がりの母親は全裸のまま片手で股間を隠して俺の目の前を通り過ぎた。寝室に入った母親を追って俺は全裸になり、母親を追った。俺は母親をベッドに押し倒してやめて欲しいと懇願する全裸の母親に無理やり挿入した。その時は母親の膣内に2回射精したが妊娠は運良くしなかった。その後母親①避妊する事。②秘密にする事。③母親が父親とセックスする時には関与しない事…を条件に週2~3回のペースで母親との肉体関係を継続した。今俺は60歳、両親は亡くなったが母親との肉体関係は自分としては良かったと思っている。母親も罪の意識は有っただろうが、感じていたし、自分からフェラチオしていたし「イイッ!イイッわぁ~!」って物凄くヨガッていたから俺とのセックスに満足していたと思いたい。