目が覚めました。
我が家は4人家族、
父53歳トラックドライバー母49歳、週3パート勤め
姉28歳、24歳で嫁に行きました。
俺が20歳、トラックドライバーしています。
母親はだらしないと言うか、俺の前でも、未だに平気で裸になるんです。
俺が女性のからだに興味を持ち出したのが、小学6年生、10歳まで姉と一緒に良くお風呂に入っていました。
10歳の時、姉とお風呂に入っていました、その時も女性の身体なんて興味も無かったのに、なぜかチンチンが勃起していて、姉に見られてしまいました。
皮被りの勃起したチンチンを 明日からは、1人で入りなさいと言われてしまいました。
理由がイマイチ理解出来なかったけど、俺がもう大人だからだといわれました。
半年くらいたって、意味が理解できたけど、その頃からセックスの意味も判り始めました。
オナニーを始めたのも、この頃からでした。
小5の夏休みに、勃起したチンチンを弄ってたら、身体がジンジンとしびれました、すりとチンチンの先から、白い液体がドロリと出て来て、驚いて、母親に聞きにいきました。
「母ちゃん、チンチンからへんなの出て来たよ」
「どうした、何が出てきたのよ」
俺はチンチンを見せました。
手には白い液体がまだ残っていました。
「けんた、初めて出てきたの」
「うん、初めてだよ」
「おめでとう、けんたも大人の仲間入りだね」
「これ何なの」
「これはね、赤ちゃんの種よ、精子って言うの」
「これが精子か、セックスして、女の中にこれを、入れれば赤ちゃんができるんだよね」
「誰から聞いたの、良く知ってるわね」
「友だちから」
「まあ、良いわ、知ってた方が、でもダメよ、自分で責任とれるくらいの大人にならないと、それより、けんたはオチンチンの皮、剥けないの」
「剥けないって、どう言う事」
「お父さんみたいなオチンチンよ、ちょと見せて」
母親がチンチンを触り出して、
「ちょっと、引っ張るよ」
チンチンの先を根元の方に引っ張りました。
「痛いよ、母ちゃん」
「あら、剥けないのかしらね、このままじゃ、この先大変かもよ、もう一回やってみるよ」
もう一度引っ張り始めて、少し剥けて来ました、
「なんか、剥けそうよ、痛くても少し我慢しなさい」
また始めると、ピンク色の先が出て来ました。
「痛い、剥けそうだから、もう少し我慢よ」
母親は力を込めて、引っ張ると、痛かったけど何だかスッキリしました。
「ほら、剥けたわ、良かったね、見てごらん、カスがこんなに溜まって、臭いし、お風呂に入ったら、剥いて綺麗に洗うのよ、病気になるかもしれないよ、本当は剥けたままのがいいんだけど、剥けるから大丈夫よ」
この日が初射精、初皮剥けの記念日になりました。
夜、風呂に入って、皮を剥いて洗っていると、勃起しだして、気持ち良くなってきて、そのまま、擦ると、また、身体がビリビリして、チンチンの先から、ピューと白い液体、精子が飛びました、オナニーもこの日から、本格的に始めました。
でも、亀頭は刺激が強くて触れませんでした。
この頃から、母親の裸姿を気にするようになって来ました。
母親は風呂上がりに、バスタオルを腰に巻いて、大きなオッパイは丸出しで、ブルブル揺らしながら、居間に来て、座卓の所に座って、肌の手入れをします。
床に寝て、座卓の下を覗けば、あぐら状態で座っているから、オマンコは丸見えでした。
毎日するので、オマンコはあんな形なんだと思うだけでした。
でも、年々陰毛が薄くなっていきました。
高校3年で、見た時は、オマンコの周りにはほとんど無くなっていて、ビラビラは黒ずんで大きくなっていました。
高2の時に童貞を卒業してからは、オマンコの良さを知り母親のオマンコには、入れたいなんて考えもしませんでした。
それが、1年ほどセックスをしてなくて、今年の暑さにムラムラして、セックスがしたくて、したくてたまらなくなり、でも相手も居ない、風俗なんか行きたく無い、 今日は俺も休み、母親も家に居て、すると頭に母親のオマンコが目に浮かび、行動に出てしまいました。
母親の所に行き、
「母ちゃん、頼みがあるんだけど」
「珍しいね、頼み事なんて何かな」
「ズバリ言うよ、オマンコやらせてよ」
すると母親は立ち上がり、下に履いてる、スエットとパンツを脱いで、俺の前で横になり、大股を開いて、オマンコを見せて
「こんな、オマンコで良いなら好きなだけ使いなさい 」
この姿を見たら、萎えて、心が折れました。
「ごめん、冗談、許して」
俺は自分部屋に戻りました、母親とは絶体出来ないと思います。