昔の話です。
私は24歳まで、四国のある島に住んでいました。親父が15の時に亡くなり、年の離れた兄姉は『イッペイを高校に行かせよう。』と母に助言をします。
『母とその島を出ろ。』と言うことを意味していました。ハナから高校になど行くつもりもなかった私でした。
ですから、島を離れて暮らす兄姉の言葉など耳に入らず、その島で働き始めることになります。母も住み慣れたここに残ることが出来、喜んでいたと思います。
初体験は、16の時でした。島の外れに一人で住んでいた、アケさんという70歳を過ぎた婆さんでした。今の70歳の女性とは違い、背中も丸くなった老婆です。
婆さんが何も言わないことをいいことに、最後までさせてもらい、仕事帰りには押し掛けて、毎日のように婆さんを抱いていました。
しかし、やはり狭い島です。変な噂が出始め、これ以上広がせないために、その噂は母の耳にいち早く入れられました。
親父には何度も殴られましたが、逆に母に怒られた記憶がありません。母は、いつも私の味方でしたから。そのため、怒る回路が母には無かったのです。
『アケさん、お婆ちゃんだから。』『もう、アケさんちに行ったらいかんよ。』とその程度しか僕に言えなかったのです。
それでも、女を覚えたばかりの私はガマンが出来ずに、隙を見つけては婆さんを抱きに行きました。
そんな私が、婆さんの家に行かなくなったのは、すぐのことでした。アケさんの家に母がやって来て、見つかってしまったのです。
行為そのものは見られませんでしたが、16歳の息子が、70歳過ぎた婆さんを我が物のように抱き締めて離さないのです。
その姿を見た母は泣いていました。そして泣きながら、外灯もない真っ暗な道を僕を引き連れて帰るのでした。
その夜。その日婆さんと出来なかったため、悶々としながら蚊帳で寝ていた私の元に、母がやって来たのです。
『もう絶対、アケさんとこに行ったらいかんよ。』とだけ言うと、母は私の足元に屈み込み、両手でバンツを触ろうとして来ました。
申し訳なさそうにバンツに手を掛け、チンポを横から取り出そうとする仕草。変な感じでした。母がとても小さく、とても遠くに感じました。
母の手で取り出されてチンポは、すぐに大きくなってしまいます。そして、そのチンポを食わえると、僕の視線を外すように両手で隠すように壁を作りました。
やはり、やってはいけないことと分かっていて、それをしている自分。その姿は、やはり僕には見せたくないようでした。
僕からは母の立てた両手がジャマで、対して見ることが出来ません。母も頭を最低限にしか振らず、決して全てを見せようとはしませんでした。
初めてのフェラでした。婆さんの口に無理矢理突っ込んだこともありましたが、すぐに吐き出してしまうので、口の体温しか感覚が残ってなかったのです。
好き勝手に突っ込んでいればいいオマンコとは全然違いました。かゆいところにでも手が届くくらいに、『気持ちよくしてくれよ~。』と他人任せなのです。
母の頭が小刻みに振られていました。こちらからは何も見えませんが、チンポの裏側に何度も舌を押し付けて舐めていました。
母の口に射精をすると、小刻みな頭の動きも止まります。小さな口をすぼめ、僕の精液搾り取って全部を口に含んだまま、部屋から出ていった母でした。