近親相姦 経過報告
1:祖父と母親と俺
投稿者:
ソーマ
◆91OPD0UQt6
よく読まれている体験談
2017/02/11 19:54:45(otcgqW6e)
俺は友達と合流すると小遣いを見せびらかし、駄菓子屋へと友達を手下のように引き連れ、鼻高々に菓子やジュースを奢ってやった。
そのまま友達の家に上がり込み、奢った見返りにゲームをやりまくり、飽きると外で遊び、日が暮れそうになったので家へと帰ることにした。
お腹を空かせた俺は小走りで家へと向かったが、おかしなことに、灯りは消えていた。疑問に思いつつ玄関を開けて家に入るが、やはり誰もいない。仕方なく灯りを点けて冷蔵庫から飲み物を出して母達の帰りを待つことにした。
テレビも点けずにマンガを読んでいると、農機具用の小屋から微かに物音が…。ガキの俺にはかなりの恐怖だったが、心臓バクバク状態で小屋へと忍び足で近づいていった。
すると、コンクリートブロック製の小屋の二階に豆電球ほどの明るさだが、電気が点いていた。爺ちゃんが作業でもしているのかと思い、小屋の扉を開けて階段の手前まで近づいた。
その時、男のと思しき荒い息遣いと、女の喘ぐ声を聴いてしまったのだ。俺の心臓の鼓動は先ほどまでの恐怖とは別の理由で更に速さを増した。
つづく
17/02/11 20:15
(otcgqW6e)
階段の下で頭が真っ白になり、どうしていいかもわからず固まる俺だが、そんな俺に反して二階の声と物音は激しさを増していくようだった。
緊張で口の中がカラカラになり、息を殺しながら辛うじて呼吸をしていた俺は、無い唾を空気と一緒に飲み込み、ゆっくりと後ずさりして小屋を出た。
その2、30分後だろうか、祖父と母が玄関から入ってくると、俺が帰っていたことに少し驚きつつも、2人ともいつも通りに振る舞っていた。2人にバレていないことを確信した俺はホッと胸をなで下ろす。
それから数日経った日曜の昼過ぎ、俺は友達と川遊びを終えて、着替えと軽く小腹を満たす為に一旦家へと帰った。その時もやはり母と爺ちゃんは居なかったが、着替え終わった俺は数日前の真相を確かめようと、小屋へと向かった。
小屋の扉を開けると、二階からまたあの物音が。そして物音の主は爺ちゃんと母以外に考えられなかった。俺は息を殺して階段を這うように一段一段登っていく…
階段の一番上、二階の床からゆっっっくりと顔を出すと、そこには肌の爺ちゃんと母の繋がった後ろ姿が。
見たことも無い形に膨張した大人のチンポが、母の割れ目に突き入れられ、汗だくの爺ちゃんが腰を叩きつける度に母は声をあげて喜んでいた。
しばらく釘付けになっていると、爺ちゃんは呻き声のような声を出して激しく腰を叩きつけた。俺が観た人生初の射精だ。まだ膨張したままのチンポが引き抜かれると、白い液体がヒクついた割れ目からドロ…っと垂れ出した。
俺は我に帰り、音を消して階段を降りると、逃げるように再び友達の元へ出て行った。
17/02/11 20:48
(otcgqW6e)
小学生にして生のセックス、それも爺ちゃんと母のセックスを目の当たりにしてしまった俺だが、当時は興奮というよりも「見てはいけないもの」とか、「見つかったら物凄く怒られるんじゃないか」とかの感覚の方が強かった。
何せ俺には父親もいなかったし、まだ勃起も射精もしたことなかったわけだから無理もない。ただ何となく、爺ちゃんと母がやっていることは「いけない事」・「いやらしい事」だと雰囲気で理解はしていたと思う。
その証拠に、爺ちゃんのチンポが引き抜かれた後に母のマンコから精子が垂れた映像が目に焼き付いていたし。
それから俺は度々、小屋で2人のセックスを盗み聞きするようになった。小学校高学年にもなると勃起はするようになったが、オナニーの仕方はまだ知らなかったので、ただただ観たり聴いたりするだけ。
だが、俺が中学に上がって間もなく、幸か不幸か事態は急変する。冬場は定期的に屋根の雪降ろしをしないといけないんだが、ある日爺ちゃんがいつものように雪降ろしの作業中、足を滑らせて二階から転落したのだ。
雪の上に落ちたとは言え、足と腰を骨折する重傷。歳も歳だったので、リハビリ後も杖を突いてやっと歩けるくらいの体になってしまった。母は親戚と共に果樹園と田んぼの管理をしながら爺ちゃんの介助を始めたのだった。
小屋ですることが出来なくなってしまった2人は、俺の目を盗んで爺ちゃんの部屋でセックスするようになり、俺も度々、母が爺ちゃんのチンポを舐める姿や、爺ちゃんの上で腰を振る姿を覗かせてもらった。
中2にもなると流石にオナニーの仕方も覚えて射精の気持ち良さに味を占めた俺のネタは、爺ちゃんと母のセックスだったのだが、この頃から俺の性の対象は年上の女、もしくは母だったのかもしれない。
17/02/11 21:33
(otcgqW6e)
2人のセックスを覗き、それをネタに抜く俺だったが、やはり年月を経る毎に女の体への興味が高まっていく。
特に母のいやらしく溶けたようなマンコを思い出し、挿入した時の感触を想像しては、1日に何度も何度も抜いていた。
目の前にマンコがあるのに手が届かないイライラも最高潮にたっしたある日、俺は母と2人きりの時に質問をぶつけてみた。
「一昨日爺ちゃんの部屋で何か声聞こえたけど何してたの?」と……
母の表情と顔色が明らかに変わり、引きつった作り笑いでごまかしているようだった。
俺は多くを語らず、「つか、ぶっちゃけ知ってっけどな…」と無表情で呟きその場を後にした。そのとき母は何も言葉を発しなかったが、後に「途轍もない罪悪感に襲われて心臓が止まりそうだった」と俺に打ち明けた。
その日の晩飯を済ませた俺が部屋に戻ると、就寝前に母が来て、爺ちゃんとの関係に至った経緯を話し始めた。やはりと言うべきか、原因は婆ちゃんの死だったようで、爺ちゃん自身周りには隠していたものの、その寂しさに耐えきれず母を押し倒したのだそうだ。
それを受け入れる母も母だが、今更どうしようもないし、大事なネタが無くなるのも困るので、俺は容認することにした。
ただし、これまでと変わった事もある。それは俺が覗きを止める代わりに、母が俺の処理を手伝うこと。マンコは入れさせて貰えなかったが、以後、手と口で抜いてくれるようになった。
17/02/11 22:03
(otcgqW6e)
中2から母に抜いてもらっていた俺だが、自分でするのと、人にしてもらうのとではまるで違う。ただでさえオナネタだった母にチンポを握られると、たちまちフル勃起し、フェラに移行すれば3分ともたない。それでもやはり若さ故か、盛りのついた猿のように毎日、多い日には1日に4~5回は母の口や顔に出しただろうか。
中学、高校と母に数え切れないほど射精したが、高校卒業間近になっても童貞。母には何度も挿入を要求したが母は頑なに断り続け、そのくせ爺ちゃんのチンポは相変わらず受け入れていたようだった。
そして高校を卒業し、バイトをしながら何となく良い就職先がないか探す日々が1年ほど続いた頃、爺ちゃんはついに殆ど寝たきりになった。
その頃から爺ちゃんと母のセックスは極端に減り、母はたまにフェラを要求されるだけになっていたようだ。
俺の中にある感情が芽生える…。「母を自分の女にしたい」「寝たきりの爺ちゃんから奪いたい」…と。
その時期から、母にフェラされる度にその感情は強く耐え難いものに変わっていった。
つづく
17/02/12 06:39
(wSC1wqNa)
新着投稿
動画投稿
体験談
官能小説
人気投稿