俺は母が落ち着くまで隣で横になる。狭いシングルベッドに大人二人が寝ているので腕や足が触れあい体温を感じる。母が落ち着いてくると、二回目をはじめるまでピロートークする。この時間が俺は好きだ。さっきまでの行為について話したり、日常の事、俺の子供の頃の思い出話になったりする。つい数分前までお互いの体をぶつけ合い激しく愛し合った二人が親子の会話をする。また数分後には再び激しく愛し合うと分かってるのに。その何とも微妙な空気が流れる時間。その時間は普段の会話より何倍も濃い時間のような気がして、俺は大切にしている。二回目は簡単な愛撫の後「四つん這いになってみて」とバックを要求してみた。四つん這いでオマ○コと肛門を晒した母。入れる前にオマンコを舐め、そして肛門も舐めてみると母はスッと腰を引いて逃げた。止めてなど何も言わないが肛門を舐める度にスッと逃げる。そうしているウチにお汁は溢れ太股を流れ落ちていた。母は息を荒くし、早く挿入して欲しいと訴えかけるように腰をよじっている。俺は一気に挿入し激しく突いた。俺の体と母の尻肉がぶつかる音が響く。「あ~気持ちいいよ、健人気持ちいい、あぁ~」母は激しく喘ぎ、俺が動きを止めると母が自分でお尻を振って快感を求めて続けた。AVで女の両手を持ってしていたのを思い出し、母に後に手を伸ばしてもらい、それを持って突くと「ひぇ~」と悲鳴を上げ喜ぶ母。膝と俺の腕で体重を支えた母は乱れに乱れ、何度も絶頂に達していた。その体勢のまま俺は射精し、力尽きた俺が腕を放すとベッドに音を立てて崩れ落ちた母。でもお尻を突きあげたままだった。俺はその姿を見てすぐに回復した。自分でやっている時も多くて一日3回くらいで、自分はそんなに精力がある方では無いと思っていたが、今日はフェラを入れて短時間で4回も勃起している事に自分でも驚いた。そのまま入れようとしたら母が「トイレ行きたい」と言って部屋を出て行った。俺は追いかけ、トイレから出て来た母にソファーの背に手を付かせ、立ったまま後から入れた。もう何度も絶頂に達している母はすぐにいき、疲れた俺もすぐ射精してしまった。こうして三回目の夜は終わった。それから色々な場所で愛し合うようになりました。リビングのソファー、浴室、キッチン、冷たい廊下の床の上、時にはラブホテルでと。でも唯一両親の寝室では頑なに拒まれました。やはり結婚40年の夫婦としての最低限のマナーだと思っているようで、いまだに許してくれない。ある時意地悪な質問をしてみました。「俺と父さんのどっちを愛してる?」「お父さんは家族として愛してるよ。お母さんと健人がこれまで暮らしてこれたのはお父さんのお陰だからとても感謝してる。健人は息子だもん、もちろん愛してる」「それだけ?」「・・・男としても愛してる」母は顔を赤らめ消えゆくような小さい声で俺を男として愛していることを告白した。母親が息子を男として愛してると愛の告白をする事はかなり覚悟のいった事だと思う。俺はこの時この女を一生愛し続けようと決意した。「俺も愛してるよ。もちろん女としてね。俺はオフクロを一生離さない」それを聞いた母はとても嬉しそうだった。そして俺が母に告白するきっかけとなった言葉を思い出し「でもごめんな、オフクロに孫を抱かせてあげる事は一生出来ないな」そういうと母は今まで聞いたこと無い低い声で「子供なんか作ったら許さない」と言った。明らかに嫉妬がこもった口調。もう俺は他の女と子供が出来る様な行為をする事は許されない(するつもりも無いですが)。もうこの女から離れることは出来ないと覚悟しました。母子相姦の話を読むとお互いにパートナーがいても愛し合っている人がいるようですが、俺たちには無理そうだ。お互い独占欲が強いのか、母が父とする事を考えるだけだけでも気が狂いそうになる。母も俺が他の女とする
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