思い出話しですが、続きもあります。
母親と関係を持ってから、一年くらい過ぎた頃、以前より回数は減ったが、求めて断られることは一度も無かった。残業で妙に遅くなった時などを除けば。
技術的にも進歩したらしく、確実に複数回イカせられる様になり、持続力も格段に上がっていた。母親38歳、息子目線だからとかだけじゃなく、以前とは比べ物にならないほど、いい女になっていった。その頃の写真を今でも持ってるが、今でも魅力的だと思う。
回数を重ねていくうちに、夜用のメイクをする様になったり、アンダーヘアの手入れをする様になったり毎回抱くのが楽しくなっていき。それに応えるため抱く時は、母親を満足させる。出すことから、母を喜ばす事に目的が変わったのも、この頃だった。
こうなる以前はジーンズでいる事が、多かった母がスカート主体の格好に変わっていったのも受け入れられてる感があって嬉しかった。リビングでテレビを見ている後ろから抱いていき、俗にいうイチャイチャから、下の方に手を伸ばして長めの指奉仕。普段からなのか反応がいいのか、指がすんなり入るくらいネットリした膣口。「TV見てるんだから邪魔しないで」と、言いながらも指を絡めて固さを確認してくる。前に回りスカートに頭をつっこんで、さらに邪魔をする。TVを見てるのかどうかはわからないけど、激しくなってきた息づかいと、歓喜の声が上から聞こえる。腰を引き寄せ舌をネジ込みながら鼻でクリトリスを刺激すると母はイク。逃げようとする腰を捕まえ、強すぎず弱すぎず。この一年で観察して母が喜ぶプロセス、手を変え品を変え母のイキ顔と歓喜の声を得るために、日々鍛錬していた。どんどん魅力的になっていく母を愛しく思った。
同年代に興味が全く無かった訳ではなかった。むしろ母親との関係が始まってからモテる様になっていた。童貞揃いの同年代より女の扱いに長けてたみたいで、同年代の娘を落とすのはやたら簡単で、そっちもゲームの様に楽しんだ。母と夜な夜な培った技術と、「イヤッ」「やめて」が女の本音ではない。この事を仕込まれていたと言うより母の反応で、拾える様になっていたのは強みで、ひと月に5人開拓する時もあったくらい。
高校生だったので場所は主に自宅。母親が帰るまでの時間と「今日は遅くなるね。」といった日を使った。新しい女を抱くことに楽しみはあったが、処女率が高いこと、そしてマグロ。母に勝てる要素は、キツさくらいで、とっかえ引っ変え抱いてはみたけど、母親を超える女はいなかった。「そりゃ無理に決まってるか」なんて。
他の娘を抱いた夜は必ず母を抱いた。包み込まれる様な膣、声、腰のうねり。やっぱり最高だ。それを確認する様に、感謝する様に深く深く挿入し、弾ける様にイカしまくった。
そんなある日、母に断られた。それが初めてではないし、疲れてるのかと思ったが、何かがおかしかった。その日は諦めたが、次の日は下だけ脱がして無理やり中に出した。後始末して、そのまま一緒に寝たが、何かが違い、モヤモヤは消えなかった。
あの時はアレッと思ったが、それ以降は同じ母であり、自分の最高の女に戻っていた。しかし、それが勘違いでは無かった事を知るまでに、そう時間はかからなかった。
それまで抱く時は、自分の欲望ですることが多かったが、TVを見ていると、風呂から上がって隣に来た母。洗いたての髪の香りと、パジャマ越しに体に当たるノーブラの心地よい柔らかさ。はじめは静かに見ていたが、手が伸びてきて、擦って反応を確かめてから取り出して咥えてきた。ネコの様に寄り添いゴロゴロと、会話がないまま「ピチャピチャ」と響くフェラの音。「母さんにもして」誘われるまま69の体制へ。下の毛が妙にキレイに手入れされているのが気になった。
モヤモヤの原因をハッキリさせたい。それからは時々早めに帰り母の寝室を調査してみたが、原因を特定する事はできなかった。
しばらく過ぎて、この前の様に風呂から上がった母が、シャンプーの香りをさせて寄ってきた。全く同じ展開だった。
そのまま抱いてもよかったけど、ベッドに連れて行き、むさぼる様に抱き、イカしてイッた後、逃げようとする体を押さえて更にイカしまくり、徹底的にイカし最後は口に出して全部飲ませた。うがいと飲み物を取りに行った母。シーツがいつもより濡れてる。
戻ってきた母を抱きしめ、決心してモヤモヤの事を伝えた。母は何も答えなかったが、沈黙の後「お友だち家に連れてきてたでしょ?」それがすぐ何を言ってるのか、わかったので動揺し、返す言葉はなかった。母は続けた「いつまでも続ける訳にはいかないってわかってる。」「でも正直悲しかったんだ。」自分でもいつまでも続かない。それはわかっていた。でも母が、傷つく事までは考えていなかった。浅はかさに反省したが、話しには続きがあった。
「母さん時々、会ってる人がいるの。」失恋なんて経験なかったので、自分がした事以前に、その失望感にヤられた。恋人と母を一緒に失う。そんな表現では足りないくらい、精神的に厳しい告知だった。
どうしようも無い感情をぶつける様に、何度も抱いて何度も中に出した。粘膜に精液を全て擦り込むように。母は抵抗せず、満足いくように全て受け入れてくれたけど、それが妙に悲しかった。
それからは互いに一線を引くようになって別々に寝るようになり、その事について話しをする事もなかった。
家族としての会話は当然あったが、今までとは違う。このまま関係が終わる。終わったと思ってた。