プリン
お父さんが無理を押して立ち上がりかけたので、ふたりで止めました。それでも『プリンを作る!』と言ってきかないので、僕たちで作るコトにして納得してもらいました。
僕と『あいこ』はキッチンに入って、冷蔵庫の中を調べました。卵、牛乳、バニラエッセンスがありました。でも、肝心要のグラニュー糖がありませんでした。
「買ってきまっス!」
僕がパシリ根性丸出しで走りかけたら、『パシッ!』と『あいこ』が右手を掴みました。
「いっしょに行くよ…」
『あいこ』がお父さんに、僕と買い物に行くと伝えると、お父さんは『おうっ!』と力強く返事をして、僕たちを送り出してくれました。
玄関で靴を履きかけた時に、お父さんに『ともくん、ともく~ん』と呼び戻されました。僕だけが部屋に戻ると、お父さんが手招きして僕に耳打ちしました。
「ともくん、俺の『あいこ』はヘソ曲がりだからな? 口先だけで何か言うくらいなら、黙っといた方がいいぞ。」
お父さんは僕に『秘策』を伝授すると、『バンッ!』と物凄い音をさせて、僕の背中を叩きました。でも、全然痛くありませんでした。
「何、言われたんだよ?」
僕を待っていた『あいこ』が、お父さんとのやり取りが気になったらしく、すぐに聞いてきました。でも、僕は『あいこ』の顔を見ながら黙っていました。
玄関を出た僕は、自分が来た道を辿ってお店を探そうと思いましたが、『あいこ』がすぐ、
「こっちだよ…」
と言って、僕の反対側を先に歩き出しました。僕はひらひら舞う白いスカートを追っかけました。
『あれ? 何か…、前にも、こんなシチュエーション、あったような?』
僕は『あいこ』の後ろ姿を見つめながら、デジャヴュを感じていました。でも、デジャヴュじゃなくて、僕が忘れてしまった記憶のような感じもしました。
呼吸の度に胸が詰まるような熱波が漂う中、『あいこ』のワンピースは涼しげに白い航跡を描いていました。茶髪から漂うシャンプーの香りが、僕に涼しい風の流れを感じさせてくれました。
しばらく歩いた先に酒屋さんがあって、『あいこ』がカラカラとサッシ戸を開けました。薄暗い店内に入った時、何時だったか、以前、ここに来た時の事を思い出しました。
「いらっしゃい。『あいこ』ちゃん、久しぶりね~。グラニュー糖でしょ?」
酒屋のおばさんが注文も聞かずに当てました。僕が不思議だなと思っていたら、『あいこ』が聞きました。
「うん。当たり~。でも、何で?」
「『ともゆチ』くんが、いっしょだからよ。」
『あいこ』の疑問におばさんは、僕を指差しながら答えました。僕はすっかりおばさんの事を忘れていましたが、向こうはしっかり覚えていました。
「あ、そっか。でも、顔変わってない?」
「ちょっと大人っぽくなったかな? でも、相変わらずね~。」
酒屋のおばさんが『相変わらずね~』と言うと、『あいこ』がウケて、ふたりで爆笑し始めました。僕だけ取り残されたので、『だから…、何だよ!?』とイラッと来ました。
おばさんがグラニュー糖を一袋、白い手提げ袋に入れて僕に手渡すと、『頑張んなさいよ!』と言いました。僕はイマイチ意味が分からなかったので、『あ、はい』と適当に返事をしました。すると、
「相変わらずね~。」
と、言って、またふたりで爆笑しました。
酒屋さんを出ると、『あいこ』が黙って手をつないできました。僕は、その柔らかい感触に、『ドキッ』としてしまいました。すると、いきなりグイッと手を引っ張って『あいこ』が走り出しました。
『あ~、何だか、この感じ、覚えてる…。』
僕は頭の隅っこでちょこっと思い出しながら、バカみたいにダッシュする『あいこ』に、必死にくっついて走りました。
家にバタバタしながら戻ると、後は『あいこ』の独壇場でした。『あいこ』が繰り出す単語を理解しながら、僕は振り回されました。
『手』と、言われて、手を洗い、『蒸篭』と、言われて、蒸し器を火にかけ、『器』と、言われて、茶碗蒸しの茶碗を用意し、『卵』と、言われて、卵を2個割り、『牛乳』と、言われて、牛乳をカップで計り、『バニラ』と、言われて、バニラエッセンスの瓶を手渡し、『砂糖』と、言われる前に、砂糖を手渡そうとしたらこぼしてしまい、殴られました。
その間、『あいこ』は淀み無くプリン液を作っていました。蒸し器がシュンシュン蒸気を上げ始めた頃に、ピッタリ準備が整いました。
蒸し器に茶碗蒸しをかけて、火加減を調節した『あいこ』は、タイマーをかけて、カラメル作りを始めました。
行平に入れたグラニュー糖の色が変わるのを、『あいこ』は真剣な顔で見つめていました。その横顔を僕はぼんやり見ていたら、チンポがムクッと起きてしまいました。
デニムの厚い壁に亀頭がゴリゴリ押し返されて、その刺激でまたチンポが固くなってしまいました。『ヤバい…』と思ってへっぴり腰になっていたら、
『ドジャアアアーーーッ!』
と、行平が轟音を上げました。
頃合いを確認した『あいこ』が、瞬時にお湯を入れたからです。カラメル作りの山場で、完全に油断していた僕は度肝を引っこ抜かれました。『うあああっ』と思わず叫んでしまった僕を、
「向こうに行ってろ…。」
と、『あいこ』が冷たく追い払いました。
僕がお父さんのいる部屋に戻ると、お父さんは眠っていました。すーすーと気持ち良さそうに寝息を立てていたので、僕も何だか眠くなりました。窓辺の南天を眺めながら、いつの間にか寝てしまいました。
頬っぺたに冷たい刺激を受けて、僕は飛び起きました。茶碗蒸しプリンを『あいこ』が『ほら』と言って差し出しました。お父さんがニコニコしながら、プリンにスプーンを入れてました。
濃いめのカラメルがのった、『茶碗蒸しプリン』でした。口に含むと、何となく『あいこ』のオッパイを思い出す、食感がしました。
「何だ、こりゃ~? 失敗作かぁ~?」
お父さんが、結構上手に出来たプリンにダメ出ししたので、『やっぱ、料理人は厳しいな…』と思いました。苦めに作ったカラメルが『良い味出してるけどな…』と、思ってたら、
『…味覚障害に、なってるんだよ。』
と、『あいこ』が淋しそうに、こっそり教えてくれました。
「プロは厳しいですね。僕、これで十分満足です。」
僕は場の空気を読んで言ったつもりだったんですが、鬼のような顔をした『パティシエ』に思いっ切り睨まれました。
「こんなんで…、悪いな…、ともゆき君…。」
お父さんがいきなり、『ともゆき君』とちゃんと呼んでくれたんで、僕はドキッとしました。
「こんなんだけど、『あいこ』をヨロシクな?」
「は、ハイッ!」
「それと、なっ?」
「ハイッ!」
「こんな出来損ないでも、俺の大事な娘だ。無責任に妊娠なんかさせんなよ。」
僕が完全にノーガードで油断してたところに、お父さんが物凄いパンチを撃ってきました。僕は圧倒されまくって、胃と肛門が絡み付いて引っ張られたかと思えるくらい『ギュギューン』と痛くなって、吐きそうになりました。
「……………、はい。」
「なあ~んてな? まあ、適当に仲良くやってくれよ。後は『自己責任』で…、ヨロシクっ!」
お父さんは『あいこ』にそっくりの、イタズラっぽい笑い顔をまた作りました。僕は返事に困って言葉が出ませんでした。
お父さんだけ、楽しそうに笑っているところに、『あいこ』のお母さんも帰って来ました。にぎやかに笑っているお父さんにビックリして、そして嬉しそうにお母さんも笑いました。
「あら、もうお祭りが始まっちゃったのかしら?」
「バカ野郎! 祭だったらプリンじゃね~だろ? 俺が『ちらし』作ってやらぁ! なぁ?」
「はいっ!」
結局、僕がお父さんと、ちゃんと会話が出来たのは、この時が最後の機会でした。ホンのちょっと前のコトなのに、僕の記憶はどんどん薄れて逝ってるようで、情けなくて申し訳ないです。
僕は『あいこ』の顔を見ながら、時々、この大事な思い出を反芻しています。そんな時、『遠くを見てんじゃねぇ~ヨ!』って言われて、いつも殴られてます。