今は仲良く弟と暮らし・・・・
小学校4年位のころにテレビを見てたらなんだったかな探偵の
ドラマの中で事件解決後、落ち着いてから娘が気になる探偵が娘の家を訪れ
て、庭での場面に娘と探偵が俯いてる娘の前で「ぱんぱっぱぱんぱっぱ」
見たいなリズムを口ずさみ踊りだした。その踊りはとても楽しいものだっ
た。娘もそれに釣られて?踊りだしていた。今なら解るがそのときは楽しい
踊りと思っただけだった。その踊りはダンスでジャズのリズムにあった
ダンスだった。肩を組んだり、手を高く振ったり足を高く振り上げたりの
見てて楽しいダンスだった。よほど弟も見て楽しかったのだろう。見たダン
スをトレースするように身振り手振りを私の前でやった。ええエッと私も
楽しくなり、弟の踊るのと同じ事をやっていた。そのダンスは二人で遊んで
る時など楽しいいことになった時、弟は踊りだした。リズムは一小節位?を
繰り返していた。私も同じ様に楽しく踊った。ちょっとすると、自分たちで
踊りを追加していくようになった。体をのけぞらせたり腰を前に突き出した
りケンケンをしたりそれが楽しかった。そんな踊りは2人向かい合ってたり
横に並んだりで自由にしていた。ある時、向かい合い腰を突き出していた
2人、近づきすぎていて股どうし微かにあたった。本のちょっと当たった事
に私は「えっち~」と大げさにはしゃいだ。弟は恥ずかしそうにしていたが
私からぶつかるようにしたりしていた。
6年生になっても楽しくなった時は股がくっ付くように踊っていた。やはり
そんな事は恥かしくしてしてはいけない事とどこかでお互い思っていた。
中学になりいろんなことが耳から入るようになり、お互いしなくなった。
高校受験に向けて真面目取り組んだ2人だった。学校の先生たちは貴女は
大丈夫と自信満々に言った。私はそれでも不安は消せなく勉強にいそしんで
いたが、公立でもレベルの高い所に挑み、受験は失敗した。絶対大丈夫と
太鼓判を押すように言った先生達。私は大人を恨んだ。まさか受験は
落ちるとは夢にも思いもしなかったのだった。弟は公立のまあまあの所に
合格して通学を始めた。
私はぐれた。夜遊びをするようになっていた。友達の家に居候状態
みたいに友達の家を転々としていた。昼間家に誰もいない時に帰り、
風呂に入ったりご飯を食べて家で時間をつぶした、勉強の真似事とかして
た。弟が学校から帰る頃家を出て街をぶらぶっらして、男が声かけてきたら
それに乗って遊んだ。ただセックスは頑なに拒んだ。そんなことで痛い目に
もあって顔に青あざとか作っていた。友達は泊めてはくれるけど、私を哀れ
みの眼で見たりが苦痛だったが寝る所は無いのだった。夏は公園で新聞紙を
まとって寝た。そんな時、母は持病?肺結核に罹り病院であっけなく亡くな
った。母は、精神的に?弟が高校卒業するまではと思っていたのか5月に亡
くなった。私たちは母子家庭だった。母は生活保護を受けていた。葬式も福
祉がしてくれた、それは柩を置いてあるだけのような事だった。遊びまくっ
ていた私は現実を突きつけられたのだった。弟は大手会社にうまく就職がで
きていたが給料は安く、2人で生活はとても無理だった。親族会議となり、
余り親戚付き合いしてなかった叔父が私達を引き取った。
行きたくないと思ったが仕方ない事、叔母がいたが無理とかの話になった
のだった。
おじの嫁様から毎月2人の食費、気持ちだけで良いから入れてと言われ、
それは仕方ない事と2万円弟は出した。4畳半の部屋に弟と二人の寝泊りは
我慢と言うか良かった。しかし布団は一つしか用意してもらえず、一つの
お布団に2人寝るはめになった。2人で寝ることで母が亡くなり寂しさも
あった私は、気持ちを安定できていた。背中合わせとかして冬とか寝ると
暖かだった。ぴっちりと背中を突き合わせていた。目が覚めえると
抱き合ってるような格好もたまに合ったりした。
弟も寂しいのだろうと感じた。下着とかの着替えはお互い部屋から出たり背
中を見せた。
気が付いた。私たちが寝た頃の時間に、襖が本のわずか開いて叔父が
覗いていたのだった。数回覗かれた後、叔父に言った「覗くの止めて」と。
それから精神的に居ずらくなり、スーパーの店員になった。弟と2人で
暮らそうとお金を溜めここを出る為だった。私はそれまではブラフらを
繰り返していた。弟に胸の内を話すと弟は賛成と言った。弟もここは嫌と
言った。2人でできる限り貯蓄をした。ジュース一本買うのもケチった。
2年弱経った頃ワンルームを借りられるだけのお金は溜まった。不動産屋で
話をすると、敷金とかはいらなく、すぐに入れることを説明してくれた。
少しでも安いところと粘ると、異音が出る問題ありの部屋ですがとはっきり
言ってくれ家賃2万円だった。そこを借りる事にした。
叔父には一応お世話になったことで引っ越す時には、きちんと粗品を用意
してお礼を述べて引っ越した。念願の2人で暮らせるワンルームを借りる事
ができた。借りた部屋は異音がと言ったので、コンセントとか電気周りを
調べた。友達から、携帯用?ハム無線機、FM受信できるラジカセを借り、
1時間おきに電波とか確認した。今は異常無かった。どんな異音なのかと
思うだけに終わった。お金はかかる事を考えて余裕ある程度貯蓄してたので
生活に必要な茶碗に箸等、電子レンジたんすなど最低の物をそろえた。
そんな品物の買い物は2人で楽しかった。
二人の給料を合わせて単純計算すると、食べる事にことかかない程度の2
人の暮らしだったが束縛とか窮屈さから解放され天国だった。引越しのとて
も少ない荷物は片付けるのに1時間も掛からなかった。そんな事で二人は笑
った。その笑いはとても楽しかった。それまで笑った記憶は無かったよう
な・・・。引っ越し祝いにとお寿司を食べに行った。帰ってきてお茶を飲み
落ち着くと、弟は手を打ち踊りだした。「パンぱ・ぱっぱっぱ・・・」と
口ずさみながら。あっと思った。小学生の頃2人で踊った事。私も楽しく
それに習っていた。楽しく私たちは腰を振った。あの頃自分たちが創作した
振り付けなんかを一通り踊り、向かい合い少しずつ2人の間をつめていって
いた。それはどちらからとも無くだった。了解してると言うように。
私の股に弟の右足が侵入して股同士がこすれ合う。恥かしかったが弟の
なす事を許していた。私からも弟に激しく股を打ち付けていた。あんなに
何があってもセックスを拒んでいた私なのに。弟には今してる事に拒む気は
まったく無かった。股に弟を一杯感じていた私。
「お姉ちゃん・・・」見つめ合っていた。
朝の白々とした薄明かりを堺に眠っていた。