私は中学校の教員(45歳)、夫(50歳)も同じく教職に就いている。
私たち夫婦は、一人息子(17歳)を何としても進学校へ入学させ
ようと、幼い頃から厳しく教育してきた。
念願叶って希望校に合格したまではよかったが、そこから歯車が
狂い始めた。
周りはハイレベルな同級生ばかり。息子の成績はみるみる低迷して
いった。追い打ちをかけるように、夫からの激しい叱責。
それに萎縮した息子は、やがて学校へ行かなくなり、自室に引き
こもってしまった。
トイレと風呂以外は部屋から出てこず、食事も自室へ運ぶ日々。
特に夫を激しく拒絶し、姿を合わせようとはしなかった。
夫は夫で、そんな息子を見放すような冷淡な態度を取り、私たちの
夫婦関係も急速に冷え込んでいった。夫から夜の営みを求められても
心は動かず、ただ夫の性欲を処理するためだけの、義務的な時間
でしかなかった。
転機が訪れたのは、肌寒い2月のことだった。
知人の葬儀に参列するため、私は2階の和室にあるタンスから喪服を
取り出した。久々に袖を通すにあたり、体型の変化が気になって
下着姿でスカートの試着をしていた時のことだ。
ふと、異様な気配を感じた。
和室の隣は息子の部屋である。古い木造家屋ゆえ、部屋を仕切るのは
襖一枚のみ。開かないよう釘で簡易的に固定してあるものの、
経年劣化でわずかな隙間が生じていた。
「息子が、私を見ている……」
母親の下着姿を思春期の息子が覗き見ている。普通なら嫌悪感や
違和感を覚えるシチュエーションかもしれない。
しかし、あらゆるコミュニケーションを閉ざされ、絶望していた
私にとって、それがどんな形であれ
「息子がこちらを向いてくれている」
という事実は、歪んだ喜びでもあった。
それ以来、私はわざわざ2階の和室へ行き、息子の視線を意識しながら
着替えるようになった。少しでも彼との繋がりを感じていたかったのだ。
そしてある日、私は意を決して、襖の隙間に向かって声をかけた。
「そんなところから見てないで、こっちに来なさい」
沈黙の後、襖がそっと開き、うつむきながら息子が姿を現した。
私は下着姿のまま、愛おしい我が子を力いっぱい抱きしめた。
「ママはあなたの味方よ。昔みたいに、いくらでも甘えていいのよ」
息子は、これまで張り詰めていた苦しみを一気に吐き出すように、
私の胸の中で声を上げて号泣した。
「ママ……ママのここ、柔らかくて気持ちいい」
「小さい頃は、毎晩お風呂で触っていたものね。触っていいのよ」
世間一般の母親として、年頃の息子への接し方として間違っている
ことは百も承知だった。それでも、その時の私には
「息子を救うこと」「息子と触れ合うこと」
が何よりも最優先だったのだ。
その日を境に、私たちは毎日のように触れ合うようになった。
息子は私の胸に執着し、やがてそれを口に含むようになった。
溢れそうになる声を必死に堪えながら、私は息子から向けられる
強い愛情に、どうしようもない愛おしさを感じていた。
やがて関係はエスカレートし、夫の留守を見計らって、かつてのように
一緒にお風呂へ入るまでになった。
そして、その場所で決定的な出来事が起きた。
私が髪を洗い、シャンプーを流し終えたその瞬間、背後から激しく
組み伏せられたのだ。
息子の衝動的な行動に、最初こそ必死に抵抗したものの、若く逞しい
肉体の重圧と激しいピストンに、私の理性を超えた快感が突き抜けた。
抗いきれない快楽の中で、私は激しく乱れ、いつしか歓喜の声を
上げていた。
「いい、もっと……もっと突いて……!」
私がそう叫ぶと、息子は目に見えて生き生きとした表情になり、
さらに激しく腰を振る。やがて私の頭の中は真っ白になり、
激しい絶頂のなかで意識が遠のいていった。
ふと気づくと、行為を終えた息子が、優しく私の体を支えてくれていた。
これが正しい母親の姿ではないことは、痛いほど分かっている。
しかし、洗い場で私の体をいたわるように拭いてくれる息子の姿を見てい
ると、
この行為がどうしようもなく愛おしく思えてしまうのだ。
それと同時に、冷え切った夫婦生活の中で抑圧されていた私自身の
欲求が、息子によって満たされているという歪んだ事実も否定
できなかった。
これは息子を繋ぎ止めるための免罪符であると同時に、いつしか
私自身の欲求のはけ口にもなっているのだ。
これが母親としての歪んだ愛なのか、それとも一人の女としての執着
なのか、境界線はもう分からない。私たちは今も夫の目を盗み、
コンドームを交えた秘密の関係を続けている。