私の初体験は中3の夏休み、相手は母でした。
受験勉強の合間、橋の下から拾ってきた熟女エロ本を見ながらオナニーし
ていたのを母に見られてしまいました。
「キヨシ・・・お母さんがしてあげるから、そんな本は捨てなさい。」
と言って、母が手コキしてくれました。
一度射精したくらいでは治まらずに脈打つ中3ペニスに、母は興奮して、寝
室からコンドームを持ち出し私のペニスに装着、スカートとパンツを脱い
で跨ってきました。
当時母は40歳、ヤリたい盛りだったのに父が単身赴任で欲求不満だったの
でしょうね。
それ以降委は完全に母とのセックスが日常化しました。
夏休み、平日の昼下がりに2人はシャワーを浴びてクンニとフェラ、燃え上
がって2発も3発もしていました。
母のドドメ色のラビア、あずき色のクリトリス、今でも覚えています。
40歳御母の裸は、三段原ではないですが下腹部がちょっと出てて、ムッチ
リしていました。
母も背徳感があったと思いますが、だんだん私の若くて硬いペニスがあま
りにも気持ち良くて、止められなくなったのでしょう。
私も、母の身体の虜になってしまい、オナニーなんてする気になりません
でした。
月に2回、父が帰ってくると、寝室の前で父と母のセックスの気配を感じな
がら、寂しく佇んでいました。
時々、母の喘ぎ声が聞こえると、寝室のドアを少し開けて、父と母のセッ
クスを覗き見して、部屋でオナニーしました。
高校になったら、ウェブカメラを仕掛けて、母とのセックスを隠し撮りし
ました。
ムチムチボディにしがみつくようにして、腰を打ち付ける私と、時折チラ
チラ見言える結合部がエロかったです。
ドドメ色のラビアが絡むまだナマ白い私のペニスが激しく出し入れされ、
母が下腹部の肉を揺らしながら仰け反っていました。
「母さん、母さん・・・」
「キヨシ、キヨシちゃん・・・」
高速ピストンにおっぱいがプルプルしていました。
高校生になると、安全日には生セックスさせてくれるようになりました。
私は、母で生入れ外出しを覚えたのです。
そして、セックス中に生理が始まると、
「キヨシ・・・そのままお母さんお腹に出して・・・」
と、禁断の母子中出しに及んだのです。
高校3年の頃には、いつしか年中生セックスになっていました。
中3から高3までの4年間、多分、私と母は年間500回、全部で2,000回はセッ
クスしたと思います。
だから、大学進学で上京した私は、女性無しではいられず、女子高生から
バイト先のパートのおばちゃんまで、させてもらえそうなときは逃さず事
に及んでいました。
4年間で10人くらいとセックスさせてもらいましたが、処女は女子高生の一
人だけでした。
そんな私は大学卒業後、実家に戻って就職しましたが、もう、母と関係す
ることはなく、早々に彼女を作りました。
お相手は地元の短大を出た2歳年下の同期で、私25歳、妻23歳で結婚して今
年で7年になります。
若くして女体を知った私は、部類のセックス好きになってしまいました。
毎日妻を求めるから、
「キヨシって、本当にセックス好きだよね~。私と10年近くセックスして
るけど、飽きない?」
「飽きないよ。だって、愛しい嫁さんだもん。やりたくて仕方ない人だか
ら結婚したんだよ。本当は、1日に2回も3回もしたいの我慢してるんだ
よ。」
と言うと、嬉しそうに裸になって私を受け入れてくれます。
その妻とも、おそらく2,000回はセックスしてると思います。
これからも、いっぱいセックスしていきたいと思います。