今年のはじめに、離婚して帰ってきた娘、そして孫が我が家で同居するようになりました。
元夫と揉めているあいだはだいぶ憔悴していた娘も、帰ってきてからふた月もすると落ち着きを取り戻したように見え、私としてもひとまず胸を撫で下ろしていました。
娘は私と同じ勤め人ですので、帰宅が遅くなる時もあります。
夏、この日は遅く帰ると妻と孫はすでに寝ており、私よりもひと足先に帰ってきた娘が風呂に入っていました。夕飯をチンして食べていると、風呂から上がった娘がビールを取りにやってきました。「おつかれさま」と声をかけると娘も「おつかれ」と食卓に座りぐいぐいとビールを飲みます。
そのあと私自身も風呂をもらい、湯を抜いて浴槽を掃除して出ると、食卓にはまだ娘がいました。35缶が4本空いており、娘はスマホでYouTubeを見ているようでした。私としても内心、飲み過ぎではないかな、とは思いつつも、いまは好きにさせてあげようと思い、「父さんもう寝るよ」と言って寝室に行こうとしました。すると娘が「ねー」と私を呼び止めました。「私もそっちのベッドで寝たいんだけど。お母さん〇〇(孫)と一緒に寝てるから」
はて?と思いましたが、とくに深く考えず「いいよ」と返しました。
娘にベッドを譲ったので和室に布団を敷いて寝ました。
深夜2時頃、娘が同じ布団に入ってきて目が覚めました。
「どうしたの」と訊くと「お父さん私つらいよ」と娘は泣きました。これはいけないと思い、十数年ぶりに娘のことを抱きしめてつらかったなあ、父さんと母さんがついてるからなあと慰めました。
啜り泣く娘は、本当に何を思ってのことなのか今だに分かりませんが、私にキスをしてきました。
私はとても驚き、狼狽しましたが、娘なりに甘えたいのかと思い、娘の思うがままにさせました。離婚に関する一連の出来事が娘の中の何かを壊してしまったのかと思い、悔しさが込み上げました。
しかし、しばらくちゅっ、ちゅっと唇を合わせていると、酒くさい娘の吐息にたいへん不覚にも私の男性機能が反応してしまい、情けないことに男性器がぐんぐん勃起してしまいました。
娘が生まれてからはじめて、娘に対して性的に興奮してしまったのです。どうかしているとしか言いようがありませんが、若い女の子の触感や匂いは、妻との性交渉がなくなった私にとって刺激が強すぎました。
これを娘に気付かれたらまずい、父親として顔向けできないと感じた私は、腰を引いて「〇〇(娘の名前)、わかったよ、わかったから」とこの行為を終わらせようとしました。
けれども娘は「やめないで」と言い、背を向けると、反り腰になって大きな尻をぐっぐっと私の腰に押し付けてきました。娘の言葉の意味もわからず、何を考えているのかもまったく理解できず、ただ狼狽しました。勃起した男性器の腹が娘の柔らかいワレメに食い込むたび、娘は「あっあっ」と艶っぽい声を上げました。
まずいと思い腰を引きましたが、娘はやめませんでした。
これ以上は私が我慢できなくなってしまうと感じ、娘の腰を掴んで引き離し「〇〇、だめだよ。もうベッドに戻りなさい」と言って半ば強引に行為を終わらせました。
手を引いて和室を出ても、娘はずっと下を向いていました。階段を登っている間も私の男性器は痛いくらい勃起していましたが、決して娘に対してよこしまなことは考えまいとしていました。
寝室に連れて行き「もう寝なさい。お互い明日も仕事だからね」と言って聞かせて、私は踵を返しました。
「お父さん」
背中に声がかかり、私は思わず「なに?」と振り向きました。
娘はベッドの上で尻を突き出し、下着に手をかけていました。しまった、と思いました。
「見て」
娘がするすると下着をおろすと、ワレメが顕になりました。綺麗なスジでした。膣口がぱくっと開いており、中身がぬらぬらと濡れているのが見て分かりました。
娘は大きな尻を左右にふりふりと動かし「お父さん、来て」と挑発してきました。
この子はその辺の男にもこうやって媚を売ってきたのか?という怒りや、激しい動悸と興奮に襲われ、眩暈がしました。とにかく、相手は実の娘だというのに、一階で妻も寝ているというのに、私は自分の性欲を我慢することができませんでした。電気を消して、ベッドに戻りました。
突き出された尻のワレメに男性器を沿わせると、娘は息を荒くしながら尻を前後させて女性器を擦り付けてきました。私は男性器の根本を握ると、ぱくっと開いた膣口に当てがい、娘の腰を引き寄せました。
膣内を掻き分け、男性器が奥に達すると娘は「おっきい〜、うう〜」と震えて身悶えし、イッてしまいました。
おぞましいことをやってしまったという自覚がありつつも、今までの人生で一番性的に興奮している自分がいました。
娘の尻を鷲掴みにして腰を打ち付けつつ、この子の小さい頃のことや、部活の試合を観に行ったり、バイトや進路のことで喧嘩したりしたことが脳裏に浮かびました。
そして目の前の光景が、その娘が自ら尻を振り、くねらせて、父親である自分の男性器を女性器でねっとりと味わっている光景が、娘との思い出を上書きしたような気がしました。
「ふっ、あっ、うっ」という押し殺したような娘の喘ぎ声を聞きながら、ゆっくりと性行為を続けました。
強烈な射精感が込み上げてきた私は娘の膣から男性器を抜いて、自分で扱いて娘の尻に射精しました。年甲斐もなく凄まじい量で、少し恥ずかしい思いでした。
ティッシュで娘の尻から精液を拭き取り、もう一度抱きしめて、頭を撫でてやり、「ごめん、我慢できなかった。〇〇、これきりにしよう」と娘に謝りました。「お父さん、ごめんなさい」と娘は泣いてしまい、背中をさすって、「悪いのは父さんだから、〇〇はなにも心配しなくていいからね」と声をかけ続けました。
ここで終わればまだ情状酌量の余地があったかもしれませんが、行為は終わりませんでした。
泣き止んだ娘が囁き声で「お父さんのオチンチン舐めたいよ」と言ってきました。さすがに私も少し呆れて、「だめだめ、〇〇もう寝よう」と諭しました。「寝なさい。父さん和室に戻るから」
「お父さん行っちゃったら、追いかける」
それはまずいと思った私は、本当に少しの間だけだよと念を押して、小さくなった男性器を差し出しました。
布団の中に潜った娘は、下着のスリットから出した私の男性器をパクっと咥えると、ずるずると音を立てながらフェラチオを始めました。
娘のあまりのフェラチオの上手さに、私はすぐ勃起してしまいました。ここで妻を引き合いに出すのは心底、最低だと自分でも思いますが、妻とは比べ物にならないほど、娘のフェラチオは気持ちがいいものでした。ほとんど水商売の女の子のようで、誰に教わったんだと苛立ちまで込み上げてくるほどでした。
フェラチオをやめて、布団の中から這い上がってきた娘と見つめ合い、またキスをしました。娘のキスは舌を絡ませることのない、可愛いキスでした。男性器を手で扱きながら娘が私の耳元で「お父さん、エッチしたいよ」と囁いてきました。
一回性行為をしてしまっている以上、私の倫理観がおかしくなっており、娘を抱きたくなってしまいました。
2回目の性行為は、1回目の時よりも激しく、また「父と娘」ではなく「男女」の行為でした。2人とも汗だくで性行為に及びました。罪悪感は薄まり、私も気持ちが入ってしまって、「愛してるよ」と何度も娘に伝えました。娘をひとりの「女」として扱いました。
娘も、最初は「ほんとに愛してる?」「もっと言って」と愛情を求めていましたが、途中からは「深い」「おっきい」「気持ちいい」としか言わなくなってしまいました。
行為のあと、お腹の上に出した精液を拭き取っていると、娘は私の首に腕を回してまたキスをしてきました。何度か頭を撫でてやり「もう寝なさい」と言うと、「うん。おやすみ」と笑顔を見せました。
この夜以降、私の中で性欲が再燃して、毎晩のように妻を抱くようになりました。妻は当初、寝室で私が尻を撫でたりすると「どうしたんですか?」「こんな歳で、みっともないですよ」と嗜めつつやんわりと拒絶していましたが、何度か誘うと挿入を許してくれるようになりました。最近は妻もまんざらでもないと言った風で、色気のある下着をつけてくれたり、リップを引いてくれたりします。
娘とは、あれ以来一度もありません。娘からも私からも、お互い性行為を求めるようなことはしていません。とくべつ仲がよくなったわけでも、逆に会話がぎこちなくなったわけでもありません。
けれども、わが子はあの夜以降、離婚から完全に立ち直ったような、そんな気がしています。笑顔も増え、元々そうだったように、朗らかで溌剌とした子に戻ったと感じます。娘は何かを吹っ切るために、私との行為に及んだのかもしれません。きっと私が他界する日まで、娘とこの話をすることはないのだろうなと、私は思っています。